低温蔵の当番
ポカラのフェワ湖掃除をしてABCまで戻ると、ダナがジト目になって出迎えてくれた。
「遅いじゃないですか、ゴパルさんっ」
ゴパルよりも一足先に、交代で首都からやってきたスルヤも同じようなジト目をしている。
ゴパルがリュックサックを担いだままで頭をかいて謝った。息が白い。
「ごめんごめん。フェワ湖の掃除に加わる事になってね。でも、断るわけにはいかないだろ?」
まあ、その通りなので渋々了解するダナとスルヤだ。ゴパルが改めてダナに礼を述べた。
「私が留守の間、低温蔵の仕事をしてくれて感謝してるよ。ありがとう。もう西暦太陽暦の年末だね。首都に戻ってゆっくりしてください。実家には戻るのかい?」
ダナが小太り体型の腹をポンポン叩きながら、否定的に首を振った。丸顔に刻まれた細目の黒い瞳が、意思の光を帯びている。目の上のもっさりした眉もキリリと引き締められた。
「いいえ、戻る余裕は無いですね。溜まっている研究を進めないと博士号が取れなくなってしまいます」
そして、隣に立っているスルヤの肩を叩いた。
「じゃあ、後はよろしく。僕はこれからすぐに下山します」
言い終わるとすぐに低温蔵から小走りで駆けだしていった。そんな彼の後ろ姿を見送ったゴパルが、少し安堵の表情を浮かべる。
「ダナ君は高山病にかかりかけたけれど、無事に高地に適応できたようだね。良かった良かった」
そして、早くもどんよりした表情をして背中を曲げているスルヤに、努めて明るい笑顔を向けた。
「それじゃあ、今日の仕事を始めようか」
しかし翌日、再びポカラへ下りる事になってしまったゴパルであった。スルヤに平謝りしている。
「パメで、自家製種菌のヒラタケとオイスターマッシュルームの収穫が本格的に始まったそうなんだ。PDA培地を使って組織培養も始めるって話だから、行ってくるよ。本当に済まないね。一人で大丈夫かな?」
スルヤが大きなため息をつきながら了解してくれた。彼は身長が百六十センチほどで、こじんまりとした体型だ。おかげで他の博士課程の二人と比べて目立たない。
「はあ……構いませんよ、ゴパルさん。こうなる事は予想していましたから。でも、なるべく早く戻ってきてくださいね」
スルヤの四角い顔を見て、垂れ目の中の黒い瞳に力強くうなずくゴパルだ。彼も垂れ目なので、何となく同族という印象がある。
「分かったよ、スルヤ君。石の床が冷えそうだったら、私が買ってきた小さな絨毯を使っても良いよ。体調を崩して風邪なんかひかないようにね」
翌日の朝起きてみると、アンナプルナ内院に雪が積もっていた。チヤとビスケットを腹の中に入れながら、軽く肩を落とすゴパルだ。
「うむむむ……これだと、下山に時間がかかってしまいそうだな。早めに出発するか」
チヤをすすりながら、民宿ナングロのアルビンが素直に同意した。隣にはジト目になっているスルヤも居る。
「そうですね。新雪ですんで多少は歩きやすいと思いますけど、早めに出た方が良いでしょうね」
結局、その日は夕方になってジヌーに到着できた。温泉水のパイプ網は、ゆっくりとだが工事が進んでいるようだ。ヒラタケ栽培試験もほぼ終了していたので、その結果を夜中にまとめる。
夕食はディーロだった。それを喜々として食べ終えてから、シコクビエの焼酎をぬる燗ですする。ほっと一息ついた後で、仕事中のカルナを呼び止めた。
「カルナさん。ヒラタケ栽培の手応えはどうでしたか? 報告書に記載しますから、指摘や要望なんかありましたら言ってください」
カルナがビール瓶を客席の白人観光客に出してから、ゴパルの席へやって来た。彼女は厚手のジーンズに運動靴、それにやはり厚手のシャツに冬用のジャケットを羽織っている。さすがに息は白くなっていない。
「そうね……やっぱり、気温が低いとキノコが出にくいわね。これからの三ヶ月間は寒いから、次の実験はその後で頼もうかな。温泉のパイプ網の完成もいつになるか分からないし」
その通りにスマホにメモするゴパルだ。
「分かりました。報告書にそう書いておきます。ラメシュ君にも伝えますね」
カルナが思い出し笑いを浮かべた。
「そういえば、ダナ先生だっけ。太った先生が下山してきて、ここで夕食を食べてたんだけどね。ご飯が美味しいって、泣いてたわよ。ABCでの食生活、もっと何とかしなさい」
こうやって情報がアンナプルナ街道に広まっていくのか……としみじみ思うゴパルであった。




