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アンナプルナ小鳩  作者: あかあかや
肥料も色々あるよね編
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事務所へ向かいながら

 ゴパルが眠っているレカを背負って、紅茶園から酪農場の事務所へ向かう。

 すると、途中で彼女の兄のラジェシュが駆け寄ってきた。レカをゴパルから受け取り、米袋でも担ぐように肩に乗せてカルパナとゴパルに謝った。

「すいません。レカが睡眠を削ってゲームなんかしてたせいで、こんな面倒をかけてしまいました」

 ゴパルがレカを担ぐ事から解放されて、首と肩を回しながらラジェシュに聞いてみた。ゴパルの方がラジェシュよりも少し背が高いのだが、筋肉量は明らかにラジェシュの方が上だ。なので、レカを担いでもびくともしていない。

「ラジェシュさん。先日会った際には、そろそろ牛の出産シーズンを迎えると聞きました。その準備のせいもあるのでは?」

 ラジェシュがレカを肩の上でバウンドさせながら明るい口調で答えた。もう完全に米袋扱いだ。レカがぐぎゃぐぎゃと小さく寝言を吐いている。

「うーん……それもありますかね。でもまだ今は通常営業ですよ。今回はこの愚妹がゲームをやりすぎて、寝不足になっただけですね」


 ラジェシュによると、牛の出産シーズンは西暦太陽暦の一月から三月にかけてという事だった。この期間は大忙しになるらしい。

 ただ、牛の本来の出産間隔は十四から十五ヶ月おきなので、出産時期をまとめるには苦労があるという話だった。

 ラジェシュが弱い癖のある長い黒髪を振り回して、二重まぶたの黒褐色の瞳をキラリと光らせた。

「今は出産を昼間に集中できるようになりました。寝不足の心配は不要なんですよ」

 ラジェシュが説明してくれた方法によると、出産予定日の二週間前から餌の量を調整するという事だった。夜間に八割、昼間に二割という具合にするらしい。


 せっかくの機会だからという事で、ラジェシュが色々と教えてくれた。袋みたいになっているレカを、肩でユサユサ揺らすのが楽しいらしい。

 牛の飼育では、濃厚飼料と呼ばれる穀物を中心とした餌と、粗飼料と呼ばれる草を主体とした餌とを組み合わせて与える。

 濃厚飼料では栄養補給が目的になるために微量要素も添加されている。牛の飼育で不足しやすい微量要素は亜鉛だ。次いでマンガンやヨウ素が不足しやすい。逆に鉄が過剰摂取になりやすい。

 乳牛でかかりやすい病気に乳房炎があるのだが、これに対してはビタミンAの大量投与で対処しているらしい。リテパニ酪農での目安は一日に五十万IUだ。


 出産の二十日前から餌を切り替えて、濃厚飼料に含まれる大豆製品を極力減らす。一日当たり三百グラム以下が基準という話だった。

 その分、コーンフレークや米ぬかを増量する。加えて、カリウム含有量を一%以下に抑える事も重要で、これによって乳房炎の発生を抑えるという。

 出産直前からは、さらに濃厚飼料の成分を変えて必要な栄養量をそれぞれ二割ほど多くする。これにより母牛の体力回復を促す。

 大豆製品だが、出産後もできるだけ与えない事が重要とラジェシュが話してくれた。乳房に過剰な負荷がかかるという理由で、代わりに米ぬかやフスマ、コーンフレークで対応するらしい。


 出産後からは十日間ほどかけて、出産時の濃厚飼料の組み合わせから泌乳時の組み合わせに変化させていく。この間、百から五百グラムほど炭酸カルシウムを餌に添加しているそうだ。

