パンいろいろ
サビーナが長さ五十センチ、太さ十五センチもある大きなパンを手に取って、パン切りナイフで切り分けた。
「これはイタリアのローマ地方の田舎パンね。枕みたいでしょ。」
サビーナの説明によると、汎用小麦粉と岩塩に卵、それに今回仕込んだ天然酵母だけを使って発酵させているという事だった。
「イースト菌と比べると発酵力が弱いから、時間をかけて二回発酵させてるのよ。発酵が十分進んだら、フスマ粉をまぶして石窯で焼いて出来上がり。ここにもいくつか石窯を作ってるわよ」
ゴパルがローマ地方の田舎パンを一口食べた。
「へえ……かなり柔らかいパンですね。見た目は本当に枕みたいなのに」
サビーナは次にクロワッサンを切って試食し始めた。
「コレは知っての通りフランスのパンね。ん。サクサク感が良くなったかな」
パクパクと食べながら、残念そうな表情をする。
「ドイツの黒パンやロシアのライ麦パンも作ってみたいんだけど、汎用小麦粉じゃ無理なのよね。全粒粉もなかなか入手できない状況だし」
カルパナもクロワッサンを口にして、二重まぶたの黒褐色の瞳を輝かせている。
「うん、良くなってるね。香りも良くなってるよ」
ゴパルは焼き菓子に興味が沸いたようだ。分厚い二枚貝のような形の焼き菓子を手に取った。
「これは何という名前ですか? あ、皮が固いですね」
サビーナがチヤをすすりながら説明してくれた。
「イタリアのナポリ地方で朝食に食べるスフォリアテッラね。クロワッサンみたいなパイ生地で、中にリコッタチーズとかカスタードクリームなんかを包んでるから甘いわよ」
ついでに、という事でもう少し話してくれた。
「伝承だと十七世紀ごろの修道院で作られたのが始まりみたいね。傷んだ小麦粉を再利用するために考え出されたのが由来」
そう言って、少し皮肉気味に話を続けた。
「そういう意味では、汎用小麦粉を使って焼いているのは正しい焼き方かもしれないわね」
ゴパルが説明を聞き終えて試食してみた。パリパリと固い皮が砕ける。
「あ、リコッタチーズでした。うん、確かに焼き菓子という印象ですね。結構甘いなあ」
サビーナがドーナツを指さした。彼女自身も同じドーナツを試食したばかりだ。
「それじゃあ、このチャンベラを次に試食してみたら? 朝食向けだけど甘さ控えめよ」
言われるままにドーナツを食べてみるゴパルだ。
「あ。控えめで良いですね。でもコレって、ドーナツにしては口当たりが滑らかですよ」
サビーナがフォカッチャと呼ばれるイタリア版のサンドイッチを食べながら、ニッコリと笑った。
なお、イタリアではフォカッチャはサンドイッチを指す事もあるのだが、柔らかいパンだけを指したりもする。
「チャンベラはローマ地方でよく食べられるわね。汎用小麦粉に茹でたジャガイモを加えて揚げてるのよ。コロッケみたいな感じでしょ。クリスマスの時期によく食べるって話」
さらに一口二口とフォカッチャを食べていく。
「今回、私が試食したかったのもコレ。まあ、汎用小麦粉を使っているけれど及第点かな。ジャガイモに助けられているわね」
カルパナもフォカッチャを食べ始めた。サンドイッチとは違い、食パンではなくて平たいパンを横に切って具材を挟んでいる。
カルパナが食べているのは、チーズとハム、それにサラダ用の葉野菜の具材だ。サビーナのはハムの代わりに鶏肉の薄いハンバーグを使っている。
「あ。これも天然酵母を使っていますね。口当たりが変わりました。これはこれで良いかな。朝食としては、こっちの方が好みかも」
ゴパルも最後に残ったフォカッチャを試食してみた。彼のはベーコンとチーズに葉野菜の組み合わせだ。
「あ……コレは学会の懇親会で食べた事があります。食パンのサンドイッチも好きですが、これもまた良いですね。ベーコンは少々臭いですが許容範囲かな」
