天然酵母の種菌つくり続報 その一
そこへ、新しいコックコートに着替えたサビーナがロビーに顔を出した。置物のように突っ伏しているゴパルとカルパナを発見して、声をかけてくる。口元がニヤニヤしているようにも見える。
「おーい、カルちゃん、ゴパル君。寝ている暇はないわよ。空き時間ができたから、ちょっと付き合いなさい」
厨房は掃除中だったので、地下室へ向かうサビーナ達三人だ。ゴパルが地下室を見回すと、大きなワイン貯蔵庫が最初に目に映った。他にチーズや葉巻の専用貯蔵庫もある。羨望のため息をつくゴパルだ。
「さすがレストランですね。本格的な貯蔵庫です。私の研究室にあるのは旧型でして、よく壊れるんですよ」
実はゴパルが言うほど旧式ではないのだが、調子がおかしくなるのは事実だ。そのたびにゴパルが修理したりプログラムを修正したりしている。
サビーナが穏やかに微笑みながらも、軽く肩をすくめた。
「これでもまだ小さすぎるけれどね。レストランだったら、少なくとも赤白あわせて一万本は貯蔵しておきたいのよね」
カルパナがコホンと小さく咳ばらいをした。
「サビちゃん。ナウダンダの地下室に大量に保管しているでしょ。ここは、一時保管庫って言ってたじゃない」
サビーナが口元を緩めた。
「ワインの事を考えたら、ナウダンダにもレストランを開きたいわね。森にも近いから野生キノコも手に入りやすいだろうし」
そんな雑談を少ししてから、サビーナが作業台の上にいくつかの広口ガラス瓶を置いた。瓶のフタにはガス抜き用の穴が作られていて、それに細いチューブが差し込まれている。チューブの先は水を入れたボトルの中に突っ込まれていて、ポコポコと泡が上がっていた。
「ゴパル君がやった講習の後で、レカっちと一緒にいくつか試作してみたのよ。どうかな?」
干しブドウ、干しイチジク、リンゴ、オレンジ、レモン、イラクサ、バナナ、ヨモギ、バジル、パパイヤと並んでいる。
ゴパルがそれらの広口ガラス瓶を順番に見ていきながら感心した。さらにチューブの先に鼻を近づけて、それぞれの瓶の臭いをかいでいる。
「手あたり次第に実験していますね。とても良い事ですよ。ん? パイナップルやトウモロコシ、アスパラ、食用菊もありますね。収穫時期から外れているのに。ローズマリーやツツジの花は乾燥品を水で戻したのかな」
サビーナが得意げに微笑んだ。
「細胞を凍結破壊しない冷凍庫に入れて保管してるのよ。試作品だから、時々故障してるけどね。レストランで年中使える素材って貴重だし」
ゴパルが思い出したようだ。
「ああ、そうでしたね。ポカラ工業大学の試作品でしたっけ」
サビーナが軽く肩をすくめて笑った。
「日本や欧米の会社との技術提携研究って話だけどね。冷凍させる食品ごとに、水分量とか細胞の特徴があるから苦労してるみたい」
ゴパルが納得した。
「なるほど。その食品ごとの基礎データの収集目的で、ここに置いているのですね」
サビーナがニッコリと笑った。
「そういう事。で、発酵具合はどうかな? あたしとしては、上々だと思う。パンやピザの発酵も上手にできたし。やっぱり果物の酵母が発酵しやすいわね」
ゴパルが満足そうな表情でうなずいた。
「私も上々だと思いますよ。具体的な菌種や菌数は専門の機器を使って測定しないと分かりませんが、見た感じとしては良好ですね。香りもそれぞれの瓶で違いますし、組み合わせて使えば特徴のあるパンやピザができるはずですよ」
サビーナがカルパナと視線を交わして、ほっと安堵した。
「専門家にそう言ってもらえて良かった。酵母菌の組み合わせは、発酵が強い酵母菌と香りの強い酵母菌とでやってみるわね」
カルパナが二つの広口ガラス瓶を指さした。
「カルナちゃんにも手伝ってもらっています。これは野生の柿ですね。黒カルダモンの生果実もありますよ」
ゴパルがそのガラス瓶を見て首をかしげた。
「野生の柿ですか? 栽培種の柿は確か日本の種苗会社が販売していますが、ネパールに柿があったんですね。あ……でも緑色で小さいな。未熟果ですか?」
カルパナが穏やかに微笑んで答えた。
「ハルワベットと呼ばれていますよ。涼しい森の中に自生していますので、カブレでは見かけないのかも。緑色ですが、これで完熟果です」
へえ……と聞き入っているゴパルに、サビーナが口を挟んできた。
「あんまり美味しくないのよね、コレ。野生のイチジクもそうだけど。面白い酵母菌が採取できる事を期待してるわ」
ちなみに野生のイチジク果実も試そうとしたそうなのだが、果肉の中にたくさんの虫の幼虫が入っていたので諦めたらしい。冷凍すれば虫は死ぬのだが、今度は死骸が残ってしまう。この野生のイチジクは葉を家畜の餌にするので、農家で栽培されていたりする。




