下山
ツクチェやジョムソンでは一泊するだけの予定なので、小さなリュックサックを背負った軽装で山を下りるゴパルである。
セヌワではニッキに、ジヌーではカルナとアルジュンに呼び止められたが、申し訳なさそうに断った。
「すいません。ナヤプルで朝六時のジョムソン行きバスに乗る予定ですので、今日はナヤプルで泊まるつもりです」
しかし昼食はセヌワで、夕食はジヌーで摂る事になったが。いつものネパール定食なのだが、セヌワではディーロ、ジヌーでは白ご飯の違いがある。肉料理は共に地鶏の香辛料煮込みだ。
ジヌー温泉ホテルの食堂で、嬉しそうにご飯を食べているゴパルを見ながらカルナがため息をついた。
「カルパナさんまで巻き添えにしてるとか……クシュ先生って悪人よね」
苦笑するしかないゴパルだ。食べ終わって手を洗いに向かいながら、一応の弁解をした。
「すいません。ツクチェのリンゴ農家の状況を確認するという仕事ですので、農業に素人の私では能力不足だと判断したのでしょうね」
それには素直に納得するカルナだ。食堂は今日も観光客で混雑しているので、アルジュンが忙しそうに行き来して、注文を聞いたり料理や酒を運んだりしている。席に戻って水を飲んだゴパルが、ポケットからスマホを取り出した。
「ジヌーまで下りれば、ファイルの受信ができるかな?」
今は西暦太陽暦の四月の第四週なので、避暑でやってきているインド人が多いようだ。欧米人や中国人もそれなりに居るのだが、食堂は香辛料の香りが充満している。
まあ、この時期に来るような外国人は旅慣れしている者が多いので、文句は言っていない。先月はホーリー祭があったので、騒ぎ好きな連中も多かったそうだが。シヴァラトリ祭もその前にあったのだが、内容がアレなので書かない。
ゴパルがほっとした表情になった。
「良かった。ファイルを受信できそうですよ。やっぱり里に下りると便利ですね」
それでも十分ほどかかったが。ファイルを開いて内容を確認したゴパルが、かなりのジト目になった。
「えええ……」
カルナが食堂の仕事の合間にやって来て、ゴパルのスマホ画面を取り上げた。
「ちょっと見せなさい。うわ、何コレ」
ファイルの内容は、ブータンで食用のランが商業栽培されたという情報だった。それは別に構わないのだが、添付されていたのはブータン入国ビザの申請書類だった。ゴパルの分は当然として、もう一部ある。
素早く察したカルナが鋭い視線をゴパルに投げつけた。
「これって、まさかカルパナさん用の申請書類じゃないでしょうね。答えろゴパル山羊」
ゴパルがファイルの書類にざっと目を通してから、肯定的に首を振った。
「……そのようです。カルパナさんは忙しい方なのに、無茶なお願いをするんだなあ、もう」
カルナが断じた。切れ長の一重まぶたで、怒ると迫力が出る。
「却下ね、却下。ラメシュ先生とか、もっと適任な人が居るでしょ。彼に押しつけなさいよ」
ゴパルが呻きながら、添付されているクシュ教授からのメモを読んだ。読み終えてさらに呻く。本当に山羊のようだ。
「……食用ランを入手したいと依頼したのは、カルパナさんのようです。サビーナさんも興味を持っているとか何とか。クシュ教授の独断専行ではないですね」
今度はカルナが肩をすくめて呻いた。
「そういえば、カルパナさんがそんな事を言ってたような気がするな。ありえる話ね。ポカラの富裕層向けだと思うけど」
少し考える仕草をしてから、カルナがゴパルに命令した。
「それでもカルパナさんを酷使してるのは一緒。代わりにスバシュでも送りつけなさい」
呼び捨てである。初対面の時の印象が最悪だったので仕方がないのだろう。今はスバシュも態度が穏やかになっているのだが。
ゴパルも同意した。
「そうですね。そう提案しますよ。スバシュさんは今はキノコ担当ですが、花のハウス担当でもありましたし」
ブータンは王国で、年間の外国人受け入れ人数に上限を設けている。そのため、クシュ教授の伝手を使ってもビザ発給に手間取るそうだ。ブータンで食用ランを栽培しているのは現地会社なので、政府としても支援したいそうなのだが……
「ビザ申請から発給まで一ヶ月くらいかかるみたいですね。商用ビザでも申請が却下される場合があるそうですので、気長に待ちますよ」
ネパールとはかなり違うんだな……と思うゴパルだ。
ネパールでは反対に海外からの投資や商談を大募集している状況である。特に隣国のインド人や中国人に対しては、ほぼ制限なしで何度でも出入国できる。
食用ランの写真も添付されていたのだが、パッと見た所では地味だ。白い花が咲くのだが、ネパール原産のランよりも小さい。
とりあえず、カルパナにスバシュを推薦するチャットを送ってゴパルが一息ついた。
「ジョムソンにブータンとか、いきなり話が膨らんできている気がするなあ。困ったもんだ」
カルナが同情気味にゴパルの肩をポンポン叩いた。
「仕事ってそんなものよ。私も野生キノコ採集で忙しくなりそうなのよねー」
夕食後、さすがにジヌーでは暗くなってしまったので、カルナにバス停のある場所まで送ってもらう事になった。感謝しているゴパルを、鼻で笑うカルナだ。
「ここで道に迷ってもらうと、私が困るからね。盗賊団が出没しているって話も時々聞くし」




