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アンナプルナ小鳩  作者: あかあかや
とりあえず使ってみた編
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ルネサンスホテル

 その後は、スバシュが運転する125CCの赤いバイクの荷台に乗って、ゴパルがダムサイドにあるルネサンスホテルへ到着した。

 ちょうどリテパニ酪農のピックアップトラックが停車していて、運転席からラジェシュが身を乗り出して手を振って挨拶してきた。相変わらず無駄な動きが多く混じっている。

「おお、ゴパル先生も来たか。今日はカルパナさんが居ないからゴパル先生の担当はレカだ。変な動きをすると思うけど、大目に見てやってくれな」


 ゴパルがバイクから降りて、ヘルメットをスバシュに返してから真面目に答えた。

「私も慣れましたから、もう大丈夫ですよ。配達も兼ねていたようですね。車の荷台に空の容器がたくさんありますが……牛乳瓶ですか」

 ラジェシュがにこやかに笑った。肩まで伸びている弱い癖のある黒髪の先が愉快そうにピョンピョン跳ねた。今日も髪をうなじの辺りで束ねているので、尻尾のように動いている。

「だな。ヨーグルトやバターにクリームの容器もあるけれどな。それじゃあ、俺はリテパニへ戻るよ。レカをよろしく」


 そう言って、ピックアップトラックで走り去っていった。スバシュもゴパルに手を振る。

「では私もこれで。椿油の感想が聞けて嬉しかったですよ」

 彼もバイクを駆って去っていった。見送るゴパルだ。

「皆さん忙しいんだねえ……研究職で良かったよ」


 ホテルに入って協会長と挨拶を交わし、給仕長に案内されて会議室へ向かった。交流会が二回開かれた場所だ。給仕長がゴパルに話しかけてきた。

「レストランは今日も予約客で一杯でして、厨房も大忙しの状況です。本来は客席で料理の試食をお願いしたかったのですが、こうなってしまいました。すいません、ゴパル先生」

 ゴパルが気楽な表情で答えた。

「こんな服装でネクタイも締めていませんし、会議室で十分ですよ。試食といっても、味覚が鋭いわけではありませんし」

 恐縮した給仕長が、会議室の前で礼を述べた。給仕長の服装は黒の上下のスーツに黒のネクタイだ。靴も黒の革靴で、トピの色も黒である。

「ありがとうございます、ゴパル先生。私はレストランでの接客と給仕の仕事がありますので、ここで失礼します」


 給仕長の背中を見送ったゴパルが会議室へ入ると、すぐにサビーナとレカが文句をぶつけてきた。

「おそーい! 時間前行動は基本中の基本でしょ、この山羊! 解体してクズ肉のパテにするわよっ」

「やーい、わたしよりも遅れてやんのー」

 遅刻した事を謝ってから、会議室の中をキョロキョロ見るゴパルだ。

「すいません。皆さん忙しいのに余計な時間をとらせてしまいましたね。それで今回は何をするつもりですか? 見た所、何もないようですが」


 サビーナがそばに居た給仕に何か命令を下してゴパルに微笑んだ。

「もちろん試食よ。タパ家の親戚が亡くなってね、今日まで忌の食事をしてたのよ。これが断食明けの食事になるから、正確な味の評価ができない恐れがあるのよね。だからゴパル君とレカっちを呼んだわけ」

 給仕が急ぎ足で会議室から退出していったのを見送ってから、ゴパルが納得した。

「なるほど、そういう事情でしたか。あっ、でもまさか今出しているメニューの味見ですか? レストランの客席が一杯だとギリラズ給仕長さんから聞いています。そんな高級料理の味見役とか自信がありませんよ」

 サビーナがクスクス笑った。結構上機嫌のようだ。

「山羊にそんな大役を任せる訳ないでしょ。今回も家庭料理の試食だから安心しなさい」


 バフン階級やチェトリ階級では、身内に不幸が起きると『忌の食事』を摂る。

 基本的に野菜や茹でたジャガイモにポップコーンが主食になり、調味料に塩や油を使えなくなる。例外として水牛の澄ましバターであるギーだけは使っても良いが。

「いつもは一食だけ『忌の食事』にする事がほとんどなんだけどね。今回は分家の次男がマレーシアで出稼ぎ中に交通事故で亡くなってね、長期化してたのよ」

 家や個人によって異なるのだが、基本的に疎遠な人の不幸では一食だけ『忌の食事』にする事が多い。近縁の人では三日間くらいになる。

 しかし、今回のように近縁の者が海外で亡くなった場合には、その遺体が帰国して遺族の元に戻るまで続けられたりする。マレーシアのような国では比較的速やかに遺体が戻ってくるのだが、そうでない国の場合には一か月もかかる事もある。


 ゴパルが非礼を謝ってから、サビーナに忠告した。

「油はギーやチヤで何とか補給できますが、塩は難しいですよ。塩不足は健康を害します。ほどほどにした方が良いと思いますよ」

 素直に同意するサビーナだ。

「そうね。でもまあチーズとか食べて塩分補給してたから心配は不要よ。塩を『使った』『料理』じゃないから」

 まあ確かにチーズは塩そのものではないが……こういった屁理屈はカルパナさんには通用しないだろうなあ、と思うゴパルであった。とりあえず話題を変えた。


「カルパナさんは今頃は米国ですかね。有機農業団体の国際大会でしたっけ。長距離飛行ってとても疲れるんですよ。時差ボケも起こりますし」

 サビーナが同意して何度もうなずいた。会議室では、給仕が水の入ったグラスと空のワイングラスを用意して、試食会の準備を進めている。

「あたしもフランスとかイタリアに行く時は時差ボケで苦労するわね。ああそうだ、今回試食してもらうのは水牛肉の赤ワイン煮込み。その前にサラダを前菜で食べてもらうけれど」

 ここでサビーナが撮影準備を完了したレカに顔を向けた。

「水牛肉ってネワール族の方が親しんでいるのよ。レカっち、そろそろ試食を始めたいんだけど良いかな?」

 レカがゴパルにスマホ盾を構えながらドヤ顔でニマニマ笑った。

「おっけー」


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