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アンナプルナ小鳩  作者: あかあかや
暑いと夏野菜を植えたくなるよね編
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ロビーで待ち合わせ

 ゴパルは二階角部屋に戻って事務仕事をしていたのだが、試食会の時間になったようだ。

 目覚まし時計が鳴り、同時に受付けカウンターから男スタッフが電話で呼び出しをかけてきた。仕事の手を休めて、軽く背伸びをする。

(もうそんな時間かあ……回線速度が速いと仕事もはかどるから熱中してしまった)

 目覚まし時計を止めて電話の受話器を取り、呼び出しに礼を述べる。

 窓の外を見ると、夕焼けに赤く染まるアンナプルナ連峰とマチャプチャレ峰が美しい。フェワ湖の湖面にも映り込んでいるようだ。ただ、塵が多く空中に漂っているので、輪郭が少しぼやけて見えるが。

 ダムサイドやレイクサイド地区では早くも街灯がともり始め、店の看板にも灯りがつき始めている。

 ダムサイド地区の通りには、外国人観光客や地元のネパール人が繰り出してきていた。彼らもこれから夕食を摂るのだろう。燃料不足の影響はまだそれほど出ていないようで、車やバイクが道を行き交っている。

(ABCでは荘厳な美しさに圧倒されるけれど、水と緑と人混みのポカラも落ちつけて良いものだなあ。さて、ロビーに下りるか)


 ロビーでは、レカが挙動不審な動きをしてうろついていた。ゴパルが穏やかに合掌して挨拶をすると、駆け寄って来た。そのままゴパルに体当たりをする。

 彼女は数日前に一度だけアイロンを当てただけのようなサルワールカミーズを着ていた。ストールも同様だ。

「おーそーいー! ここに住んでるんなら、もっと早く出てこいー」

 ローキックを足に食らいながら、ゴパルが首をかしげて周囲を見回した。

「ああ……まだレストランの開店前でしたね。ギリラズ給仕長さんに頼んで店内へ入れてもらえば良かったのに」

 レカのローキックが激しくなった。無言でジト目になってゴパルを見上げている。察するゴパルだ。

「……あ。まだそれほど仲良くなっていなかったのですね。すいません、気づくのが遅れました。そういえば、カルパナさんもまだ来ていませんね」

 やっとローキック攻撃が終わり、肩で息をしながらレカが答えた。ジト目のままだ。

「カルちゃんは欠席ー。チャパコットで騒ぎが起きたー。弟君と一緒に騒ぎを治めに行ってるー」

 ゴパルが気の毒そうな表情になる。

「そうなんですか。今日は騒動が重なりますね。レカさんがせっかく新作シェーブルを作ったのに」


 レカが視線をゴパルから逸らしてゴニョゴニョと言い始めた。

「実際に作ったのはお父さんとクソ兄だけどねー」

 そうだろうなあ……と納得するゴパルである。

 しかし、モッツァレラチーズやカマンベールチーズを始め、色々なチーズ作りに挑戦していると知り、感心している。

「微生物学研究室から提供したカビ由来の凝固剤の評価はどうでしたか? クリシュナ社長が何か言っていたのであれば教えてください」

 レカが弱い癖のある黒髪を指で巻いて、小首をかしげて思い出した。

「文句は言ってなかったかなー。今回はちゃんと水抜きできたって喜んでたー。熟成は全然だけど」

 ゴパルが苦笑する。

「それは仕方がないと思いますよ。熟成に必要なのは時間ですし。仕込んで数日では熟成しません。今回は撮影しないのですか? カメラを持っていないようですが」

 レカがニマニマ笑いを浮かべた。

「今回は食べる専門ー。料理の写真だけはスマホで撮るけどー」


 そんな話をしていると、レストランの扉が給仕長の手によって開かれた。今日のお勧めメニューを書いた黒板を置いて、ゴパルとレカに合掌して挨拶をする。

「こんばんは。待たせてしまいましたね、すいません。言ってくだされば、開店前に店内へご案内したのですが」

 ゴパルが頭をかいて恐縮した。レカは反射的にゴパルの背中に貼りついて給仕長を避けている。ゴパルの身長が百七十センチほどもあるので、ちょうど良い盾になっているようだ。

「店内の準備を邪魔したくありませんから、お気遣いなく。カルパナさんは急用が入ってので欠席だそうです」

 給仕長が穏やかにうなずいた。

「承っておりますよ。今回の料理は人数の増減に対応できますので、ご心配には及びません」


 続いて、アバヤ医師が憔悴したヤマを連れてロビーに入って来た。気楽な口調で手を振ってくる。

「やあ。もう皆が揃っているのか。シェーブルの出来に期待が募るねえ」

 ヤマの方はバーコードハゲが精彩を欠いていて、眉がくっきりとハの字型になっている。彼の方は恐縮しきりの有様だ。

「皆様にご心配をかけてしまいまして、本当にすいません。同時にとても感謝しています」


 ヤマの話によると、教師隊員は明日の便で日本へ強制帰国になる事に決まったという事だった。ヤマ自身も明日の朝一番の飛行機で首都カトマンズへ飛ぶそうだ。

「ラビン協会長さんが、飛行機のチケットを手配してくれたおかげです。夜行バスで行く事になるかと覚悟していたのですが、助かりました」

 アバヤ医師がヤマの肩をポンポン叩いた。

「夜行バスでなくて良かったな。シェーブルを食べ損ねる所だったぞ」

 首都行きの夜行バスは、この時間に出発する。途中の町で仮眠のために停車して、夜明け頃に首都に到着する運行だ。深夜は首都に向かう道の要所で検問があり、通行止めになっているためである。

 給仕長が柔和な表情でうなずいて、皆を店内に案内した。

「ここで立ち話をするのも何ですから、どうぞ店内へ入ってください。予約席へ案内しましょう」


 予約席は厨房に一番近い場所だった。四人席だ。レカはゴパルの隣に陣取って座ったので、ヤマとアバヤ医師と対面する位置にゴパルが座る事になった。

 給仕長が今回のメニューを紹介する。

「今回は三品になります」

 前菜は燻製ニジマス入りのスクランブルドエッグ。主菜が二品で、カネロニに子羊の挽肉を詰めた料理と、シェーブルのラビオリという事だった。

「試食の後は、リテパニ酪農産のシェーブルと他のチーズの味見をしてください。そこで試食会は終了ですね。その後は、洋菓子のティラミスをつくる様子をレカさんが撮影する予定です」

 レカが残念そうな表情になる。

「そうなんだよねー。だからワインはあまり飲めないー」


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