低温蔵
西暦太陽暦の二月に入り、アンナプルナ内院が最も冷え込む時期がやってきた。
ダウンジャケットと毛糸の帽子のゴパルが、発熱機能付きの手袋をして機器の点検をしている。吐く息が真っ白だ。
最重要となる氷河からの冷水が流れるパイプと、厨房のかまどとつながっている温水のパイプとを確認して記録をつけた。
「特に問題は起きていないね。温度差発電も機能している。こんな寒くてもここと氷河とは気温差があるんだなあ。凄いとは思わないかい? ラメシュ君」
ラメシュもゴパルと一緒に機器の点検をしながら素直に同意した。彼もゴパルと同じような防寒服の姿だ。
「温度差発電システムは、宇宙エレベータで使われているモノの簡略版ですから機能するとは思っていましたが……予想以上の性能ですね。醸造タンクも全て異常なしです。いよいよですね」
ゴパルが点検を終えて三つ並んでいる百リットルタンクに手を触れた。保温しているので温かい。
「チャンと日本酒、それに古代酒か。これで三回目の醸造実験だったよね。百リットルタンクでも成功すれば、いよいよ商業化も視野に入るかな」
素直に同意するラメシュだ。
「そうなると良いですね。私達が博士号を取得しても仕事に就けなかった場合の避難先になります」
ラメシュが低温蔵の窓の外に垂れさがっている氷のつららを見上げた。窓は多重式で断熱効果が高い仕組みなので、外の低温が窓を介して室内へ入ってくる心配は低い。空は晴れて青空なのだが、粉雪が舞っている。
「マグ月の後半は冷えますね。テライ地域だともう暖かくなってきているんですけど。首都の酒造会社の人に連絡したのですが、寒いので低温蔵へは行かないと返事がきていました」
ゴパルも窓の外を見て、軽く肩をすくめた。
「首都には雪が降らないからね。データを取って、サンプルを用意すればいいさ。日本酒や古代酒、それにチャンもそうだけど、寒い時期に仕込んだ方が良い品質に仕上がる傾向があるからね。空気中の雑菌やカビが少ないせいなんだけど、楽しみだよ」
そんな話をしていると、低温蔵のドアを開けてアルビンとアルジュン、ニッキがニコニコしながら入って来た。下から上ってきたばかりのようで、肩や帽子に粉雪が付いている。
ABCの民宿ナングロのアルビンが真っ先に手を振って挨拶した。
「やあ、ゴパルの旦那、ラメシュの旦那、試飲しに来ましたぜっ」
グルン族三人の後ろにはディワシュ運転手と強力隊長のサンディプも居てニコニコしている。さらにはヒンクの洞窟茶店のオヤジと、ガンドルン近くのシャウリバザールの茶店のオヤジまでやって来ていた。
そのシャウリバザールのオヤジが、一緒にいる身なりの良い中年男を紹介した。
「ツクチェで酒造所をやってるマハビル社長だ。カトマンズの酒造所の連中が興味を持ってるって言ったら、やってきた」
紹介された中年男が丁寧に合掌して挨拶をした。
身長はゴパルよりも十センチほど低い百六十センチほどで小太り体型だ。年齢は五十後半といったところだろうか。手足が短めで全体に丸々とした印象だ。やや癖のある黒髪は短く切りそろえられていて、ハの字型の短い眉の下にはつぶらな黒い瞳がある。
「ツクチェで酒造所をやっているマハビル・プンです。低温蔵の噂はジョムソン街道にも聞こえていますよ」
ゴパルが合掌して挨拶を返しながら、申し訳無さそうに答えた。
「その首都の酒造所の人達ですが、この寒さでここまで登ってこれませんでした。お酒は後日サンプル詰めして、首都へ送る予定です」
ディワシュがニコニコしながら割って入った。
「堅苦しい挨拶は抜きだぜ。さっさと飲ませろ、ゴパルの旦那っ」
慌てて低温蔵から逃げ出そうとするラメシュだ。ゴパルの背中を押してディワシュに差し出した。
「で、では私はこれでっ。ゴパルさん、後はよろしくお願いしますっ」
そのまま振り返らずに、脱兎のように低温蔵から駆け出していく。呆然として見送るゴパルに、アルビンが笑いを堪えながら説明してくれた。
「試飲会で一緒に飲む羽目になったんですよ。それで酷い二日酔いになってしまったんです」
納得したゴパルだ。
「なるほど。では試飲会を始めましょうか。あくまでも試飲ですからね。感想をしっかり述べてくださいよ」
おおー!
気勢を上げて応えるグルン族三人と、茶店のオヤジ二人だ。酒造所のマハビル社長は苦笑している。
アルビンが持ってきたチヤのグラスに注いで回るゴパルだ。
「とりあえず、最初は冷たいままで試飲してみてください。その後で温めてみましょう」




