パン工房
結局、カプレーゼだけを食べてピザ屋を出るゴパルであった。カルパナとサビーナがゴパルの前を歩いて、先ほどのトマトソースパスタの出来栄えについて感想を述べあっている。
ちなみに三人とも着替えていて、カルパナとサビーナはサルワールカミーズの上にジャケットを羽織っている姿だ。
トマトソースパスタは石窯を使って料理されたのだが、サビーナやカルパナの評価はよろしくなかったようだ。豚のひき肉を使ったのだが、これがレカナート養豚団地の産だった。加えて、汎用小麦粉を使っているので全体的に風味が弱かったというのが二人の感想である。
サビーナが豚臭い、豚臭いと連呼して腕を振り回している。その後ろ姿を見ながら軽いジト目になっているゴパルだ。
(豚なんだから豚臭いに決まってると思うけれどなあ……一口食べたかった)
レイクサイドの繁華街は、学生であふれ返ってくる時間帯に差し掛かっていた。外国人観光客や地元ネパール人の観光客も、オヤツの時間なのか多く出歩いている。
クリスマスの飾りつけがカフェやレストランに見られるので、改めて観光地なんだなと実感するゴパルであった。
ネパール人の大多数はキリスト教徒ではないので、当然ながらクリスマスは祝わない。外国人客を相手にするカフェやレストランで飾りつけをする程度だ。
それでも、鉢植えの小さな赤い木がゴパルの目に留まった。紅色をした葉が印象的だ。
「この赤い木だけは、私の両親の家でも飾ります。この時期によく出回るんですよね」
カルパナがゴパルに振り向いて、明るい表情で答えた。
「ポインセチアですね。クリスマスの花とも呼ばれています。私の店でも出荷していますよ」
サビーナが何か思い出したようだ。カルパナの両肩をつかんだ。
「忘れてた。私のレストランにも小さいのを十個くらい用意して。ネパール料理屋にも花壇があるから、そこにもお願い」
カルパナが穏やかに微笑んで答えた。
「もう準備しているから大丈夫だよ、サビちゃん。花壇の管理も私の店で受け持ってるから、クリスマス仕様にするね」
そんな二人のやり取りを後ろから見ていたゴパルだったが、ふと道端の露天商と視線が合った。小さな絨毯やカーペット、風呂場や台所に敷くようなゴム製の敷物を売っている。
「あ。ABCの部屋で使おうかな。コンクリートや石敷きの床に座ると冷えるからなあ……後でまた来るよ、オヤジさん」
露天商のオヤジがニッコリと笑った。顔つきからしてチベット系だ。
「おう。待ってるらー。牛糞先生」
「いや、だから、その呼び名は勘弁してください……」
サビーナが案内した先は普通のホテルだった。レイクサイドでよく見かけるような、四階建ての赤レンガ造りの建物だ。
異なる点は、一階部分のほとんどがパン工房になっている所だろうか。パンが焼ける甘くて香ばしい空気が、このホテル全体を包み込んでいるように思えるゴパルだ。
少しドヤ顔になったサビーナがゴパルに紹介した。
「ここが新設したパン工房。ポカラのホテル協会に加盟しているレストランやカフェ向けに、パンとか焼き菓子、ドーナツなんかを作ってるのよ」
感心するゴパルだ。
「相変わらず行動が早いですね。こんなに大規模だとは予想していませんでした。もうここまでくると、パン工場だと思いますよ」
工房長が出てきてゴパル達に合掌して挨拶をした。マガール族だと言う。中年の男なのだが、動作がキビキビしていている。
パン工房の主な従業員も同じマガール族のようだ。彼らも工房長と同じようにキビキビと働いている。
その様子の見て、何となく思い起こすゴパルだ。
(確かマガール族は、ポカラの南のシャンジャ郡に多いと聞いたっけ。集団行動が得意だという話だけど、なるほどね)
ちなみに、旧カーストではグルン族と同じく『酒飲み階級』だ。ゴルカ王国によるネパール統一の際に、軍に参加してグルン族と共に大いに活躍した。その功により、この階級になったという話である。
工房長がゴパルに礼を述べた。
「ゴパル先生、天然酵母の作り方を教えてくださって、本当にありがとうございます。おかげで様々なパンが焼けるようになりましたよ。微生物学研究室からいただいた十種類の酵母と組み合わせて、色々と試しています」
サビーナがゴパルの背中をポンポン叩いた。
「あれから早速導入したのよ。天然酵母に番号を振って、それをパン生地に応じて組み合わせて使ってる。フランスでいう所の『田舎パン』ね。好評みたいよ。十種類の酵母は、食パンとか菓子パンで使ってるわ」
早速、工房長がその田舎パンの一つを持ってきた。それを手早くパン切り包丁でスライスしていく。切り口のパン断面は、少し灰色がかっているようだ。
「全粒粉を使ってますんで、色合いが悪いですけど美味いですよ。どうぞ」
工房長がさらにバターやチーズ、それにチヤまで持ち出してきた。恐縮しながら受け取るゴパルだ。
「そこまでしてもらわなくても構いませんよ。お仕事の邪魔にならないか心配です。では、試食してみますね」
田舎パンにかじりつく。焼きがしっかりしているようで、バリバリとパンの皮が砕ける音がした。チヤを口に含んでパンを飲み込んだゴパルが、目を輝かせていく。
「美味しいですね。固いパンですが、中身が詰まっていて食べ応えがあります」
工房長が照れた。
「そうですか。朝方に来てくれたら、焼きたてを出せたんですがね」
サビーナも田舎パンにバターを塗って、チーズを乗せてバリバリ食べている。チヤを一口飲んでから軽く肩をすくめた。
「汎用小麦粉ってのが本当に残念よね。カルちゃん、頑張ってよ」
カルパナも田舎パンをバリバリ食べながら、困ったような表情を浮かべた。
「今回の栽培試験は麺用の小麦だってば。パン用は来年だよ」
このまま立ち食いするのは良くないので、工房長が会議室に案内してくれた。そこには、既に色々な種類のパンや焼き菓子、それにドーナツが用意されていた。チヤが入った大きな魔法瓶もある。
工房長が恐縮しながらゴパルに告げた。
「すいません、ゴパル先生。私は仕事がありますのでここで失礼します。感想や指摘がありましたら、遠慮なく知らせてください」
ゴパルが合掌して挨拶をした。
「忙しい中、わざわざ時間を割いてくださって、ありがとうございました。後は、私達でパンを楽しみますね」
工房長を見送ったゴパルが、サビーナに視線を戻した。
「もしかして、ピザ屋でパスタを食べさせなかったのは、このためですか?」
サビーナがカルパナと一緒になって、いたずらっぽく笑った。
「ただでさえ太ってるんだから、カロリー制限は必要でしょ。さて、チヤが冷めないうちに、パンを試食してみましょ。あたしも試食してないパンがあるのよね」




