カルボナーラ
ゴパルが部屋に鎌を置いてからロビーに戻ると、すぐに白い厨房用の作業着に着替えた。カルパナは既に着替え終わっていて、今は厨房の中で固定カメラとスマホの最終調整をしている。
「お待たせしました、サビーナさん、カルパナさん。今日は確かカルボナーラでしたよね。楽しみです」
サビーナもカルパナと一緒に固定カメラの調整をしながら、ゴパルにニッコリと微笑んだ。どこかドヤ顔的であるが。
「朝食シリーズの区切りがついたから、今回からはピザとか簡単な家庭料理に移るわよ」
そう言ってから、厨房内に設置されている石窯に視線を向けた。あれからさらに使い込まれているようで、焚き口がススでより黒くなっている。
「石窯もあちこちのホテルやレストランで設置しているんだけど、好評ね。どこも燃料不足や停電で苦労しているみたい。ポカラの住民からも設置の要望が来てるって聞いてるわ」
感心するゴパルだ。厨房スタッフや当番シェフの邪魔にならないように厨房の隅に立っている。
「朗報ですね。やはりピザを焼きたいのでしょうか」
サビーナが軽く肩をすくめて、右手の平を返した。ネパールでは否定的な意味合いを示すジェスチャーだ。
「どうかしらね。普通に煮込み料理で石窯を使ってると思うわよ」
言われてみればそうだよなあ……と考え直すゴパル。サビーナがゴパルの反応を見ながら話を続けた。
「ピザについては、ポカラやジョムソン、ガンドルンとかのホテルやレストランのシェフ達に作り方を任せる事にしたわ。来年から色んなピザが登場するわね、楽しみ」
カルパナが一息ついて、笑顔をサビーナに向けた。
「調整が終わったよ、サビちゃん。いつでも始めて」
サビーナが調理台の横に移動してカメラ目線になった。
「了解。それじゃあ始めるか。まずは卵があればできるカルボナーラからね。カルボナーラといえばグアンチャーレっていう豚の頬肉の塩漬けを使うんだけど……」
吐いて捨てるような口調で続けた。
「レカナートの養豚団地産は、まだまだまだまだ使えないのよね。なので、イタリアからの輸入品を使うわね。手に入らなかったら普通のベーコンを使うしかないけど、風味が変わってしまうのがちょっとね」
ゴパルが思わずカルパナに視線を投げた。しかし、彼女は平然と撮影を続けている。編集作業はレカに一任するのだろう。
サビーナによるとグアンチャーレは頬肉を使っているので、肉に旨味があって美味しいらしい。
次に、羊の乳から作ったペコリーノチーズを戸棚から出した。
「これもイタリア産。冷蔵庫から出して二時間くらい室温で置いておくと、チーズの風味が良くなるのよ。レカっちのリテパニ酪農だと、羊を飼うには気温が高くて雨も多いしで難しいらしいのよね」
ゴパルが提案した。
「あの、サビーナさん。気候としてはジョムソン辺りが適していると思いますよ。雨が降らない地域ですので、牧草栽培が難しいかも知れませんが」
サビーナが素直にうなずいた。
「そうね。ジョムソンのホテル協会長のサマリさんに聞いてみるか。できるだけ国産の材料で作りたいしね。でも、黒コショウはネパールじゃ寒くて栽培できないんだけどさ」
材料の説明が終わったので調理に移るサビーナだ。比較的大きな鍋に水を入れて強火にかけ沸騰させ、塩を加えて溶かした。
「水一リットル当たり塩が十グラムの割合ね。これに太めで真っすぐなスパゲットーニっていうパスタを入れて十三分間茹でる。油は加えなくても構わないわよ」
茹で上がるまでの間に、手の平サイズのグアンチャーレの塊を包丁でコマ切りにした。それをオリーブ油を敷いたフライパンに移して炒めていく。
「オリーブ油は良い物を使う事。これはリテパニ酪農産のバージンオイルね。さて、この間に……」
サビーナがペコリーノチーズをおろし金ですりおろして粉末状態にし、ボウルに入れた。さらに卵黄二個を加えて、黒コショウをたっぷりとかけてから混ぜ合わせる。
「これがソースになるんだけど、安全に作りたいなら湯煎にかけてじっくりと熱を通した方が良いわね。今回は手早く作るけど」
フライパンで炒めているグアンチャーレに火が通って、見た目がカリカリになってきた。脂が大量に溶けだしていて、フライパンに数ミリほども溜まってきている。状態を確認してからコンロの火を止めた。
