低温蔵
祭りの後にABCへ戻ったゴパルだったが、また下山する事になってしまった。
低温蔵にはダナが居たのだが、その彼がジト目になってゴパルを見ている。丸顔に付いている、もっさりした眉を思い切りひそめているのでかなり不機嫌なのだろう。
「ゴパルさんだけずるいー。僕も戻って母の日に備えたいのにー!」
ネパールやインドでの母の日には、子供が母親に菓子や果物、それに服や小物といったプレゼントを贈る。
ゴパルが申し訳無さそうに頭をかいて謝った。
「急で済まないね、ダナ君。私も母の日に備えたいんだけど、今回はポカラでKL関連の交流会をする事になってしまったんだよ。その準備で下山しないといけなくなった」
KL関連企業や大学等の団体が持ち回りで交流会を開いているのだが、今回は微生物学研究室の順番になっていた。いつもは首都で交流会をしていたのだが、クシュ教授の提案で今回は急きょポカラで行う事になったのだ。
「昨日、クシュ教授から電話が入ってね。急いで下山してラビン協会長さんと相談して、会場確保や食事会とか決めないといけない」
(まず間違いなく、首都で開催するとクシュ教授の負担が大きくなるからだろうなあ。ポカラにすれば、私に指示して準備させるだけで済むし)
そのような予想をするゴパルであるが、決まってしまったものは仕方がない。
下山するのは母の日の前になるのだが、この機会に首都まで飛行機で日帰りで行ってみようかとも考える……が、自身の財布の中身を見て肩を落とした。
「無理か……長距離バスも今からじゃ空席は無いだろうなあ」
せめてテレビ電話等を使って実家に挨拶しておこうかと考えて、スマホをポケットから取り出した。ダナも同じようにスマホを取り出してチャットアプリを開き、ごめんなさい行けませんと実家へ送信し始めた。
テレビ電話は問題なく起動し、首都のバラジュ地区でチヤ休憩をしていたゴパル母とつながった。
「かあさん、ひさしぶりゴパルです。母の日なんですが……」
事情を説明すると、ゴパル母がジト目になって文句を返してきた。今は通信状況が良好なので、コマ送りの静止画像にはなっておらず動画だ。
「はあ? 母の日にも帰ってこれないのかい。この親不孝者」
ひたすら謝るゴパルだ。しかしゴパル母もこうなる事は予想していた様子である。ため息をつきながらジト目でゴパルを見据えた。
「急に時間ができても動けないわよね。ちょうど良かったわ、今から食材を買いに行く所だったのよ。ゴパルの分が減るなら量が減って楽になるわね」
ゴパル母の口調が変わった。
「それよりもゴパル、彼女はできたのかい? 小屋の中で研究ばかりしてないで、外に出なさい」
今度はゴパルが微妙な表情になった。ゴパル母がカルパナやレカの名前を挙げ始めたので、慌てて電話を終了する。
「そ、そそそれじゃあ、下山の準備をするのでこれでっ。また後日電話しますねっ」
テレビ電話を終えると、ダナがニヤニヤしながら見ていた。
「ゴパルさ~ん。彼女っていったい何の事ですかあ~?」
「うるさいよ、ダナ君」
ダナが落ち着いた表情になって、ゴパルに自身のスマホ画面を見せた。そこにはポカラのホテル協会のポータルサイトが映っている。
「四日後に交代するので、その際に首都に戻ります。母の日の当日は無理でも、その日に祝いますよ。ゴパルさん、何かポカラ土産らしい物ってありますか?」
ポータルサイトからリンク先に移動すると、物販サイトになった。ゴパルがダナに告げた。
「ここって、ポカラ住民向けの会員制オンラインショップだよ。ダナ君は会員になってたっけ?」
ダナがドヤ顔になった。
「学生の横のつながりを甘く見てはいけませんよ。僕も会員です。ポカラ在住じゃないけど」
ゴパルは会員登録をしていなかったので、このショップサイトに関心が無かった。しかし、改めて見てみると色々な商品が売られているようだ。
「へえ……じっくり見るのは私も初めてだよ。紅茶、コーヒー、アップルブランデー、養豚団地のソーセージにベーコン、リテパニ酪農のヨーグルトもあるんだね。あっ、ケーキと冷凍ピザまである」
さらに見ていくと、レストランのシェフによる出張料理まで受けつけていた。サービス業務としては、他にチャパコットの尾根から飛び立つパラグライダーや、乗馬もある。
「乗馬かあ……ちょっと憧れるなあ。一度馬に乗ってアンナプルナ街道を走ってみたいものだよ」
アンナプルナ街道は道幅が狭くて坂が急なせいもあり、馬に乗って旅行する人はほとんど居ない。ロバ隊による荷運びくらいだ。
一方でジョムソン街道は比較的平坦で道幅も広いために、乗馬での旅行も人気のようである。街道には一ヵ所だけ難所があるのだが、車道なので観光客でも何とかなる。
パラグライダーについては意図的に視線を向けないようにしているゴパルであった。ちょっとしたトラウマになっているらしい。
他には、先日の祭り屋台で売られていた糖蜜ゴマ菓子や、ヤム芋の香辛料煮込みのレトルトパック等も売られていた。恐らくは農家からの委託販売なのだろう。感心するゴパルだ。
「さすが交易民のタカリ族だよねえ……」
「それでゴパルさん、何がポカラ土産としてお勧めですか?」
ダナの重ねての質問に我に返ったゴパルが腕組みをして唸った。
「うーん……有機コーヒーが無難じゃないかな。サビーナさんによると風味が尖がっていないという事だけど、気楽に飲めるコーヒーだと思うよ」
そういえばと、黒カルダモンや野生キノコも探してみたのだが、これらは出品されていなかった。
ダナが素直に従う。
「了解です、ゴパルさん。カード支払いができるので、早速注文しておきますね」
ジト目になるゴパルであった。
「良いよねー……カードを使えて。私は口座残高不足で使えないんだよ」
ダナが同情してゴパルを見つめた。
「ゴパルさん。クシュ教授に待遇改善を強く訴えないといけませんよ」
ゴパルが頭をかいて両目を閉じた。
「……だよねえ。この間チャットで問い合わせてみたんだけど、返事が無くてさ」
「それでは、ポカラでクシュ教授に会った際に直談判するしかありませんね」
ダナの言葉に、微妙な表情でうなずくゴパルであった。
「そうするしかないよね。ああそうだ、ポカラに下りたらマダニが媒介する病気群に対する予防接種を受けるんだけど、ダナ君はどうする?」
ダナが彼のスマホで確認をしてから答えた。
「僕は首都に戻ってから予防接種を受ける予定です。乾期もこれからは暑くなってきますから、マダニに注意しないといけませんよね」
日本と違い、ネパールや北インドでは三月に入ると暑くなってダニ等が活発化してくる。しかし、予防接種を打ってもすぐに効果が出る訳ではない。時間がかかるのだ。そのため今から予防接種を打つ事で、その時期に備える。
ちなみにマダニが媒介する病気には、重症熱性血小板減少症候群や、日本紅斑熱といった致死的なものがある。