サビーナがチヤを自身のカップに注ぐ。パンの試食なのでチヤの消費量が増えているようだ。
「イタリアだったらチヤじゃなくて、カプチーノとかエスプレッソを飲むんだけどね。フランスだったらカフェオレとか白ワインかな。ココアも好まれるけれど、ネパールじゃ寒くて栽培できないのよ。パンの試食という事で、チヤで我慢してちょうだい」
ゴパルが早くもフォカッチャを食べ終えて、チヤをすすった。
「ごちそうさまでした。朝食といえば、ピザ屋やネパール料理屋の他に中華料理屋もありますよね。中国人向けの朝食も考えているのですか?」
サビーナが否定的に首を振った。
「中華料理は専門外だから、担当シェフに丸投げしているわね。鶏粥と汁麺と点心で何とかなってるみたい」
その他についても話してくれた。
「和食は素材の調達が難しいから最初からメニューにないわね。後は、イスラム教徒向けの食材でハラル認証のモノを増やしている事くらいかな」
そういえばと、ゴパルがABCで会った中国人のマイケルについて話した。興味深くゴパルの話を聞くサビーナとカルパナだ。サビーナが腕組みをしてコメントした。
「投資目的であちこちに出没していると聞くわよ。ラビン協会長さんは反対していたけど、この間、ポカラにもカジノができたし。確か、シンガポールのカジノ会社って聞いたかな。金儲け第一主義って話だから、それを踏まえて付き合うべきだと思うわよ」
カルパナもサビーナの忠告に同意している。
「パメにも時々中国人の投資家がやってきますよ。レイクサイドにレストランやホテルを建てたいという話ばかりですね。湖畔の開発は法律で禁止されているのに」
フェワ湖畔は保護地域に含まれるので、住宅を含めての建築が禁止になっている。湖は約4平方キロの面積があり、湖を含めた湖畔地域の約6.5平方キロが禁止地域に指定されている。おおまかには、湖畔から65メートル以内が対象だ。
ただ、この法律の施行が遅かったために、湖畔には多くの建物が建っているが。ゴパルが定宿にしているルネサンスホテルも湖畔にあり、ピザ屋もそうだ。
なお、完全に禁止というわけではなくて、厳格な審査を通過すれば建築が許可される。なので、カルパナの認識は正確には正しくない。
サビーナとカルパナからの忠告を真摯に聞いて、メモ帳に記しておくゴパルだ。
「なるほど、分かりました。クシュ教授にも伝えておきますね」
パン工房を出て、空を見上げると夕焼けに染まっていた。ゴパルが軽くため息をつく。
「日が短くなりましたねえ……今晩は、ルネサンスホテルに泊まろうかな。ダナ君が文句を言いそうだけど」
カルパナとサビーナがゴパルの前を歩きながら振り返った。
「でしたらゴパル先生。明日は昼前のチェックアウトにしてみてはどうですか? 明日は朝からフェワ湖の掃除を行います。グルン族やマガール族の退役軍人さんも多く参加しますので、お酒が色々と飲めますよ。その後で、私がバイクでナヤプルまで送りますね」
カルパナに続いてサビーナも促した。
「そうしなさい、ゴパル君。この後、ピザ屋からホテルまでは、あたしがバイクで送ってあげるわね」
サビーナとカルパナのバイクは、ピザ屋の向かいにある駐輪場に預けてある。今はそこへ向かってレイクサイドの道を三人で歩いている所だ。夕方になったので、通りはさらに学生と観光客とで混雑し始めていた。
ゴパルが二人の申し出に素直に従った。
「そうなんですか。分かりました。私もポカラでお世話になっていますしね。掃除を手伝いますよ」
そう言ってから、先ほどの露天商と目が合って立ち止まった。
「あ、すいません、カルパナさんサビーナさん。買い物をしたいので先に駐輪場へ行ってください」




