霧の季節
この時期になると、ガンジス川中流域からネパールのテライ平原にかけて濃霧が発生する。
酷い時には十メートル先も見えにくくなる程だ。飛行場では視界が二キロ以下になると、規則により全てのプロペラ飛行機の離発着が禁止される。朝から晩まで一日中濃霧に覆われるため気温も急激に下がり、最低気温が七度にもなる。霧吹きを全身に浴びながら、ちょっとした冷蔵庫の中に居るような感じだ。テライ地域の標高は100メートルから200メートルの間なのだが、標高800メートルくらいのポカラよりも寒くなる。
旅行や仕事で行く際には、できればこの時期は回避した方が良いだろう。
「それは大変ですね、ちょっと失礼」
ゴパルがスマホを取り出してチャットを起動させた。カルナも参加しているので、彼女の安否の確認を行う。既にカルナとレカがチャットで情報を交換していて、さらにサビーナやカルパナも加わっていた。頭をかくゴパルだ。
「あらら……私だけ知らなかったみたいです。下山準備で忙しかったので、昨日の晩からチャットを確認していませんでした」
アルジュンがゴパルのスマホ画面を見て、不安な表情になった。
「パイプの品定めと注文は済ませたとチャイ、カルナから知らせがあったので戻ってくるだけなんですがね……そのバスが運休になっちまったようでして」
ゴパルが腕組みをして呻いた。
「そうなのですか。困りましたね」
視線をスマホに戻して、チャットの履歴を追っていく。と、ゴパルの目が点になった。
「カルナさん、歩いて霧から脱出するって書いていますよ」
アルジュンが苦笑いを浮かべた。
「知ってます。霧はテライ地域の平野部だけなのでチャイ、山に入れば晴れていますからね。ここジヌーも晴れていますし。霧を抜ければチャイ、山を走る路線バスが走っています。それに乗って帰ってくるそうです」
感心して聞くゴパルだ。
「凄い行動力ですね。驚きました。あ、でもブトワルは山地に近いから、それほど歩かずに済むのかな」
新しいチャット文が表示された。カルナからだ。その文面を読んで同情の表情を浮かべるゴパル。
「山に入ったそうですが、まだバスに出会っていないと書いています。タンセンの町近くまで行かないといけないのかな」
タンセンはブトワルとポカラとの間にある山の上の古い町だ。ヒマラヤ山脈はほとんど見えないのだが、観光地として人気である。
運休しているバスに対してカルナが文句を書き連ねていくのを見ていると、不意にラメシュからもチャットが届いた。その文章を読んで、ゴパルも不安な表情に変わった。
「げっ。首都でも霧が発生したそうです。うわ……クシュ教授、無事にポカラまで飛べるのかな」
ラメシュの書き込みによると、霧はこの先一、二週間ほど続くらしい。彼が政府機関の水文気象部の気象予報局が発表した、月間予報を引用している。それを見て、ゴパルがアルジュンに首をすくめながら顔を向けた。
「濃霧が長期化するという予報が出てますね。歩いて帰るのは正しい選択だと思います。一週間くらいかければ、ポカラまで歩いて到着できますよね」
チャットでもカルナがこの月間予報を知って、盛大に文句を書きなぐり始めていた。ラメシュもクシュ教授が首都に居残ると、何かと面倒が起きるとか何とか書いている。
そして、何気にこの二人は意気投合してしまったようだ。今度は一緒になって、予報を出した気象予報局に文句を書き始めた。
それを読んだゴパルがチャットをそっと終了した。
「天気予報って難しいんですよね。天気予報してくれたチベット仏教の坊様に、私も一度助けられましたし……でも、テライ地域は予報の守備範囲の外ですよね」
ゴパルの独り言に近いつぶやきを聞いたアルジュンが一言告げた。
「聖さまですか。今はアンナプルナ街道には居ないそうですよ。冷えてきたのでチャイ、暖かい場所へ移ったのではないかナ」
ゴパルが軽く呻いた。
「渡り鳥みたいな坊様ですね」




