ラ・メール・サビーナ
カルパナやレカ達と別れを告げて、サビーナのスクーターの後ろに乗ってルネサンスホテルへ戻ったゴパルであった。ロビーにはアバヤ医師が既に待っていた。かなり上機嫌である。
「やあ、戻ったかねゴパル君、サビーナ君。皆、ポカラ観光を楽しんでくれたようだよ」
サビーナがスクーターを駐輪場へ押していきながら、ニッコリと微笑んだ。
「観光シーズンだしね。あたしはこのまま厨房へ入るから、ゴパル君とアバヤ先生はレストランへ入って」
アバヤ医師がサビーナに告げた。
「食事会は予定通り軽めに頼むぞ。後で夜のレイクサイドに繰り出す予定だからな、腹が一杯では動けなくなる」
サビーナが愉快そうに笑いながら手を振った。
「分かってるわよ。それじゃあゴパル君、あんまり羽目を外さないようにね。また噂の人になってしまうわよ」
ゴパルが大真面目な表情になって答えた。
「気をつけます、サビーナさん」
ゴパルが部屋で汗を流してからレストランへ入ると、まだクシュ教授達は来ていなかった。予定の時刻前なのでアバヤ医師と雑談をして時間を潰す。
そうこうする内に皆がレストランに入って来た。給仕長が案内して穏やかに談笑する。
「あっ……そういえば、先日の新人さん達はどうなったんだろう。姿が見当たらないな」
ゴパルがつぶやくと、向かいの席に座ったアバヤ医師がニヤニヤ笑いを受かべた。
「給仕の面々は変化なしだよ。新入社員は皿洗い中だ。まだ給仕として使える段階ではないからな」
クシュ教授は予想通りゴパルの隣に座っている。ちょうどゴパルと参加者達の間の位置だ。
「ポカラは暖かくて良いな、ゴパル助手。交流会の候補地としては十分だよ。ポカラ土産もアバヤ先生のおかげで色々と探す事ができたしな。今後もよろしく準備を頼むよゴパル助手」
予想通りの展開なので、大人しくうなずくゴパルであった。
「はい、教授」
給仕長が食前酒の注文を受け付けていく。シェリー酒や発泡ワイン、香草等を加えた白ワインを参加者達が頼んでいる。
ドイツから来ている教授はビールではなく甘口の白ワインを頼んでいた。一方日本から来ている技術者はビールだった。
(どうしようかな……いつもバクタプール酒造の発泡酒を頼んでいるけれど、今回は別の酒にしてみようかな)
迷っているゴパルに、給仕長が穏やかに微笑んだ。
「前菜はカプレーゼとカポナータです。発泡ワインでも十分ですが、シェリー酒と合せても美味しいと思いますよ」
本当にこの人は心を読むのが上手いな……と感心しつつ、ゴパルが答えた。
「いいえ。いつもの発泡ワインでお願いします。クシュ教授もアバヤ先生も頼んでいませんので、私くらいは頼んでおいた方が良いでしょう」
「かしこまりました、ゴパル先生」
隣の席のクシュ教授と向かいの席のアバヤ医師が、そろってニヤニヤしてゴパルを見ている。
「さすがだねゴパル助手。助手の鑑だよ。おかげで僕は他の酒を楽しめるというわけだな。感謝するよ」
「今回の料理は普通の家庭料理だから、高い酒を頼む必要はないんだが……それにしてもゴパル君、そんな不味い発泡酒ばかり飲んでいると味覚が劣化するぞ」
さんざんな言われようである。早速運ばれてきたグラスの発泡酒をすすりながら、ジト目になるゴパルであった。やはり泡が大きくて不均一だ。色と香りも今一つという印象である。
「私はこれで十分ですよ。山羊だの牛糞だの言われているんですから」
前菜のカプレーゼを平らげて、田舎パンのスライスにカポナータを乗せて食べるゴパルだ。
「冬トマトと水牛のモッツァレラチーズの組み合わせも美味しいですね。首都では冬トマトが無いから貴重です。カブレやダディンでも今は寒くて本格的なハウストマトしか栽培されていません」
参加者にも理解できるように英語で感想を述べている。
「この田舎パンはポカラで採取して培養した自然の酵母菌を使っています。うちの研究室で純粋培養したビール用酵母菌と混ぜて使っていますよ。カポナータで使っている冬トマトはKLと光合成細菌を使っています」
クシュ教授がゴパルのシャツの袖を引っ張った。
「良い説明だった、ゴパル助手。おかげで皆が正気に戻ったようだよ」
参加者達が一斉に口論を再開した。先程までは紳士然としていたのだが、ゴパルの微生物関連の話のせいで化けの皮がはがれたらしい。
KLの定義の話から、自然界の酵母菌と純粋培養された酵母菌との相性問題、光合成細菌の土壌中での活動等に渡っている。参加者それぞれに持論があるので、かなり激烈な口論になりつつあった。
(地雷を踏み抜いてしまったのか?)
恐縮して背を丸めてしまったゴパルを、クシュ教授がニコニコしながら肩をポンと叩いた。
「騒がしい方が我々らしいよ。もっと議論が白熱したらホワイトボードを持ってきてくれ。さて、パスタ料理が来たようだな。いただこうか」




