製茶工場
製茶工場とはいっても事務所の隣に作られた小屋だ。本業は酪農なので紅茶の生産量はそれほど多くはない。
小屋の入り口で待っていたサビーナが手を振ってゴパル達を出迎えた。
「ちょうどいい頃合いに来たわね。作業が始まった所よ」
小屋の中は関係者以外は立ち入り禁止なので、今回も窓の外から作業を観察する事になった。ゴパルがスマホで撮影をしようと試みてみたが、上手くできずに諦めたようだ。ポケットの中にスマホを突っ込んだ。
「午後から始めるんですね」
レカは別の窓から小屋の中を見ていたのだが、ゴパルにドヤ顔で振り返った。ある程度離れていると、平気のようである。
「寝かさないといけないのだー。前の日の夕方に摘んでるからー、翌日の昼過ぎからの作業になるー」
ここリテパニ酪農での紅茶づくりは以下のような手順を踏んでいる。
夕方に摘んだ紅茶の葉は、洗浄後すぐに風通しの良い竹製のザルの上に置いて小屋の中で寝かせる。一つの竹ザル当たり一キロほどの生茶葉だ。今回のような初摘み茶の場合では香りが弱いので、寝かせる前に一時間ほど夕日に直接当てている。
この寝かせる工程を萎凋と呼ぶ。この際に温度が五十度以上に上がらないように注意して、敷き詰める厚さを調節したり、かき混ぜたりする。水分が足りない場合には、霧吹きを使う。
翌日の昼に生茶葉の状態を確認する。重量が半分程度になり、イチジクのような甘い香りがし始めていれば合格だ。
この生茶葉を石臼に入れてよく揉みほぐしていく。この工程では生茶葉を空気と十分に接触させる事が求められるので、数分おきに石臼から生茶葉を取り出して空気にさらす。
石臼で揉みほぐしていく間にアク汁が生じるのだが、これが消失するまで作業を続ける。およそ一時間かかる工程だ。
この工程を経た生茶葉はヨレヨレになっているので、オニギリ型に丸めて木箱に詰める。フタはせずに濡れタオルを上にかけて湿気を与え、生茶葉が有している自己分解酵素の働きを促す。この際の空中湿度は九十%になるようにしたいので、時々霧吹きで水をかける。
この工程は一時間半ほど続けるのだが、その間に何度かオニギリをほぐして混ぜ合わせ、再びオニギリ型に丸める作業を繰り返す。こうする事で生茶葉の状態が均一になる。
このような説明を早口で述べたレカが、ゴパルに聞いてきた。
「ゴパルせんせー。この工程なんだけどー、温度が上がって五十度くらいになるー。これってやっぱり微生物が関わってるのー?」
ゴパルは紅茶生産についてはそれほど詳しくないのだが、素直に肯定した。
「そうでしょうね。自己分解酵素の働きで温度が五十度まで上がるって事はないですし。でも、この急激な温度上昇をもたらすのは、腐敗菌かな。発酵菌ではないですね」
レカが挙動不審な動きを始めたので、慌てて説明を加えるゴパルだ。
「一時間半くらいでは腐りませんよ。安心してくださいレカさん」
そう言ってから少し考えて、話を続けた。
「そうですね……収穫したばかりの生茶葉にKL培養液の千倍希釈液を散布してみましょうか? 腐敗菌を抑える事ができると思います」
すぐに賛同するレカだ。
「分かったー。腐らせてたまるかー。もっと濃い希釈液にした方が良いかなー?」
ゴパルが否定的に首を振った。
「止めた方が良いと思いますよ。ほら、糖蜜を使っていますから、変な香りが付く恐れがあります」
素直に納得するレカだ。ゴパルがさらに少し考えてから提案した。
「機械類全てと床や天井にも腐敗菌が巣くっているはずです。牛舎内のスプレーの要領で、KL培養液の千倍希釈液を定期的に噴霧してはどうでしょうか。床や機械の隙間には、百倍希釈液をスプレーして洗い流せば良いと思いますよ」
これもすぐに採用するレカであった。まあ、実際に実行するかどうか決めるのはクリシュナ社長なのだが。
「なるほどー。牛舎でやってるような事を、この小屋でもすれば良いのかー。盲点盲点」
さて、紅茶づくりの続きだが、やがてオニギリから紅茶の香りが出始める。
その香りを確かめてから、オニギリをほぐしてホットプレートに移す。温度を百四十度に設定して、かき混ぜながら加熱して自己分解酵素を破壊する。このまま自己分解を続けると、出来の悪い中国茶になってしまうためだ。この工程を殺青と呼び、五分間くらいで終える。
最後に別のホットプレートに紙を敷いて、その上に茶葉を薄く広げる。今度の温度は八十度に設定して、パリッとなるまで乾燥させる。
このような作業を窓から眺めていたサビーナが、目をキラキラさせながらゴパルに話しかけてきた。
「良い香りねっ。熱風乾燥をしないのが良いのよ。それでも香りのピークは一日しか続かないけれどさ」
作業員達は乾燥して出来上がった紅茶を生分解性プラスチック製の袋に詰めている。サビーナによると、一般の製茶工場では熱風にさらして乾燥させるという事だった。
「でも、そんな事すると紅茶の香りがかなり飛んでしまうのよね。レカっちの所では、そんな無駄は許さないわよ」
レカが困ったような表情で笑った。
「でもさー、ホットプレート乾燥だと、時々焦げたりするー。カラメルみたいな香りが出る事もあるしー」
つまり、紅茶版のほうじ茶みたいになる。
ゴパルが首をかしげてサビーナに聞いた。
「サビーナさん。紅茶の保存が一日って、結構きつくありませんか?」
サビーナが苦笑しながらうなずいた。
「ピークが一日間って事ね。普通に飲む分には一ヶ月間は余裕で持つわよ。冷蔵庫で保存もできないし……ゴパル君、何とかしなさい」
ゴパルが両目を閉じて頭をかいた。
「低温蔵で紅茶を低温熟成させる研究を始める予定です。どうなるか今の段階では分かりませんが、努力してみます。冷蔵庫でしたら、ポカラ工業大学のスルヤ教授に相談してみてはどうですか?」
早くもスルヤ教授に丸投げするゴパルであった。
サビーナがレカと視線を合わせてから、軽く肯定的に首を振る。
「そうね、それじゃあそうするか。低温蔵の研究も期待してるわよ」
ゴパルが直立不動の姿勢になった。
「ハワス」




