パメ
数日後、ゴパルがポカラへ下りてきた。
ルネサンスホテルにチェックインしてから汗を流し、そのままパメに向かう。今回はレンタルした自転車を使っている。ダムサイドやレイクサイドはすっかり乾いていて、道端の野芝も元気がない。
フェワ湖上空には十数ほどのパラグライダーが舞っていて、湖面にも観光用の手漕ぎボートがちらほら見えていた。
外国人観光客も今はインド人が多いように見える。中国人はそろそろ旧正月になるので海外旅行を控えているのだろう。ネパール人観光客も意外に多い。首都の寒さから逃げてきた人が多いのかもしれない。
湖畔に沿って自転車を走らせてパメに到着すると、カルパナ種苗店の前でビシュヌ番頭とスバシュ、それにカルパナの弟のナビンがそろって出迎えてくれた。ナビンが合掌して挨拶をした。
「いらっしゃい、ゴパル先生。冬のレイクサイドを走るのも良いものでしょ?」
ゴパルが自転車から下りて、軽く額の汗を拭いて明るく笑った。
「サイクリングには良い気候ですね。ABCから下りてくると暖かく感じますよ」
ナビンがパッチリとした二重まぶたの目を細めて笑う。こうして見ると姉のカルパナに似た顔立ちだ。
「これからどんどん暑くなってきますけれどね。姉が米国に行っていますので、今回はスバシュさんに頼みました。キノコ栽培で色々聞きたいことがあるそうですよ」
ゴパルが先日の祭りのバンド演奏を思い出した。
「先日のマゲサンカランティ祭では、バンド演奏をしていたそうですね。見に行こうとカルパナさんを誘ったのですが、遠慮されてしまいました。ですが、弟さんが活躍しているのは嬉しい様子でしたよ」
ナビンが姉に似た細長い眉を上下させて照れている。
「そうでしたか。ヘビーメタルバンドですので、親や親戚に自慢できるような代物ではありませんけれどね。ですが、日頃の息抜きには最適ですよ。姉も歌や踊りは好きですね。サビーナさんも上手です。レカさんは……まあ、お察しという事で」
彼女たちがステージに立って歌ったり踊ったりしている姿を想像して、ゴパルが微笑んだ。
「カルパナさん達も毎日忙しいようですし、ストレス発散目的で一緒に歌う事ができれば良さそうですね」
ゴパルはロックやヘビメタには詳しくないので、イメージとしては民謡とか映画音楽といったものだ。一方のナビンはゴパルの言葉に対して少し驚いた表情を浮かべていたが、腕組みをして考え込んだ。
「……なるほど。そういう考えは持っていませんでした。来年のコンサートで一緒に何か歌えるように説得を始めてみましょう」
スバシュとビシュヌ番頭が顔を青くしているようだが、気づかないゴパルであった。
「姉弟一緒に歌うというのは、なかなか良さそうですね。私はロックとかには疎いのですが、ラメシュ君達に相談してみますよ。彼らなら若いので色々な曲を知っていそうですし」
ナビンの黒褐色の瞳がキラキラ輝き始めた。
「ありがとうございます、ゴパル先生。首都でも音楽祭がいくつか開催されていますので、いつか演奏したいですね」
顔を青くしたままのビシュヌ番頭が、話に割り込んできた。
「ゴパル先生。スバシュ君がキノコ栽培で工夫を色々としています。見てあげてください」
種苗店内には買い物客が増えていた。頭をかくゴパルだ。
「すいません、仕事の邪魔になっていましたね。それではスバシュさん案内をお願いします」
スバシュがゴパルを倉庫に案内した。
「すいませんね、ゴパル先生。ビシュヌ番頭さんはロックとかが苦手なもので」
ゴパルがキョトンとした顔になった。
「そうなんですか。迫力のある顔つきなので、てっきり好きなのかと思っていましたよ」
ゴパルの失礼な物言いを聞き流したスバシュが、農作業で黒く日焼けした頬を太い指でかいた。
「私もナビンさん達のバンド演奏を手伝っています。主に機材の調整ですけれど、たまにシンセサイザーとかやってますよ。カルパナ様が歌ってくださると私としても嬉しいですね。ああ、そうだキノコの話でしたっけ」
