パメの冬トマト
西暦の太陽暦十二月も第三週後半ともなると、さすがにポカラでも冷え込んできた。
ゴパルが厚手のジャケット姿で背伸びをしながら、冬至に近い昼過ぎの日差しに垂れ目を細めた。朝方に発生していた霧も、今は晴れていて青空だ。今はカルパナと一緒にパメの段々畑の道を上っている。
「それでも気温が十数度あるんですね。ABCはもう氷点下ですよ」
前を歩いていたカルパナが振り向いた。少し心配そうな表情をしている。彼女も今は野良着版のサルワールカミーズにジャケットを羽織った姿だ。足元はいつものサンダルだが。
「温度差に注意してくださいね、ゴパル先生。風邪をひいてしまいますよ」
ゴパルがニッコリと笑って答えた。
「今は低温蔵に、博士課程のダナ君が貼りついていますから大丈夫ですよ。私が風邪で数日間寝込んでも研究に支障は出ません」
ダナと言われて少し首をかしげていたカルパナだったが、数秒ほどで思い出したようだ。両手をポンと合わせて叩いた。
「ああ、ダナ・タパ先生ですね。丸顔でしたので覚えています。彼も少し太っていましたよね。アンナプルナ街道の上り下りは大丈夫でしたか?」
ゴパルが両目を閉じて口元を緩めた。
「察しが良いですね、カルパナさん。ABCへ登ってきた日は、そのまま疲れて寝込んでいましたよ。高山慣れも今回はしていなかった様子で、いったんマチャキャンプ……あ、MBCでしたね、そこまで下りてもらいました。今は元気ですよ」
そして今度はゴパルが申し訳ないという表情になった。
「リテパニ酪農でのKLを使った環境改善の記録という事で、ポカラへ下りてきましたが……カルパナさんも忙しいのにわざわざ案内してくださって、ありがとうございます。今は冬野菜の出荷最盛期でしょ?」
前を歩いて登っていたカルパナが、ゴパルに振り返って後ろ向きに登り始めた。足取りが軽い。
「確かに忙しいですが、ビシュヌ番頭とスバシュさんに多くを任せていますので余裕は残っていますよ。隠者さまからも、あちこちに首を突っ込むなと釘を刺されてしまいましたし」
話しながら何か思い出したようだ。再びポンと両手を合わせた。
「ああ、そうそう。隠者さまがゴパル先生の無事を祈願していましたよ。ご友人のチベットのお坊さまから天気予報の関連で何か頼まれたそうです」
ゴパルが目を点にした。
「ん? もしかすると天気予報をしてくれた在野のチベット僧かな? 私はその僧には会った事がありませんが、隠者様と友達だったのですね。へえ……やはり世間は狭いなあ」
カルパナが気楽な表情で微笑んだ。
「狭いですよね、実際。トマト畑に着きました。朝の収穫後ですので、完熟トマトは多分無いと思いますが……畑の中へ入ってみましょうか」
ゴパルがトマトの株を見て感心した。
「うわ……トマトが鈴なりじゃないですか」
カルパナが照れながらトマトの葉を手に取った。
「トマトは乾燥気味の気候に向いていますから。朝方に霧が出るとさらに良く育ちますよ。KLは栽培の途中から使い始めていますが、見ての通り良い結果につながっています」
ゴパルもトマトの葉を手に取って、スマホで撮影を始めた。その様子を見ながら、カルパナが軽く肩をすくめて、いたずらっぽく微笑んだ。
「ですが、作業員さんが生ゴミボカシを直接根元にまいたり、野犬に掘り起こされたり、野ネズミの巣になりかけたりしましたけれどね。よく枯れずに育ったと、私も感心しているんですよ」
ゴパルがようやく理解したようだ。頭をかいてカルパナに謝った。
「あ。初期の実験で使ったという、遊びで栽培している畑ってここでしたか。本当に、このトマトには酷い事をしてしまいました。ひとえに私の無知のせいですね。枯れずに育ってくれて私もほっとしました」
カルパナがニコニコしながらトマト畑の中に入った。しばらくの間何か探していた様子だったが、すぐに見つけたようだ。
「あ、ここに朝の収穫を逃れた完熟トマトがありました。形が悪くて小さかったので残ったのですね」
そのトマトを株からもいで、そのままゴパルに手渡す。
「どうぞ。土埃が付いていますので、拭いてから食べてくださいね」
「ありがとうございます。では失礼して……」
ゴパルが言われたようにして、赤く熟したトマトにかじりついた。その垂れ目がキラキラと輝く。
「うわ……美味しいですねっ。カブレのトマトよりも風味が強いというか、濃いというか」
カルパナも一つトマトをもいで口にした。二重まぶたのパッチリした目が、ゴパルと同じようにキラキラしてくる。
「良い出来です。乾期に入りましたので甘みも増えていますね。サビちゃん向けに調理用のトマトをたくさん植えているのですが、これならサラダ用のトマトを増やしても良さそうです」
ゴパルには調理用とサラダ用のトマトの違いが分からない様子だったので、カルパナが簡単に説明してくれた。
「色々と違いがあるのですが、サビちゃん基準で言うと調理用は水分が少なくて、サラダ用は多いという所ですね。これは調理用ですが、サラダにも使える品種です。ですので、皮や果肉が少し固めでしょ」
言われてみればそうかな……? と考えるゴパルであった。彼にとっては、あまり違いが分からないようだ。
ネパール料理でもトマトの輪切りのサラダや、トマトを使って煮込んだ料理があるのだが、今まで特に気にしていなかったらしい。とりあえず、試食させてくれた礼をもう一度カルパナに言った。
「美味しいトマトが実ると分かると、KL開発側としても嬉しくなりますね。研究室での実験では化学肥料しか使っていなくて、味の違いがあまり分からなかったのですよ。ありがとうございます」
化学肥料だけを使っても、きちんとした肥培管理を行っていれば栄養価と風味の高いトマトが実るのだが……いかんせん、ゴパルやクシュ教授は専業農家ではない。
ゴパルがトマトの株の育ち具合を見ながら聞いてみた。
「カルパナさん。この冬トマトですが、いつまで収穫を続けるのですか? 夏のトマトは、かなり大きく育っていましたよね」
カルパナがトマトの株を見上げて答えた。
「トマトは基本的に花房が六、七段つくまで育てますね。それ以上育つと、トマトの収穫量が鈍ってしまいます。トマトは実るのですがコストがかかるばかりになるので、株を引き抜いて収穫を終了します。ですが、冬トマト全体の収穫は来年の雨期が始まるまで続きますよ」
ゴパルがトマトの畝を見ながら考えた。
「という事は、二、三週間おきに新しくトマト苗を畑に植えているのですね」
ゴパルの確認に素直にうなずくカルパナだ。
「はい、そうです。トマトは連作障害が出る作物ですから、畑の割り振りには気を使います」
カルパナが自身のスマホを見た。
「レカちゃんの所へ行くまで、もう少し時間がありますね。シスワまでバイクで行きましょうか。ちょうどイチジクの苗を畑に植えている頃です」
ゴパルが明るく答えた。
「はい、お願いします」




