カプレーゼ
リテパニ酪農からバイクで出立したカルパナとゴパルはポカラへ向かった。レカは寝不足できつそうだったので同行しないという事だった。駐車場でヘロヘロと力なく手を振って、バイクを見送っている。
「サビちゃんによろしく~。やっと眠れるー」
ヘルメットの中で苦笑するカルパナとゴパルであった。手を振り返してバイクを走らせ始めた。
「ゲームを徹夜でしなければ済む話なんですけれどね……ゴパル先生、今日は代わりに私が料理の撮影をしますね」
ヘルメットの中には無線通信機が組み込まれているので、楽に会話ができている。
ゴパルが肯定的に首を振った。今は両手をバイクの荷台の縁にかけているので、首を振る程度しかできない。舗装道路まで出れば、片手だけで縁を握っても問題ないのだが。
ちなみに今もカルパナのヘルメットから伸びている癖のある黒髪が、後ろに座っているゴパルのヘルメットをパシパシ叩いている。しかし、ゴパルはもう慣れてしまったようで平然としている。
「すいません、カルパナさん。私のスマホが完全にバッテリー切れになってしまいました。コンセントにつなげば使えるのですが……確か厨房の中って、空いているコンセントが無かったですよね」
カルパナが小首をかしげて、厨房の様子を思い起こした。鶏の群れが道路を横断し始めたので、スイスイと避けて走り抜けていく。
「……空いていませんね。掃除の時間帯でしたら都合がつくと思いますが、今は営業中です。私のスマホは余裕が残っていますから、コレを使いましょう」
ピザ屋に到着すると、早速サビーナが厨房から顔を出して手招きしてきた。手には真っ赤に熟したトマトがある。
「ちょうど良い時間に来たわね。さっさと作業着に着替えて入ってきなさい」
カルパナが困ったような笑顔をサビーナに向けた。
「レカちゃんは寝不足で来られないって。撮影は私が代わりにするよ」
サビーナがジト目になって口元を緩めた。
「どうせゲームのやり過ぎか何かでしょ。最近たるんでいるわよね、後でシバキ倒しておくか」
ゴパルとカルパナがいつもの白い作業着に着替えて厨房へ入ると、早速サビーナが手招きをして呼び寄せた。
厨房内は相変わらず大忙しの様子だ。前回試食した揚げピザが、どんどん揚がっていた。それをネパール和紙に包んで客に手渡している。他に、簡単なパスタやグラタンに大盛りのサラダが客に出され、普通のピザが石窯で焼かれている。
ピザのチーズが石窯の中で焼けている。その香りが厨房内に充満して、さらにピザが揚がる油の音も加わっている。
そんな大忙しの調理台の一角をサビーナが占領していた。
まな板の上には真っ赤に熟した完熟トマトと、リテパニ酪農産のモッツァレラチーズ、それにバジルの葉の山盛りが乗っていた。モッツァレラチーズは、前もって軽く水抜きを済ませてあった。
カルパナがスマホカメラを使って撮影を始めたのを確認して、サビーナが話し始めた。
「さて、今日も忙しいから手短に紹介するわね。今回はカプレーゼ。簡単な料理よね。本格的にKLを使ったトマト第一号って所かしら。味見したけれど、なかなか美味しいわよ」
早速、味のネタバレをするサビーナだ。カルパナが困った表情を浮かべて訂正する。
「サビちゃん。残念だけど、まだそのトマトは最初からKLを使ってないの。途中からだよ」
「ん、そうなんだ。それじゃあ、今回は『中途半端KLトマト』って事にするわね」
ゴパルが両目を閉じて呻いた。
「うう……事実ですが、どことなく悪意を感じますね」
ゴパルをからかって上機嫌になったサビーナが、包丁を使って手早くトマトとモッツァレラチーズとを少し厚めの輪切りにしていく。すぐに切り終わって軽く塩を振り、再度水気を抜いた。
それらを皿に盛りつけて、バジルの葉を結構多めに散らす。そしてコショウを振って、最後にオリーブ油をかけた。
「はい、完成。オリーブ油は、リテパニ酪農で今年採れたばかりのバージンオイルね。なので、この皿は全てポカラ産の材料でできてる。あ、塩コショウだけは別か。リテパニ酪農で歩き疲れたでしょ、食べた食べた」
そう言って、早くも白ワインをグラスに注ぎ始めた。銘柄はいつものバクタプール酒造だ。ゴパルが白ワインが注がれたグラスをサビーナから受け取って苦笑している。
「すっかり定番のワインになりましたね。ありがたい事ですが、扱いが軽すぎませんか? チヤみたいに飲んでいますよ」
サビーナがニヤリと笑った。
「テーブルワインってのは、こんな扱いなのよ。試食してみなさい」
ゴパルが白ワインをチヤのようにすする。その後で、フォークでトマトとモッツァレラチーズの輪切りを突き刺して、口に運んだ。その垂れ目が輝いた。
「お? カプレーゼってこんなに美味しいものでしたっけ?」
カルパナがスマホでゴパルの表情を撮影しながら、カプレーゼを一口食べた。ゴパルと同じように嬉しそうに微笑む。
「驚きました。天気が良くなったおかげもあるのですが、いつもよりも旨味が増していますね。バジルも風味が良くなってきました」
サビーナが最後に一口食べて、満足そうに微笑んだ。
「バジルもだけど、地味にモッツァレラチーズの風味も良くなってるわね。もしかしてこれもKLのおかげなのかしら、ゴパル君?」
ゴパルが早くも二切れ目を口に運びながら、軽く首をかしげた。
「どうでしょうか。KLの効果といっても、せいぜい水牛の胃腸の調子を整える程度ですよ。内臓そのものの調子が良くなったのは、別の要因だと思います。それが何かと聞かれても答えられませんが……」
サビーナがカルパナと視線を交わして、少し呆れ気味に微笑んだ。
「まったく……本当に商売の才能が無いのね、ゴパル君は。普通の営業だったら、ここで大演説をぶちかましてKLを売り込んでいる所よ」
ゴパルが三切れ目を口に運びながら、首を引っ込めた。
「兄や父からも、よく言われます……研究職ですから、別に構いませんよね?」
クスクス笑い合うカルパナとサビーナだ。
カプレーゼが盛りつけられた皿は、あっという間に空になってしまった。
厨房の当番シェフが物欲しそうな目をして、サビーナを見つめている。気づいたサビーナが、ゴパルの肩を布巾でパシパシ叩いた。
「あ、コラ、ゴパル山羊っ。一切れはシェフにあげるのが暗黙の了解なの。何一人で全部食べてるのよっ」
気づいたゴパルが慌てて、当番シェフに平謝りした。
「あ! そうでした、すいません、すいませんっ」
サビーナがジト目になりながらも、口元をかなり緩めてゴパルに告げた。
「罰として、これから作るトマトソースパスタは試食禁止ね。指をくわえて眺めていなさい、この山羊」
天を仰ぐゴパルだ。




