ナウダンダの茶店
その日の昼前にABCから山を下りて、翌日のナヤプルで路線バスに乗り換えてポカラへ向かった。当然のように満席なので、バスの屋上荷台の上に乗っていく。
しかし今回はナウダンダの茶店前で下車するゴパルだ。茶店の前でカルパナが合掌して挨拶をしてくる。
「すいません、ゴパル先生。ナウダンダでの待ち合わせにしてしまいました」
ゴパルがバスの屋上荷台からハシゴを使って路面に下りて、合掌して挨拶を返した。今回も荷物は少なめだ。
「お構いなく。それよりもバイクが故障してしまったそうですね。修理できそうですか?」
ポカラへ向かって走り去っていくバスを見送ったカルパナが、困ったような表情を浮かべた。ちなみに路線バスもエンジンの調子が悪い様子で、咳き込んでいるような排気音だ。排気ガスも真っ黒である。
「アンバル運送に送って修理してもらっています。ですが、バイクも電気駆動に変わってきているようで、部品の調達が難しくなってきているそうです」
この時代の車やバイクでは、ガソリンやディーゼルエンジンに替わって電気駆動に移り変わりつつあった。先進国ではトラックや飛行機、それに船舶までもが電気駆動になってきている。
自動車も無人運転が基準になってきていて、大きなドローン型の空飛ぶ車が普及し始めているそうだ。
これも宇宙エレベータ開発の影響である。素材革新がいくつも起きたせいもあるのだが、決定的になったのは宇宙での太陽光発電所からのレーザー光線照射による地上局への電力供給システムの稼働だろう。
地上局でレーザー光線を受け取り、それを直接電気に変換している。曇天や雨天、夜間でも損失を受けにくいエックス線領域のレーザー光線なので、肉眼では見えないが。
なお、環境保護規制が厳しい国では緑色領域の波長のレーザー光線を採用している。
このような背景があるのだが、採集バカのゴパル山羊は興味が無い様子である。カルパナもそれを察してか、部品の話を止めた。
「アンバル運送から替えのバイクを貸してもらっているのですが、これもエンジンの調子が悪くて。パメからナウダンダまで上っていけそうではありませんでした」
小さくため息をつく。
「それで仕方なく、この茶店での待ち合わせにしてしまいました。すいません」
ゴパルが背中に背負っている小さめのリュックサックを揺らして微笑んだ。
「大丈夫ですよ。今回も荷物はこれだけです」
その後は、いつもの通りに茶屋でチヤ休憩を挟むゴパルとカルパナであった。茶店のベンチに座ってチヤをすすっていたゴパルが、風景を見て垂れ目を細める。
ここはガンドルンとほぼ同じ標高なのだが、日中は結構暖かい。氷の塊があるアンナプルナ連峰から少し離れているせいかな、と思うゴパルだ。
それでも息が白くならない程度なのだが、やはり冷えるので二人ともジャケットを羽織っている。カルパナはサルワールカミーズの上から羽織っていて、首にはストールを巻いていた。
「さすがに緑が少なくなってきましたね、カルパナさん。段々畑の野菜や常緑樹がよく目立ちます」
この辺りの野芝は冬季には枯れる種類のようだ。霜も何度か降りていたようで、くたっと倒れている枯れた雑草も多い。
見下ろすと、フェワ湖の青い湖面が冬の日差しをキラキラと反射しているのが見えた。カラフルな色のパラグライダー群が、ゆっくりと湖上を旋回しているのも見下ろす事ができる。今はゴパル達がチヤ休憩をしている場所の方が、パラグライダーの飛行高度よりも高かったりする。
北の空には、青い空を背景にしたマチャプチャレ峰が氷雪で覆われた姿を見せていた。乾期に入ったせいか雪の量が減っている。
カルパナもチヤをすすりながら風景を眺めて楽しんでいる。フェワ湖やポカラ盆地から吹き上げてくる上昇気流が、緩やかに彼女の前髪を揺らした。さすがに腰まで伸びている後ろ髪までは揺らせないようである。
「この時期から日差しが強くなってきますね。気をつけないと肌が真っ赤になってしまいます。アバヤ先生やラビン協会長さんが、日焼け患者が出て大変だと仰っていましたよ」
ゴパルが上空で強く輝いている太陽を見上げて納得した。
「そうですか……私は日焼けしやすい体質なので注意しないといけませんね」
そう言って、自身の頬をペチペチ叩いた。
「今日も日焼け止めを塗ってはいますが、それでも焼ける事がありまして。顔が黒くなると顔認証に失敗して研究室に入れなくなるんですよ」
カルパナがゴパルの顔を見つめてからクスクス笑った。
「今はまだ大丈夫ですね」
「チャットでもお知らせしましたが、無事にお酒が届きましたよ、ゴパル先生」
カルパナが改めてゴパルに知らせた。ゴパルも嬉しそうにうなずく。
「毎回グルン族や、ABCまで登ってくるような頑健な観光客ばかりが試飲していました。今回は、普通の人の感想が聞きたくなりまして」
チヤをすするゴパル。
「それにサビーナさんが日本酒や古代酒を気に入ってもらえたら、後日の商品化に役に立つかなと」
カルパナがチヤを飲み終えて、空になったグラスをベンチの下の地面に置いた。
「サビちゃんは総料理長ですから普通の人とは言えないかな……ギリラズ給仕長さんがソムリエの資格をお持ちですから、彼の感想を聞くのは良いかもしれません。私も試飲会で頑張って感想を言いますね」
ゴパルもチヤを飲み終えて、グラスを同じように置いた。そのまま茶店のオヤジにチヤの代金を支払おうとしたが、オヤジとカルパナから止められてしまった。
「ゴパル先生は金欠なんですから、あまり無理はしないでください。ここは私が支払いますよ」
カルパナがそう言って、ゴパルとオヤジが遠慮するのを押し通して代金を支払ってしまった。意外と頑固である。
冬の日差しを全身に浴びながら、カルパナが穏やかな笑みをゴパルに向けた。
「では、ナウダンダを見て回りましょうか、ゴパル先生」




