ポカラの新年祭
ネパールでは西暦を使わずにネパール暦を使用している。そのため、西暦太陽暦の新年を祝う習慣は無い。ちなみにネパール暦の新年は四月の中旬になるのだが、特に新年を祝う事はしない。
しかし、ポカラのレイクサイドやダムサイドでは西暦太陽暦の新年カウントダウンを行い、さらに年明けから五日間ほど新年祭を祝っている。もちろん、これは外国人観光客向けのイベントである。
今日は西暦太陽暦の元日の夜だ。レイクサイドとダムサイドの通りは歩行者天国になっていて、大勢の外国人観光客や地元客、それに学生達で賑わっていた。長さにして実に四キロ弱も続いている。
歩道から車道までレストランや茶店の野外席が進出していて、なかなかに歩きにくい。屋台も百店以上出ているので、余計に歩きにくい状況になっていた。
その野外席の一つでは、博士課程のラメシュ達がチヤを飲んで寛いでいた。ホテルや民宿、それにレストランや茶店が色とりどりにライトアップされていて華やかだ。インドやネパールの映画音楽もあちらこちらから流れて聞こえている。
「さすがに亜熱帯のポカラだね。夜になってもあまり冷え込まないな」
ラメシュがチヤをすすりながら、夜空を見上げた。レイクサイドの通りからはアンナプルナ連峰は見えず、ロープウェイがサランコットの丘を行き来している。
丘の頂上付近にある民宿街にも灯りが見え、サランコットの丘全体が地味にライトアップされているようだ。
フェワ湖もここからでは見えない。レストランや茶店等の建物が隙間なく建っているせいである。ただ、そのおかげで湖から吹いてくる涼しい風は届いていない。
小太り体型のダナがイスに座り直した。
「今の気温は十度だね。首都だと半分以下だろうなあ」
こじんまり体型のスルヤがチヤをすすって軽いジト目になった。
「研究が遅れてしまうよ。たださえ低温蔵に三交代で詰めないといけないのに、こんな祭りにまで強制参加とか……ちょっとありえないでしょ」
ラメシュが同意しながらもスルヤをなだめた。
「まあまあ落ち着けって、スルヤ。代わりにゴパルさんが低温蔵で留守番をしてくれているんだし。KLの実証試験畑の記録もしないといけないし、明日にはシイタケのほだ木が届く。遊びばかりじゃないよ」
ダナがポケットから数枚の割引券を取り出し、スルヤとラメシュに見せてニヤニヤし始めた。
「ラビン協会長さんから、こんなに割引券をもらったしなっ。使わなきゃ失礼ってもんだろ」
ゴパルの金欠状態は広く知れ渡っているので、仲間のラメシュ達も金欠に違いないという認識が広がっているようだ。実際、裕福ではない。博士課程の研究はそれなりに難しいので時間も多くかかる。そのため、アルバイト先も思うように探せない状況だ。
協会長がくれた割引券を、ラメシュが改めて手に取って見つめる。
「半分がホテルや民宿の宿泊代の二十%割引券だね。残り半分はレストランや茶店の十五%割引券か」
ダナがニコニコしながらうなずいた。
「部屋はルネサンスホテルにあるから、実質タダだよな。それに飯代の割引は大助かりだよ」
ラメシュが割引券をダナに返してチヤをすすった。
「あの部屋に三人で雑魚寝するのはなー……。パラグライダー割引特典のある、このホテルに泊まってみようかな」
しかし、スルヤが厳しい表情のままで否定的に首を振った。手にはスマホを持っていて、ポカラのホテルや民宿の今晩の空室状況を見せた。
「無理だな。そのホテルは満室だ」
がっくりと肩を落とすラメシュだ。身長が百八十センチあるのだが、背中を曲げて猫背になっている。
「うう……そうか。そりゃ残念だ」
ネパールでは年末年始は外国人観光客が帰国する時期になるために、観光地は閑散とする時期だ。このポカラの新年祭は、その閑散期の集客を見込んだイベントである。
