小麦畑
タマネギ畑の次は、まだ何も植えられていない畑に向かう一行であった。クシュ教授が首をかしげてゴパルに聞く。
「ここは何を植える予定なんだね?」
ゴパルが答えるより先に、カルパナが参加者に振り返って説明を始めた。
「この畑では小麦栽培の実験をする予定です。化学肥料や農薬は使わずに、KLを使った有機肥料を使っての実証試験ですね」
ゴパルがカルパナの説明を聞きながら、クシュ教授に告げた。
「という事です。クシュ教授」
カルパナが説明を続ける。
「小麦の種子は、バクタプール大学農学部のゴビンダ先生が開発した品種を使います。赤サビ病といもち病に強い品種だそうです」
再びゴパルが告げた。
「という事です。クシュ教授」
クシュ教授がジト目になった。
「本当に博士号をとった助手なのかね、君は」
首を引っ込めて恐縮しているゴパルの姿をチラリと見たカルパナが、危うく吹き出しそうになっている。辛うじて我慢した彼女が、コホンと小さく咳ばらいをした。
「今回は麺用の品種ですね。パン用の品種ではありません」
参加者が一斉にどよめき始めた。質問が急に増えて、カルパナの説明が中断されてしまった。ゴパルが参加者の勢いに驚きながらも、同情して腕組みをした。
「ですよね。汎用小麦粉って不味いですしね」
クシュ教授もその点に関しては異論ないようだ。
「そうだな」
畑ではケシャブ達が少し緊張した面持ちで作業を始めた。二つの班に分かれて、最初の班が土ボカシと細かく砕いた生ゴミボカシとを畑にまき、続く班が小麦の種をまいている。
カルパナがケシャブ達の作業を見ながら、参加者に解説した。
「この畑はおおよそ千平方メートルあります。一か月前に、鶏糞肥料を五百キロ撒いて五センチの深さで耕しています。植物質の堆肥と青刈りした雑草も二トンほど入れています」
参加者がスマホで写真や動画を撮影し始めた。その様子を見ながら、カルパナが話を進める。
「今日は、種まきと併せて土ボカシと生ゴミボカシをまいています。合計で二百キロほど使っていますよ」
ゴパルが小声で唸った。
「やはり小麦栽培では、たくさんの肥料を使うんですね」
カルパナが種まきをしている作業員達に視線を向けた。
「小麦の発芽には土がある程度湿っている方が良いので、前日に畑に水をまいています。小麦の種は、KL培養液を水で千倍に薄めたものに浸してあります。この作業が終わった後に、もう一度水をまく予定です」
そして参加者に視線を戻して、軽く肩をすくめて微笑んだ。
「小麦は在来種ではありません。品種改良を施したものです。それに、定期的に小麦の遺伝子を活性化させたり沈静化させる薬剤を散布します。ですので、有機農業とは呼べませんね」
しかし、参加者達は興味津々の表情のままだ。その一人がカルパナを励ました。先程までクシュ教授と談笑していたので、スリランカ人だろう。肌の色が黒い人ばかりなのだが、この人はとりわけ黒い。
身長はゴパルと同じくらいの百七十センチほどだが、がっしりとしたあごが印象的な四角い顔をしている。髪には少し癖があり、それを七三に分けている。見た目は少し迫力があるのだが、口調は至って気さくだった。
「そんな事を気にする必要はありませんよ、カルパナさん。我々も汎用小麦粉には辟易しているんですから。風穴を開けるのは大歓迎ですよ」
彼の英語もインド訛りが無く、とても流暢だ。どちらかといえば英国の英語かな、と思うゴパルであった。
他にブータン人やインド人もカルパナを励ましてくれた。タイ人は商談の可能性があるかどうか、早速スマホでどこかに電話し始めている。
そんな参加者の反応に、カルパナが照れた。
「ありがとうございます。私もようやく小麦栽培への挑戦ができます。ちょっとドキドキしていますよ」
カルパナがスマホで時刻を確認して、困ったような表情になった。
「思ったよりも時間が経ってしまいましたね。そろそろルネサンスホテルで昼食会の準備が整う頃です」
少し離れた段々畑に視線を投げた。
「時間が余れば、近くのミカン復活事業とか、酪農場や紅茶園も見て回りたかったのですが仕方ありませんね。では、ホテルへ戻りましょうか」
ぞろぞろと参加者がカルパナに引率されて段々畑の坂を下っていく。その中に混じりながら、クシュ教授がゴパルにニッコリと笑いかけた。
「なかなかしっかりしている嬢さんだな。ゴパル助手には少々もったいないくらいだわい」
ゴパルが軽くジト目になった。
「何しに来たんですか、もう。クシュ教授」
まさか、かあさんの差し金か……? と勘繰ったゴパルだった。が、クシュ教授の性格を考えて、これは彼の独断だろうなあと思い直したようだ。




