トマト苗と小麦
その後、倉庫を出て段々畑を巡回する事にしたゴパルとスバシュだ。
まず最初にトマト苗を育てている竹製の簡易ハウスに入った。ハウスには白い遮光ネットが上から被せられていて軽い日陰になっている。おかげで外に比べると少し涼しく感じる。
簡易ハウスの中では、生分解性プラスチック製の黒いポットに植えられたトマトの苗がすくすくと育っていた。
おかげで早くもトマト特有の草の臭いがし始めている。ゴパルはこの臭いが気にならないようで、熱心にトマト苗の葉を触ったり撮影したりし始めた。
「順調ですね、スバシュさん。育苗土の状態も良好ですよ」
スバシュが照れながら答えた。ちなみに彼はキノコ栽培に集中しているようで、思ったよりも日焼けしていない。
「それは良かったです。この苗の時期は水やりに神経を使いますね」
彼の説明によると、種から発芽したトマト苗が本葉二、三枚にまで育ったら、形が良くて新根が多い苗を選んで育苗箱からポットへ移植するという事だった。このポットの直径は九センチで、中にはKLを使った育苗土を詰めている。
このポットは生分解性プラスチックなので、三か月ほど経過するとボロボロになって分解され始める。
スバシュが空の黒いポットを手にして、否定的に首を振って口元を緩めた。
「トマトの根は強いので、一か月もするとポットの底を根が突き破ってきますけれどね」
育苗土は前もって、KL培養液の千倍希釈液を散布して十分に湿らせておく。このポットにトマト苗を移植した後は日陰に置いて、水やりを三日間ほど控える。こうする事でトマトの根が活発に伸びてくる。トマト苗の葉が水を含んでピンと張ったら根が機能しているという合図だ。
その後は半日陰にして、徐々に水やりを増やしていく。あまり水を与えるとトマト苗が弱ってしまうので注意が必要だ。
本葉が四枚の頃に、トマト苗の葉の中心部が薄い緑色で、葉の縁が緑色になるように仕上げると良いだろう。
ゴパルがスバシュの話を録音しながらメモを取って納得した。
「なるほど。それで簡易ハウスの中に日陰にしている区画を設けているのですね」
簡易ハウスの一角では、黒い遮光ネットが使われていて半日陰になっている。その明るい日陰の下で多くのトマト苗が育っていた。
スバシュが半日陰から日向へ移動を済ませたトマト苗を一つ手に取って、ゴパルに見せた。
「ゴパル先生。育苗土の表面に白っぽい菌糸が張っているんですが、これは大丈夫な菌ですかね? トマト苗は元気に育っているので病原菌ではないと思うんですが」
ゴパルがそのポット苗をよく見てから、菌糸を指で摘まんだ。
「検査機器がないので断定はできないのですが、大丈夫な菌だと思いますよ。放線菌かな。研究室でKLを使った実験では見かけなかったのですが、何かしましたか?」
スバシュが軽く頭を振って答えた。
「KLの他には、光合成細菌に生卵を混ぜて、それを水で千倍に希釈した液を散布しているくらいですね」
それを聞いて納得するゴパルだ。
「それが原因かな。光合成細菌と生卵を餌にして、野生の放線菌が増えたのでしょう。トマト苗に悪さをする事はないですよ。ただ、あんまり増えるようでしたら生卵の量を半分に減らしてみてください」
今回はこれで撮影記録は十分だと判断したようだ。簡易ハウスを出て、次に小麦畑へ向かうゴパルとスバシュだ。
小麦は結構大きく育っていて、段々畑の下から見上げても葉先が見える。その緑色の葉は、フェワ湖からの上昇気流になびいて揺れていた。小麦畑は網柵で囲まれているので、その外から撮影を始めるゴパルだ。
「これも順調そうですね。病害虫も発生していないように見えますよ」
スバシュが頭をかいて微妙な表情で答えた。
「ちょうど開花したばかりですね。地味なので花らしく見えませんが。昨日、いもち病と赤サビ病予防のために薬剤を散布しました。二週間後にもう一回散布する予定です」
ゴパルが撮影を終えて、スバシュに顔を向けた。
「病害虫の耐性が強い小麦ですが、それでも不安ですよね。実はこの薬剤の開発には、私の微生物学研究室も関わっていまして……カルパナさんや隠者様に怒られてしまいますね」
この薬剤はウイルスを加工して作ったものだ。ウイルスは感染先が限定される種類がほとんどなので、小麦の病原菌や害虫、その害虫の体内に居る共生菌や寄生菌にそれぞれ感染する種類をいくつか組み合わせている。ウイルスが感染すると、その菌や害虫の細胞が破壊されて死ぬという仕掛けだ。
もちろん菌や害虫の側でもウイルスを退治しようとする免疫や排出機能があるのだが、そのシステムも別のウイルスで破壊する。
(かなり悪辣な思想で制作されているんだよね……ははは)
まあ確かにラブアンドピースのような思想ではない事は確かだ。
他にタマネギやニンニク畑も見て回り、撮影して記録する。そのゴパルの様子を見ていたスバシュが聞いた。
「ゴパル先生。向かいのチャパコットの森にも行ってみますか? ちょうどヤブツバキとクチナシの林で剪定の作業をしています」
ゴパルが少し考えてから、否定的に首を振って笑った。
「土ボカシを与える作業ではないのでしたら、今回は遠慮しますよ。日差しも強くて暑いですしね」
スバシュがニンマリと笑った。
「ですよね。では今回の記録はここまでにして、種苗店へ戻ってチヤ休憩でもしましょうか」




