ガンドルンへの道
ビレタンティは川沿いの谷に広がる集落だ。比較的広い谷になっていて、棚田や段々畑も大きい。
農家も鉄筋コンクリート製の柱に、レンガの壁という、ポカラでよく見かける造りのものが多い。道は相変わらず泥道なのだが、集落の中を通る間だけは石畳になる。
道の両端には、石垣や生け垣が設けられていて、放牧されている水牛や白い雌牛、それに山羊の群れが、中に入れないようにされていた。
人や車が出入りする場所には、ちょっとした門がある。門といっても扉ではなく、丈夫な木の棒を、数本ほど水平に、石垣に差しただけの簡素なものだが。
しかし、出入りのたびに横木を石垣から抜き差しするのは面倒である。そのため、通用口として、石垣の石の間に平たい石板を挟み、階段状に組んでいる。この石板の階段を上って、石垣を乗り越えるという手順だ。
たまに器用な山羊が、この階段を上ってしまうという事が起きる。
農家や民家の庭先には、バナナが育っていたりしている。しかし、さすがに気温が低いので、それほど大きく育ってはいないようだ。
小型四駆車の窓から、外の景色を眺めていたゴパルの表情が、ふと曇った。
枯れ木が立ち並ぶ段々畑や、中庭が目立ってきた。全てミカンの木であった。枯れてから年月が経過している木もあり、つる性の草で、全体が覆われている。
「カンキツグリーニング病か……こんな田舎でも起きているんだな」
よく見ると、他にパパイヤの木も枯れているのが多い。パパイヤは木が腐りやすいので、根元だけしか残っていないものばかりだ。
隠者の主張も理解できるゴパルではあるが、こういった無残な現状を見ると、育種学による遺伝子組み換えや、ゲノム編集したミカンを応援したくなる。
もちろん、人が食べて害が出ないかどうか、環境に悪影響が出ないかどうか等の検査は必要だ。
「しかし、育種学の人達って、微生物の能力を、過小評価している所があるんだよねえ……」
実際、病気に対しての抵抗力を強化した新品種が、次々に誕生している。しかし、その多くは、結局、病原菌とのイタチごっこに終始していた。
車が放牧水牛を追い払って、路傍の石を跳ね飛ばした。ガタンと大きく揺れる。車の屋根で、鶏と子山羊が鳴いた。
乗客もすし詰め状態で席に座っているので、互いの肩が容赦なく当たる。しかし、このような事は、日常茶飯事なので、誰も文句を言わずにじっと押し黙っているが。
小型四駆車は、泥道をゆっくりと走っていく。ビレタンティを通り過ぎてからは、谷が深く狭くなり始め、モディ川の轟音が、よく聞こえるようになってきた。エンジン音も相当に騒がしいのだが。
棚田の大きさが次第に小さくなっていき、段々畑の占める割合が増えてきた。
とはいえ、ビレタンティ等の農村から離れた畑なので、手間のかかる葉野菜は植えられていない。ウリが目立ち、新たに耕してジャガイモを植えた畑も多い。水田も見える。
一方で、ミカン畑だった所は、全て枯れていた。辛うじて生きている木も、葉が黄緑色に変色している。かなり弱っている木ばかりのようで、枝や幹にはコケやキノコが生えていた。
もう一つゴパルの表情を曇らせる風景があった。
「耕作放棄地が、ここでもかなり多いのか……」
集落から離れた段々畑を主にして、何も栽培されていない農地が見える。
草だらけになっている畑もあれば、既に灌木までもが生えて、森に戻りつつある畑もある。灌木には、ドングリが実る樹種が混じっているようだ。
これはこれで有効利用できるので、少し微妙な気持ちになるゴパルであった。
アンナプルナ地域では、ポカラの市街地化が進むにつれて、街での仕事が増えてきている。
農業よりも、街で働いた方が稼ぎが良いので、農村からの人口流出が起きているのだ。今では、国際空港がポカラにあるので、海外への出稼ぎも便利になっている。
それに、アンナプルナ地域でも、金を持っている外国人観光客を相手にした、民宿や食堂で働いた方が、収入が良い。
(実際に、ラビン協会長さんも、今後ホテルやレストランが増えていくと予想していたっけ)
と思い起こすゴパル。
「便利になったら、なったで、過疎や耕作放棄地なんかの問題が起きるものだね」
もちろん、ゴパルが野外調査に向かうような辺境の地でも、海外や首都への出稼ぎが多い。ただ、何時間も歩いたり、バスを乗り継いだりして、苦労して行かなくてはならない。
そうなると、休みだからといって、気軽に帰省する事は難しい。そのため、山村に残る者には、空き家や、老いた家族が残る家の世話をする、地元での仕事ができる。仕事報酬は、出稼ぎ労働者の稼ぎの中から、いくばくかを得るという形式だ。
ビレタンティからガンドルンにかけての集落では、仕事が多いために、報酬の多い方へ集中しているのだろう。家から離れた農地で農作業しても、報酬は多くない。
そのような事を考えていると、つづら折りの上り道になった。
運転手がギアを四駆に切り替える。ギアボックスがガリガリと音を立てた。どうやら、今までは燃料を節約するために、通常の二輪駆動だったようだ。
雨は相変わらず降っていて、上り道は泥の川みたいになっている。そんな道を、ウンウン唸りながらゆっくりと上っていく。
「……これは」
ゴパルの頭の中に、嫌な予感が急速に膨らんできた。そして、間もなく、それは現実のものとなった。
ギュルルルルル……ギュルル……
車のタイヤが空回りし始めた、かと思うと、それっきり前に進めなくなってしまった。泥のぬかるみにタイヤが沈み込んで、滑っているのだろう。
運転手が毒づくのと、ゴパルがため息をつくのとが同時に起きた。運転手が、客席に顔を向ける。グルン族の顔で、厚そうな一重まぶたの目だ。太い眉毛が、ピコピコと上下に動いている。
「すまねえな。降りて引っ張ってくれ」




