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アンナプルナ小鳩  作者: あかあかや
暑いと夏野菜を植えたくなるよね編
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試食会 その一

 ワインは定番のバクタプール酒造産の白から始めるゴパル達であった。ゴパルがヤマとアバヤ医師に恐る恐る聞いてみる。

「他のワインでも構いませんよ。インド産の白ワインの方が人気ですし」

 アバヤ医師がヤマと視線を交わしてから、気楽な口調で答えた。

「スクランブルドエッグのための白ワインなんか、安いテーブルワインで十分だぞ。水の代わりに飲むようなものだ」

 もちろんテーブルの上には、水が注がれたグラスが人数分置かれてある。


 前菜が運ばれてきた。ゴパルが感心する。

「おお。スクランブルドエッグなのにオシャレな見た目ですね」

 フランス型のスクランブルドエッグには、燻製ニジマスのみじん切りがふんだんに入っていた。それを土台にして、燻製ニジマスの切り身が乗っている。ゴパルが給仕長に聞いた。

「ええと……この燻製は石窯を使った冷燻でしたっけ?」

 ニッコリと微笑む給仕長だ。

「よく分かりましたね。その通りです、ゴパル先生。スクランブルドエッグの中には、温燻ニジマスも少し加えています」

 魚は基本的に高い温度で燻製にすると、身がボロボロになり食感が悪くなる。燻製室の内部温度が三十度を超えないようにするのがコツだ。そのため低い温度で長時間かけて燻製にしている。ポカラは亜熱帯だが、気温が三十度を超える事はあまりないので実現できている。

 この他に風味上のアクセントとして、温燻ニジマスを少し加えているという説明だった。ただこれも、燻製室の温度は六十度程度にしているが。


 早速スプーンを使って食べてみる。再び感心した表情になった。

「フランス型ってトロトロしているんですけど、燻製と相性が良いんですね。味付けもシンプルなんだな。燻製の塩味と旨味が際立ちます」

 レカがニマニマ笑いを浮かべながら、ゴパルの横腹を肘で小突いた。彼女も嬉しそうに食べている。

「サビっちから山羊だーとか言われたから、頑張って感想を言ってるのかー。うい奴めー。撮影してないから、無言で食べても良いんだぞー」

 ちなみに会話はヤマが居るので英語だ。ただ、レカの英語は若干スラング混じりになっているが。どこのスラングかは、彼女のために記さないでおく。

 ゴパルが頭をかいて両目を閉じた。

「そうですよね……意識し過ぎでした」


 アバヤ医師が愉快そうにニヤニヤ笑っている。

「そんな事を言わないでくれゴパル君。食事は会話を楽しむ場でもあるのだよ。食事の感想も立派な話のネタになる。気にせずにドンドン語りなさい」

 ヤマも気分が落ち着いてきたようだ。ゴパルに続いて感想を述べた。

「そうですね。この燻製入りスクランブルドエッグでは、ニジマスではなくてサーモンをよく使います。サーモンの方が風味が強いのですが、この白ワインには穏やかなニジマスの方が似合いますね」

 アバヤ医師が軽く肩をすくめて笑った。

「トレビアーノ種のブドウだから、もったりして田舎臭いけれどな。それでも、こういった家庭料理にはこれで十分だよ」


 さらに寛いだ様子のヤマが簡単に身の上話を始めた。

「私は水道や村落開発事業で、あちこちの国を渡り歩いています。ネパールでの仕事の前は、南米で水道事業をしていました」

 一つの事業には、数年間の契約で関わる事が普通である。契約が終われば、また別の国の事業に関わっていく。

 ヤマがスクランブルドエッグをスプーンで口に運びながら話を続けた。

「私はスペイン語が一応できますので、中南米の国を転々としていました。地域や国によって、そのスペイン語も結構変わっているので戸惑う事がありますけれどね」

 ネパール語とヒンディー語、ベンガル語みたいな関係かな? と想像するゴパルだ。海外の学会では基本的に英語だけを使うので、他の言語にはそれほど馴染みが無い。


 ヤマの話によると、警察や消防、病院がまともに機能していない国が結構あるらしい。給料や待遇が悪いので、副収入が期待できるような仕事をしたがる傾向があると言う。

 今回のような事件は、損にしかならないのでどこも関わらないと話してくれた。どこも大変なんだなあ……と思うゴパルである。


 ゴパルが駐車場の方角に視線を向けた。ここからでは壁に遮られてヤマの車は見えないが。

「確かに、ヤマさんの車があの惨状になっていますしね……修理代だけで赤字ですよね」

 アバヤ医師が素っ気なく応えた。

「ネパールでも救急車を呼んでも来ない場合が多いな。救急ヘリを呼ぶにも大騒ぎしないといかんし。病院もストライキとかよくやってるな。おかげでワシのような町医者に患者が回ってくるんだがね」


 ネパールは山国なので、山奥の集落で病人やケガ人が出た場合には、ヘリを呼んで都市部の病院へ緊急搬送する事がある。ただ、そのヘリを呼ぶための手続きや料金の問題で大騒ぎになる。


 ヤマが深くうなずいた。

「日本の本部では、こういった事情を理解していない人が多いんですよ。現地警察や救急病院に任せておけば良いのに、なぜ出しゃばった……とかね」

 深いため息をつく。

「おかげで、人助けしたのに日本へ一時帰国して報告書を書く事になりました。その後で、偉い人達に頭を下げて回らないといけません」

 面倒だなあ……と少し呆れた表情で顔を見合わせるゴパルとレカである。

 アバヤ医師が前菜を平らげて白ワインを飲みながら、ヤマの肩をポンと叩いた。

「国によって事情は違うものだよ。ワシだってネパールの全ての民族や階級の内情に詳しくないしな。彼らの慣習を知らずに怒らせてしまう事も度々ある。そういうものだと割り切って対処するしかあるまいよ」


 そのような話をしていると、給仕長がやって来た。赤ワインをバクタプール酒造産にするかどうか最後の確認をアバヤ医師から取って、空になった皿を満足そうに眺めた。

「前菜は気に入ってくれたようですね。冷燻の状態はいかがでしたか?」

 アバヤ医師がニッコリと笑って答えた。

「うむ。しっとりとしていて食べやすかったよ。香りも良いな。リンゴの枝を使ったのかい?」

 給仕長が穏やかにうなずいた。

「さすがですね。その通りです。ニジマスがツクチェ産ですので、薪もそこのリンゴ園の剪定枝を乾燥して使いました。穏やかな香りがつきますね」

 目を点にして聞いているゴパルだ。

「へえ……徹底しているんですね。気がつきませんでした。てっきり近くの雑木林の枝かと」

 給仕長が少し困ったような笑顔を浮かべた。

「普段はパメやチャパコット産の雑木の枝を使っています。ですが、マナン等でリンゴ栽培が盛んになってきましたので、その剪定枝の有効活用を模索するようにラビン協会長さんから課題を出されておりまして」

 ツクチェはアンナプルナ連峰の北西、マナンは北にある町だ。それぞれタカリ族、ガレグルン族が多く住んでいる。


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