ポカラ
翌日、その娘さんと一緒に空港へタクシーで向かうゴパルであった。ゴパルは国内線なので途中で別れる。挨拶を交わして娘さんを見送ったゴパルが、軽く背伸びをした。
「さてと。搭乗手続きをするかな」
飛行機は霧の影響もなく定刻通りに空港を離陸してポカラへ向かった。ニュースによると、北インドやテライ地域ではまだ濃霧が立ち込めているという事だった。飛行機の席はヒマラヤ山脈が見えない側だったので、とりあえず南の地平線を眺めてみる。
(……雲に見えるのは、実は霧なのか。確かにマハーバーラット山脈の南側は一面の濃霧だな)
山脈は標高三千メートル級の峰々が東西に連なっているので、ちょっとした壁のようにも見える。その壁の向こう側は完全に白い霧で覆われていた。一方、山脈の北側地域はそれほど霧が発生していない。
(山脈を境にして気候が違ってるんだなあ……)
そんな感慨にふけっていると、通路を挟んだ向こう側の席の客達が騒ぎ始めた。どうやらガネシュ連峰やマナスル連峰がよく見えているらしい。軽く肩をすくめるゴパルだ。
「こういう事もあるよね。急に首都行きが決まったから、良い席が取れないのは仕方がないか」
ポカラ国際空港に到着して国内線ターミナルに降り立つと、真っ白に輝くマチャプチャレ峰とアンナプルナ連峰とが目に留まった。思わず立ち止まるゴパルだ。
「本当に壁だよねえ……」
その後は、いつものように協会長が出迎えてくれた。合掌して挨拶を交わし、いつもチップを渡している男スタッフにも挨拶をした。今回も欧米からの外国人観光客がルネサンスホテルの白いバンに乗り込んでいる。
「いつもすいません、ラビン協会長さん。良い天気でアンナプルナ連峰もよく見えますね」
協会長がニッコリと微笑んだ。
「本格的な冬になります。ポカラも最低気温が五度くらいにまで下がる日がありますよ。くれぐれも風邪をひかないようにしてくださいね」
そういえば、空港の外に居る乞食達も厚手の服装だったなあ、と思い出す。首都では朝晩あちらこちらで焚火で暖を取る人を見る事ができる季節だ。
「そうですね。ABCで風邪をひかないように気をつけます」
ルネサンスホテルに入ってチェックインを済ませると、男スタッフがやって来た。彼にチップを支払って手荷物を二階の角部屋へ持っていってもらう。
部屋は掃除されていて、窓の外には青いフェワ湖に映えるアンナプルナ連峰の白銀の姿があった。
「まるで何かの風景画のようだね」
見とれているゴパルに、男スタッフが声をかけた。
「そろそろロビーのレストランへ向かってはいかがですか。サビーナ総料理長が待っていますよ」
ゴパルがポケットからスマホを取り出して、時刻とチャットを確認した。思わず頭をかいている。
「おっとそうでした。チャットにも『さっさと部屋から出てこい』と催促文が。顔を洗ってからすぐに向かいます」
ルネサンスホテルにあるレストラン『ラ・メール・サビーナ』に向かう途中で、ロビーに居るカルパナと合流した。
彼女も冬の服装で小ざっぱりとしたシャツにセーター、くるぶしまである長いスカートだ。さすがにサンダルではなくて革靴になっている。首にはマフラーを巻いていたようだが、今は肩に掛けていた。
「こんにちは、ゴパル先生。冷えてきましたね」
ゴパルが合掌して挨拶を交わし、軽く首を引っ込めた。
「ですよね。首都から脱出できてほっとしていますよ」
カルパナがクスクスと微笑みを浮かべた。
「ナウダンダには霜が降りていますけれどね。シイタケのほだ木にはゴザを被せています。それとですね……」
少し言いよどんだカルパナだ。
「……レカちゃんが風邪をひいてしまいました。今回は不参加です」
ゴパルが両目を閉じて小さく呻いた。
「何となく予想はしていました。また徹夜でゲームをしてたのでしょうか」
カルパナが肩をすくめて苦笑した。
「そのようです。ですので、今回の料理の撮影は私が代わりますね」
そう言ってから、カルパナが背中を向けた。腰ベルトに一本の小さめの鎌が差してある。それを引き抜いてゴパルに手渡した。
「遅れてしまいましたが、ご注文の鎌です。私の物と同じですね。昨日はヤブツバキ苗の定植作業や雑草の刈り払いをしたのですが、よく切れました。ゴパル先生の鎌もよく切れると思います」
ゴパルが鎌を受け取って礼を述べた。
「ありがとうございます、カルパナさん。これでアンナプルナ街道でキノコや菌の採集が楽になります」
カルパナが嬉しそうに笑いながら、軽く釘を刺した。
「それは良かった。ですが、道草はほどほどにしてくださいね」
代金をその場でカルパナに支払ったゴパルが軽く頭をかいた。
「レストランに持ち込むのは気が引けますので、部屋に置いてきます」
ちょうどサビーナがロビーに顔を出した。コックコート姿だ。
「早く行ってきなさい、ゴパル君。すぐに始めるわよ」