「出産用の部屋から群れ飼いの部屋へ戻すのは、出産後十日が目安ですね。こんな風に、結構忙しくなるんですよ」


 ゴパルがスマホで録音しながら、レカに同情した。レカもようやく目が覚めたようで、ラジェシュの肩の上で暴れ始めている。

「なるほど。かなり精密に餌の配合を変えるのか……レカさんが嫌がるわけですね」

 ラジェシュがニンマリと笑った。レカのパンチやキックがラジェシュの顔に何度もヒットしているのだが、全く平気のようだ。

「出産後もかなり餌に気を使いますよ。特に一番目の胃で発酵が過剰になると、牛の調子が悪くなりますね」


 濃厚飼料を多く与えるとそうなりやすいという話だった。目安としては、一回当たりの濃厚飼料の量を三キロ以下にするべきなのだが、これが難しいらしい。

「一日に二、三回に分けて餌やりをすると、時期によっては三キロを超えてしまうんですよね。整腸剤とか微生物資材を使っても、あまり効果は出ません。KLでも効果なしでした」


 対応策としては次のような感じらしい。

 サイレージのような発酵させた草を一日中与えて、牛がチマチマと少量ずつ食べるようにする。この発酵させた草に濃厚飼料をフリカケのように振って、一度に濃厚飼料を大量に食べないように誘導したという話だった。

 ラジェシュが太めで長い眉を上下させながら口元を緩めた。

「でも、粗飼料が多くなると栄養の吸収効率が下がってしまうんですよね。なかなか一筋縄ではいかないものです」

 牧草やサイレージに含まれている硝酸態チッソの量が多いと、せっかく添加したビタミンAやE、カロチンが破壊される問題も起きるらしい。

「ですので、化学肥料を使ったり、有機肥料を与え過ぎている牧草は、あまり使いたくないのが正直な所ですね。カルパナさんに牧草栽培も期待しているんですが、ちょいと難しいようで」

 カルパナが残念そうにうなずいた。

「耕作放棄地を利用しているのですが、網柵が足りませんね。放牧されている牛や山羊の餌になってしまいがちです」

 確かにウロウロしているよなあ……と同意するゴパルだ。カルパナが話を続けた。

「平地のテライ地域であれば、網柵で効率的に囲んで育てる事ができるのですが。山間地では段々畑を一つ一つ囲むので大変です」

 ラジェシュがレカのパンチを食らいながらニッコリと笑った。

「カルパナさんに以前も同じ事を言われたので、ブトワルの農家と組んで色々とやってます。徐々にですが、形になってきていますよ。後日、紹介しますね」

 ブトワルはポカラの南にある大きな街だ。テライ地域にあるので広大な平地が広がっている。


 カルパナさんの周りには、優秀な人が集まるんだなあ、と感心しているゴパルに、ラジェシュが視線を向けた。

「KLを牛の餌や水等に使っていますが、かなり良い結果が出てきましたよ。詳しい話は父が話すそうですので、楽しみにしておいてください」

 レカが肩の上で無駄に跳ね動きながら、ニマニマ笑いをゴパルに投げかけた。今はスマホ盾を装備していなくても平気のようである。

「牛糞溜まりの中へ飛び込んだ成果よねー。やるじゃんーゴパルせんせー」


 複雑な思いをしているゴパルに、ラジェシュが話を続けた。

「濃厚飼料はこんな風に色々と面倒ですので、少しでも減らしたいのが本音です。牛にカボチャやバナナも与えていますよ」

 母牛には厚さ一センチくらいに輪切りにしたカボチャを三、四枚毎日与えているそうだ。離乳した子牛にもサイコロ大に切ったカボチャを与えていると言う。このカボチャは一抱えもあるような大きな品種のものだ。バナナも朝夕一本ずつ食べさせているという話だった。


 ゴパルが感心して聞いている。

「研究熱心ですね。日本ではビールの発酵カスを与えている農家があると聞いた事があります」

 ラジェシュが肩で暴れるレカを地面に下して、少し困ったような表情で笑った。レカを下したので安心したのか、いつもの挙動不審な動きが発生し始めている。

「以前に試してみたのですが、ハエが大発生して大変でした。発酵カスってハエが好みますね。今では使っていません。栄養価の面から見れば優秀なんですけどね」

 ゴパルの提案が見事に粉砕されてしまったので、落胆している。そんな姿を見たラジェシュが、苦笑気味に愛想笑いを浮かべた。

「めげずに色々と提案してください。情報網は大きい方が良いですからね」


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