テレビ電話
ABCへ戻ったゴパルは、低温蔵での紅茶の低温熟成について早速あれこれ計画を立て始めた。その計画案をまとめて、首都のクシュ教授へ送信する。
試験用のサンプルはリテパニ酪農産の紅茶だ。熟成後の参考として、ツクチェやジョムソンで買った紅茶を挙げている。
「目指せ、脱酒蔵」
博士課程のスルヤが吹き出した。
「チーズに肉に今度は紅茶ですか。涙ぐましい努力ですね、ゴパルさん」
軽く頭をかいたゴパルが軽く肩をすくめて笑った。さすがに氷河の近くなので、息が薄っすらとだが白い。
「さて、そろそろテレビ電話の時間になるね。外に出るかな」
スルヤが微妙な表情で見送った。
「どうせ朝食を摂ったらポカラへ下山するんでしょ。電波の悪いここでするよりも、ナヤプルかポカラで行った方が効率が良いと思いますが」
ゴパルが低温蔵の出入り口の扉に手をかけて、否定的に首を振った。
「メイデイが近いからね。首都のラビさんが大学へ行けなくなる恐れがあるんだよ。今日なら交通機関が動いているし、テレビ電話するなら今のうちかなと」
スルヤが面倒臭そうな表情になった。
「ラビさんの都合ですか。僕の都合も考慮してくださいね。今回は留守番が長引きそうなので、気が重いんですよ」
ゴパルが頭をかいて答えた。
「うん。できるだけ早くABCへ戻るように努力してみるよ。あ。そろそろ始まりそうだ。電波の良い場所へ移動しないと」
メイデイは西暦太陽暦の五月一日だ。
いつもはネパール暦で行動しているのだが、この日はなぜか西暦太陽暦で動いている。そして、ネパール全土で一斉にストライキが起こる日でもある。
車の通行も自粛されて、バスやタクシーも運休になる。運行するのは飛行機くらいのものだ。店もこの日は閉店する所が多い。
首都に居るラビ助手にとっては、大学へ行く手段がなくなる日である。歩くか自転車で行くしかない。それを面倒がって、テレビ電話の日をメイデイ前に変更していたのであった。
ABCの周囲は新緑の草の新芽で覆われていた。氷河のそばなので気温は低いままなのだが、地面を覆っていた雪はもう見当たらない。まだ蝶は飛んでいないのだが、アリは活発に動き始めている。
インドでは熱波が襲来しているのだが、ここは四月末の穏やかな日差しだ。外のテラスやベンチには、欧米人観光客を中心にして上半身裸で日向ぼっこをしているオッサンの姿が見られる。さすがにネパール人やインド人は服を着てチヤ休憩をしているが。
民宿ナングロのアルビンがやって来て、ゴパルにチヤを渡した。この季節は帽子を被らないようである。
「ここの気温に慣れてしまうと、この時期にポカラへ下りたくありませんねえ。三日後にはメイデイでしょ、余計に行きたくなくなりますよ」
ゴパルが同意しながら笑ってチヤを受け取った。早速すすりながらスマホを南の空へかざす。
「ですよね。私はディーロ好きですので、白米のご飯が食べられなくても平気ですからなおさらです。あ。アンテナが立った」
上空でインドの準天頂衛星が揃い始めたようだ。
ゴパルがスマホのテレビ電話アプリを起動させると、早速カルパナの顔が映し出された。彼女もゴパルに気がついたようで、合掌して挨拶をしてくる。
「おはようございます、ゴパル先生。ポカラは暑くなってきましたよ」
ゴパルはスマホを持って立っているので、片手だけを振って挨拶を返した。
「おはようございます、カルパナさん。さすがポカラ工業大学のスルヤ教授が開発したアプリですね。あまり遅延していませんよ」
実際は、スルヤ教授の知り合いの情報工学の教授に頼んでプログラムを組んでいる。それに加えて、準天頂衛星群の軌道計算もしていて、通信に適した環境になる日付と時間帯を知らせてくれる優れものだ。今回のテレビ電話も、その情報を基にして行われている。
ただ、プログラムのバグ取りがまだ不十分なので、不具合が発生する恐れは高いのだが。ゴパルがこのアプリをダウンロードしたのは、ここABCだ。
カルパナも遅延時間がほぼ解消したので嬉しそうである。
「便利になりましたね。ジョムソンの不眠症の人向けのキャンプツアーの続報ですが、ラビン協会長さんが好評だと喜んでいました。本格的に企画するそうですよ」
実際は雨期の後になるのだが、月二回のペースで行う計画のようだ。ポカラとジョムソンの旅行会社に委託して、ツアー旅行として商品化を目指すらしい。
感心するゴパルだ。
「行動が相変わらず迅速ですね。そうなると、燃料不足が早く解決する事を期待したくなりますよ」
ネパール政府はまだインド政府に燃料の代金を支払っていなかった。そのため、さらにインドからの燃料輸出制限が厳しくなるという通達を食らっている状況だ。
ネパール政府は金策に目途がついたので、間もなく事態が解消すると発表しているのだが……信じている人は少ないようである。