そういう点では、イベントは成功だといえるだろう。地元ネパール人もイベントに誘われてポカラへ遊びに来ているので、ラメシュ達のようなネパール人の姿もかなり多い。これに学生も加わっている状況だ。
ダナがビールを注文しようとした時、カルパナが人混みの中から姿を現した。ラメシュ達を見つけて、にこやかに微笑んで合掌して挨拶する。
小ぎれいなサルワールカミーズに薄手のジャケットを羽織っている。大きな藤製の手提げバッグを肘にかけているので、配達の途中だったようだ。
「あ。ラメシュ先生とダナ先生、スルヤ先生ではありませんか。西暦太陽暦の新年明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いしますね」
ダナが注文を中止して、カルパナに合掌して挨拶を返した。
「カルパナさん、明けましておめでとうございます。こちらこそ、よろしくお願いしますね。ポカラの新年祭はこれが初めてですが、賑やかで楽しいですね。食事もいろいろありそうですし」
カルパナがキョロキョロしたので、ラメシュが察した。メガネをクイッと上げる。
「ゴパルさんは低温蔵で留守番ですよ。私達に気を使ってくれました。明日、KLの実証試験畑の記録をしたいのですが構いませんか?」
少し考えてから、話を続けた。
「それと、ナウダンダにシイタケのほだ木が届く予定です。詳しくは、後でチャットで知らせますね」
カルパナが快諾した。
「朝でしたら大丈夫ですよ。昼前にキノコや野菜、花を出荷する予定です。それまでの間でしたら喜んで」
そう言ってから、周辺の人混みに視線を移す。
「明日の昼から、この通りでダンスパレードが開催されます。そうなると、配達どころではなくなる騒ぎになりますから」
カルパナが言うには、ポカラ周辺に住んでいるグルン族やマガール族、プン族にタカリ族等が地域ごとに民族ダンスを披露するという事だった。
それに加えて小学生から大学生までの創作ダンスや、元楽師カーストだった人達による楽団演奏も行われるらしい。
興味を持ったのか、ダナとスルヤの二人が目をキラキラさせ始めた。ネパール人には踊り好きな人が結構多い。ラメシュも口元を緩めながら、スマホをポケットから取り出した。
「そんな行事があるんですね。ゴパルさんに山から下りてくるように誘ってみましょう。あ、ハローハロー。ゴパルさんダンス大会があるそうですよ。下りてきませんか?」
しかし、スピーカーモードになったスマホからはゴホゴホと咳の音が聞こえた。
「ごめん……ラメシュ君。風邪をひいてしまった。私の分まで楽しんできておくれ。低温蔵の仕事はちゃんとしているから安心して」
ラメシュが再び肩を落として、小さくため息をついた。
「隙あらば風邪をひいていますね、ゴパルさん。不摂生は良くありませんよ、お大事に」
カルパナも心配そうな表情で一言告げた。
「カルパナです。ゴパル先生、風邪をこじらせないように、ゆっくりしてくださいね」
ゴパルが申し訳なさそうな口調で礼を述べた。
「あっ、カルパナさんも居たのですか。心配してくださってありがとうございます。ラメシュ君達をよろしくお願いしますね」
ラメシュが電話を切って、スマホをポケットの中へ戻した。
「カルパナさん。何かお手伝いしましょうか? その手提げバッグの中はヒラタケですよね。私達はこの後ずっと暇ですよ」
ジト目を向けてくるスルヤとダナを無視して、ラメシュがにこやかな笑顔をカルパナに向けた。カルパナが少し考えてから、素直にうなずく。
「そうですね。では、一緒に見て回りましょうか。これからサビちゃんのピザ屋にヒラタケを届けに行きます。こんな人混みですので、自転車で運べなくて。その後でレカちゃんの屋台にも行ってみましょうか」