カルパナ種苗店の三階の内装工事はおおよそ終わったらしく、今はキノコ栽培の機器を注文したり、自作したりしているというスバシュの話だった。
「ですので、今も倉庫でキノコ栽培を続けています。早く三階の広い場所に移りたいですね」
そう言いながら、スバシュが倉庫の一角を占拠している大きなテントに触れた。
「この中でフクロタケを栽培しています。テントを何枚か重ねて、中の温度を三十度に維持しているんですよ」
テントの中へ入ると、一気に熱風がゴパルの顔に当たった。
「おお……中は熱帯ですね。ボイラーを使った暖房ですか?」
スバシュが少しドヤ顔になった。
「燃料代がかかるのでボイラーではありません。フェワ湖へ流れ込む川の水温と、この種苗店の屋上の温度差を利用した熱電ヒーターです。低温蔵でも使っていますよね」
ゴパルが感心した。
「ここでも使っているんですか。あれってシート状なので使いやすいですよね。ああでも、テント内でキノコと栽培すると、キノコが呼吸して二酸化炭素濃度が上がります。その対策も講じておくべきですよ」
素直に了解するスバシュだ。
「なるほど。道理で息苦しいなと感じていたんですよ。二酸化炭素だけを吸着する機械を、ポカラ工業大学のスルヤ先生が試作していますので、それを使ってみますね」
ゴパルが軽く肩をすくませて笑った。
「スルヤ教授って、何でも作りますね」
スバシュが同意した。への字型の眉が愉快そうに上下している。
「ですよね。今日は不在だそうですので、明日にでも聞いてみます」
テントの中では台形に積み上げられた菌床からたくさんのフクロタケが生えていた。その名前の通り巾着型の袋にキノコの軸が付いている。時間が経つと袋が溶けて消えてしまうので、その日のうちに収穫して調理して食べるのが基本だ。
ゴパルが汗を拭きながらフクロタケをスマホで撮影していく。
「良い出来ですね。連作障害が起きますので、次回の栽培は別の場所にした方が良いと思います。しかし、さすがに三十度は暑いなあ。氷河のそばで暮らしているせいか、暑さに弱くなったような……」
スバシュが少し吊り上がった目を閉じて、肩まで伸ばしている癖のある黒髪を揺らした。
「ポカラはそんなに気温が高く上がりませんから、気にする事はありませんよ。ブトワルのようなテライ地域だと、二か月後には四十度になりますけれどね」
テントでのキノコ撮影を終えたゴパルが、スバシュに案内されるままにテントから出た。そのまま、種菌作りの区画に移動する。ジャガイモが入った袋がいくつもあるので思わず口元を緩めた。
「早速、PDA……ええと、ジャガイモ種菌作りの準備をしているのですね。来月から暑くなるのを見越しての種菌準備ですか、なるほど」
スバシュがジャガイモを袋から取り出して、お手玉しながらニッコリと笑った。
「テントの容量が小さいので、ジャガイモ種菌やソルガム種菌も少量生産になってしまいますけれどね。早く三階が完成して欲しいですよ」
ゴパルもジャガイモを手に取って、手のひらの上で転がしながらうなずいた。
「そうですね。商業生産する場合は、キノコを年中出荷できるようにした方が都合が良いでしょう」
口調が少し淡々とした印象に変わる。
「自家製種菌ですが、品質の低下が起きる懸念があります。首都の種菌製造会社も種菌が売れなくなると困ってしまいますから、自家製種菌と首都の種菌とを半々くらいで混ぜて使ってくださいね」
スバシュがニッコリと笑って答えた。
「そのつもりですよ、ゴパル先生。ネパールは災害が多いですからね、助け合わないと暮らしていけません」
ちょっと前までは、グルン族のカルナを相手にして差別的な発言をしていたのだが、少し変わったようだなあ……と感じるゴパルであった。面倒なので指摘はしなかったが。
代わりに最新情報を知らせる事にしたようだ。
「スバシュさん。ラメシュ君から知らせが入りました。来週からエリンギ栽培ができそうですよ」
小躍りして喜ぶスバシュだ。
「ついに始まりますかっ。準備する物を教えてくださいね。最優先で手配しますよ!」




