行く年来る年
今日の仕事を終えて低温蔵の中で背伸びをしていると、民宿ナングロのアルビンがチヤを持ってやって来た。彼も完全装備の防寒着姿だ。頭の毛糸の帽子の大きさも過去最大になっている。
「ゴパルの旦那。チヤ休憩してはどうですか? 首都に戻らずにABCに残るって、気合が入っていますね」
ゴパルがチヤを受け取って、早速すすりながら垂れ目を細めた。
「これが本業ですからね。金欠ですので、首都に戻っても買い物できませんし」
アルビンがキョロキョロし始めたので、チヤをすすりながら微笑んだ。
「新年パーティ用の日本酒はここに用意してありますよ。全部で十リットルありますから、宿泊客とスタッフ全員に行き渡ると思います」
そう言って、ゴパルが足元から白いポリタンクを取り出した。
「瓶詰めをしていませんので、見栄えは悪いですね。研究用ですので勘弁してください」
たちまち目を輝かせるアルビンだ。十リットルの白いポリタンクを受け取って、満面の笑みになる。
「待ってました。日本酒ってあまり飲んだ事がないんですよ」
ゴパルが試験管とスポイトを取ってきた。
「では、ちょっと味見をしてみましょうか」
ポリタンクのフタを開けて、スポイトで日本酒を吸い取った。それを二本の小さな試験管に分注する。一本をアルビンに渡して、ニッコリと笑った。
「では乾杯」
チン、と小さな音で試験管で乾杯する二人だ。
そのままクイッと飲み干したアルビンが、満足そうな表情になった。
「へえ……果物の香りがするんですね。癖が全然なくて飲みやすいなあ」
ゴパルも一気に飲み干して、にこやかにうなずいた。
「初めてにしては上出来かな。コレは原酒をろ過して加熱殺菌しています。ですので苦味や雑味も感じられず飲みやすいですね」
その後は民宿ナングロで、観光客と一緒に年越しパーティに加わるゴパルであった。とはいっても保護地域なので花火大会は無しだ。今晩は電波状況も良くないので、テレビも映像がカクカクしてコマ送り状態である。
「なるほど。大晦日や新年のテレビ特番を見るには、下山しないといけないのか。スルヤ君が急ぐはずだ」
ゴパルが持ち込んだ日本酒は、もう既に飲み干されていた。スタッフがグルン族ばかりなので当然といえば当然だろう。まだ新年になっていないのだが仕方がない。今は民宿にあるウィスキーやビールで騒いでいる状況だ。
宿泊客もささやかな年越しパーティを楽しんでいるようだ。だが観光シーズンの最盛期を過ぎているので、人数は十数名ほどしか居ないが。
ゴパルがピザを食べながら一人で楽しんでいた。今はビールを飲んでいる。
「年越しなので、観光客は都市へ集まってしまうようですね」
アルビンがウィスキーをグラスに注いで持ってきた。いうまでもなく安い国産だ。
「花火やダンス大会、歌手やバンドのコンサートもありますからね。ここはここで素朴に楽しめますから、俺はABCでの年越しが好きですよ」
ゴパルがビールを一口飲んで同意した。
「そうですね。首都は騒々しいですからねえ……」
その時、ゴパルのスマホに電話がかかってきた。アルビンに断ってからスマホをポケットから取り出す。その液晶画面の表示を見て小首をかしげた。
「あれ? カルパナさんからだ。どうかしましたか?」
電波の状態が悪いので雑音と音飛びがしているが、カルパナの穏やかな声が聞こえてきた。
「いえ、その。ゴパル先生一人で寂しくないかなと思いまして……キノコや小麦は順調ですよ」
ゴパルが頭をかいて礼を述べた。
「お気遣いありがとうございます。こちらはひっそりと年越しパーティをしていますよ。低温蔵で仕込んだ日本酒が好評でした」
アルビンが察して席を外した。ゴパルも手を振って応え、カルパナとの電話に集中した。やはり音飛びがあるので、文脈を頭の中で想像しながらの会話になっている。
「西暦太陽暦の新年になって、ラメシュ君がABCへ到着したらポカラへ下りますね。今後、KLを使って行いたい栽培実験について、何か要望はありますか?」
雑音が混じる中で、カルパナが答えた。
「そうですね……やはりミカンとキノコ、それに小麦でしょうか。トマトとかの野菜は暖かくなってからですね」
キノコ好きだなあ、と感心しながらゴパルが了解した。
「分かりました。その分野の下調べをしておきますね」
その後は、サビーナやレカの話題を十分間ほどして通話を終えた。
ゴパルがスマホをポケットに突っ込んで、民宿ナングロから少し歩く。雪が積もっているので、ザクザクと足元で音がする。
満天の星空が広がっていて、いくつか白く輝く白い点がゆっくりと夜空を横切っていった。人工衛星だろう。
雪が深くなってきたので立ち止まって、アンナプルナ主峰の巨大な壁を見上げた。今は月明りに照らされて、ぼんやりと青白く光っている。
「この先は行かない方が良さそうだな。えっと……豊穣の女神様に飽きられないように、頑張りますね。チヤ休憩はしますけど」




