試飲ふたつ
ゴパルがスマホで酒造所の設備を撮影してから、事務所へ案内された。予想通り事務所に入ると、事務員が早速シードルとアップルブランデーの試飲を勧めてくる。
アップルブランデーは無色透明なのだが、その香りをかいでゴパルが目を白黒させた。一口飲んで、再び目を白黒させている。
「お。これは確かに癖のある香りと味ですね。長期熟成させれば、変わるかも知れませんが」
(低温蔵にサンプルを保管して、長期熟成の実験をしてみようかな。五年間くらい寝かせれば可能性が分かると思うし)
カルパナが無表情になって、アップルブランデーを一口すすった。無表情のままでグラスをテーブルに置く。
「私にはちょっと合わないかな。辛口なんですね、これ」
カルパナが水を飲んで、次にシードルを一口すすった。今度はほっとした表情になっていく。
「これは甘口ですね。リンゴの風味もあって良いと思いますよ」
ゴパルも試飲して同意した。
「うん。これは飲みやすい。うちの酵母はまだ使っていないのですよね。これでも十分に商品化できると思いますよ」
マハビル社長が困ったような笑顔を浮かべた。
「アルコール入りのリンゴジュースみたいなものですけれどね。桃でも考えています」
バクタプール酒造のワインも似たような評価なので、何となく親近感を抱くゴパルであった。
「これなら、バーで出しても売れると思いますよ。カクテルも色々できるかも知れませんし」
カルパナがシードルを飲み干して、空になったグラスをテーブルに置いた。
「料理酒としては、今度は甘すぎて使いにくいかな。豚肉の煮込みや、グリルのソースにシードルを使えば面白いかも知れませんね。他には、ジャガイモのマッシュドポテトに混ぜてみるとか……かな」
ゴパルが感心してカルパナを見た。
「さすが、サビーナさんの友人ですね。料理に詳しくて助かります」
照れているカルパナに、マハビル社長が真面目な表情で答えた。
「貴重な意見をありがとうございます。民宿で試してみますよ。ジョムソンの高級ホテルに行けば洋食のシェフ達が居るのですが、なかなか会う機会がなくて困っていたんです」
そういえば、首都のホテルにある高級レストランのシェフには知り合いが居ないなあ……と今になって実感するゴパルであった。サビーナが気さくなのだろう。
ちなみに、ネパール料理やインド料理でのシードルやアップルブランデーの使用は、三人ともに最初から考えていない様子である。酒を使うのは日本式や欧州式のカレーぐらいのものだ。
試飲を終えて事務所の応接間で談笑するゴパル達である。ツクチェでの仕事はこれで終わりなので、後はジョムソンへ行って協会長と合流するだけだ。
ゴパルが今度は普通のリンゴジュースを飲みながらマハビル社長に聞いた。
「昔ここは、塩の道として栄えていたんですよね。今はリンゴの道になっているんですね。何となく歴史を感じます」
マハビル社長が軽く肩をすくめて笑った。彼は最初からリンゴジュースだけを飲んでいる。
「今は、テライ地域の方が交易の拠点になっていますね。中国とは北のムスタンに国境がありますが、今の所は年に一、二回、短期間行き来できるだけに留まっています。将来は、年中国境が開いているようになってくれると助かりますね」
テライ地域はインドと接しているので、交易できる国境がいくつか開いている。
陸路だけではなくて、ガンジス川の支流も流れが緩やかなので水路での交易路もある状況だ。水路だと船を使った大量輸送が可能になるため、安価なインド商品が大量にネパール国内へ入ってきている。
次にリンゴの話題になり、マハビル社長がややジト目になって話し始めた。
「最近はネパール各地でリンゴ栽培が盛んになりましてね。マナンとか大規模にやってて価格競争に巻き込まれている状況ですね。価格維持のために生産調整くらいしてくれれば良いのですが」
そういえば、マナン産のリンゴにはサビーナさんも文句を言っていたっけ……と思い出すゴパルだ。ツクチェのリンゴにも文句を言っていたようだが。
(熟さずに青く固いままで出荷するから、風味が悪いという文句だったな。陸路で運ぶから、固いリンゴが運送業者には好まれるんだよね)
マハビル社長によると、特に西部ネパールで色々と厄介な動きが生じているらしい。西部へは、このジョムソン街道から分岐して向かう街道ができている。リンゴ栽培には冷涼な気候が適しているので、街道も険しい山間地を通っている。
終着点の一つにジュムラという町があるのだが、ここでは収穫されたリンゴに対して出荷の際に税金をかけている。リンゴ税とも呼ばれる、州や郡が徴収する税金だ。当然ながらリンゴ農家と仲買人が反発しているらしい。
厳格なヒンズー教徒が多い別の町では、酒類の製造販売が全面的に禁止されている。今のネパールは王政時代と違って連邦制なので、州ごとに独自の法律がある。
マハビル社長が肩をすくめて笑った。
「私達のような交易民からすれば、金儲けの手段を自ら封じているようにしか思えません。西部のリンゴ農家が気の毒に感じますね。マナンのリンゴ農家にはもっと自制しろと言いたいですが」
カルパナがコホンと小さく咳ばらいをした。
「リンゴの農薬の話で思い出したのですが、桑の葉を使っている農家が北米にいるそうです。もしかすると、何か防虫効果のある成分が葉にあるのかも」
見事に話の腰を折りにかかってきた。
ゴパルが内心でビビりながら、努めて平静な表情で答える。そういえば、先ほどからずっと酒の話ばかりだ。
「な、なるほど。興味深いですね。私も文献を調べてみますね」
マハビル社長がスマホを取り出して時刻を確認した。
「ちょっとまだ早いですが、食事をしに行きましょうか。その後で、車でジョムソンまで送りますよ」