「ん。脂が多すぎる場合は、キッチンペーパーなんかで吸い取って調節しなさい。さてと、パスタもそろそろ茹で上がったかな」
サビーナが鍋からスパゲットーニを一本引き抜いて、指で押し潰した。
「こんなもんね。柔らかめが好きな人は、一分間単位で延長して茹でると良いわよ」
コンロの火を消して、スパゲットーニを全量引き上げた。
それをフライパンに移して、脂とグアンチャーレによく混ぜ合わせる。混ぜた後でいったんボウルに全量を移し、卵黄のソースを加えて和えた。
そうしてから、再びフライパンへ戻して中火にかけて混ぜていく。
「これは温めるだけに留める事。長く火にかけると卵が固まってしまうわよ」
サビーナが何回かフライパンを火から離して、温度を調節しながら、木ベラを使って卵黄ソースを加熱していく。
「これが面倒だったら、湯煎でソースを作っておいて、粗熱を取ったフライパンに加えるという手もあるわね。好みで他のチーズを色々加えても楽しめるわよ」
フライパンから皿に盛りつけた。その上に硬質チーズの粉とコショウを追加して振りかけていく。最後にイタリアンパセリを数枚散らして彩を添えた。
「ほい、完成。カルちゃん撮影よろしく」
カルパナがスマホのカメラで接写しているのを見ながら、サビーナが補足説明を加えた。
「見ての通り、塩とクリームは使わないわね。上手く作るコツは、卵に熱を加えすぎてスクランブルドエッグにしない事」
ゴパルが質問した。
「サビーナさん。もしもスクランブルドエッグ状態になりかけてしまった場合は、どうすれば良いですか?」
サビーナが口元を緩めて微笑んだ。
「水を少し加えてから、ゴムベラを使って必死に混ぜなさい。運が良ければ修正できるわ」
冷蔵庫から栓を開けた白ワインの瓶を取り出して、グラスに注いでいく。おなじみのバクタプール酒造産だ。撮影を終えたばかりのカルパナに白ワインが注がれたグラスを手渡した。ゴパルにも手渡す。
「さてと、冷めないうちに食べるわよっ」
早速ゴパルが試食皿にカルボナーラを取り分けて口に運んだ。垂れ目がキラキラと輝き始めていく。
「うは……卵と豚の塩漬け肉って相性が良いんですね。スパゲッティもモチモチして弾力がありますよ」
サビーナがニコニコしながらツッコミを入れた。
「スパゲットーニね。直径が違うのよ」
サビーナとカルパナも自身の試食皿に取り分けてから食べた。彼女達も満足そうな表情だ。残りを当番シェフに渡したサビーナが、白ワインを飲む。白ワインの感想は特に無い様子である。
「これがベーコンだと香りが違ってしまうのよね。本当に、養豚団地のギャクサン社長には頑張って良い物を作ってもらわないと」
カルパナがいたずらっぽい視線をゴパルに向けてきた。反射的にゴパルが目を逸らしてコメントする。
「……順番に進めましょう。まずは小麦やトマト、それにキノコからです」
カルパナがクスクス笑った。
「隠者さまも同じことを仰っていますね。ゆっくり進めていきましょう、サビちゃん」
軽いジト目になるサビーナだ。
「ぐぬぬ……でもまあ、慌てて進めて失敗してもつまらないか。で、ゴパル君はこの後どうするの?」
ゴパルがカルボナーラを食べ終わり、白ワインを喉に流し込んでから小さくため息をついて答えた。
「ABCへ上ります。ダナ君が下山して、ラメシュ君と一緒に滞在する予定ですよ」
ワイングラスをテーブルの上に置いて、軽く肩をすくめた。
「ポカラで買い物や映画を見たかったのですが、ワインのサンプルを持ってきていますので低温蔵へ直行しないといけません。一応は同じサンプルを別送しているんですけれどね」
カルパナがゴパルに同情しながら試食を終えた。
「アンナプルナ内院はこれから厳冬期に入りますね。レカちゃんみたいに風邪をひかないように注意してください」
サビーナがニヤニヤしながら白ワインを飲み干した。
「それと凍死にも注意する事ね。シャレにならないくらい冷え込むみたいよ」
ゴパルが肩を落としながらうなずいた。
「そのようですね。さすが極地と呼ばれているだけの環境です。でも行かないとなあ……」




