紅茶園
リテパニ酪農から紅茶園までは歩いていけるのだが、それでもヨロヨロしているレカだ。
「あ~う~……疲れるう~。さっきまでー、茶摘みやら製茶やらやってたからーもうしんどい~」
さすがにゴパルが忠告した。
「運動不足が続くと太ってしまいますよ、ほら私のように」
ゴパルの腹を見たレカが頭を抱えた。
「いーやーだー。生ハムになんかーなりたくないーぎゃー」
生ハム扱いされたゴパルが、頭をかきながらカルパナに助けを求めた。クスクス笑っていたカルパナが、レカに一つ提案する。
「断食しながら、その間に塩抜き油抜きの食事をすれば嫌でもやせるよ、レカちゃん。パメの家で巡礼者と一緒に断食する?」
レカが天を仰いで悲鳴を上げた。
「ぐぎゃぎゃあああ……断食もいやー」
バフンやチェトリ階級の女は気軽に断食をする。神様へお祈りするためや、身内に不幸が起きたためと理由も様々だ。
ただ、チヤや果物は無制限に摂る人も居るので、ダイエットにつながるかどうかは、その人次第だろう。
そんな話をしている間に紅茶園に到着した。数名の作業員が茶摘みをしていて、レカに合掌して挨拶してくる。
レカもこの時ばかりは真っすぐに立って、きちんと合掌して挨拶を返した。そのすぐ後に、また背を丸めてヨロヨロし始めたが。
「秋茶摘みも、これで最後ー。明日か明後日くらいに、枝の剪定と間引きをするんだよなー。また駆り出されるー」
ゴパルとカルパナに作業の説明をしながら、作業のグチも忘れずに付け加えるレカであった。カルパナがレカのグチに穏やかに相づちを打ちながら、茶の葉に触れた。
「葉の張りが良くなってるよ、レカちゃん。ワックス層も厚くなってる」
そして、視線をゴパルに向けた。
「酪農排水にKLを使っていますから、効いてきたのでしょうか? ゴパル先生」
ゴパルも茶の葉に触ったのだが、彼には違いが判らなかった様子だ。小首をかしげて答えた。
「んー……私には判別できません。すいません。来年の新茶の芽吹き具合で判断した方が良いと思いますよ」
レカもグチを言うのを止めて、茶の葉を摘み取って眺めている。
「言われてみればそうかなー。排水が臭くなくなったからー、ドバドバ使ってるのよねー。そのせいじゃないかなー」
ゴパルとカルパナが改めて紅茶園の空気をかいだ。確かに悪臭は全く感じられない。
ゴパルが周囲を見回すと、紅茶園の他には収穫を終えた水田しかない。河岸段丘に近い場所に竹で組んだ簡易ビニールハウスが一つ見えるだけだ。
紅茶園の柵の外には、放牧されている牛や山羊の群れがのんびり草を食んでいる。視線を北に向けると、アンナプルナ連峰の東半分がデンと自己主張してそびえ立っていた。
「確かに、こういう水田地域でしたら排水を気兼ねなく使えますよね」
カルパナが紅茶の木の根元の土を取って、その臭いをかいだ。
「キノコの香りが強くなっていますね。土も少し柔らかくなってきているような……」
その土をゴパルに手渡した。ぎこちない動きで土を受け取るゴパルだ。彼も土の臭いをかいでカルパナに同意した。
「……そうですね。土壌の微生物の種類が変化し始めています。キノコというよりはカビの仲間が増えている状況ですね」
土を元の場所へ戻したゴパルが、真面目な表情でレカに顔を向けた。条件反射でスマホ盾を構えるレカだ。
「レカさん。カビの仲間は水を弾く傾向があります。それと、有機物を大食いする傾向もありますね。枯草でも構いませんので、茶の根元に刈り草を敷いてあげてください。それで土壌が保湿されて、カビの食欲が刈り草に向かいます」
カルパナがレカに補足説明した。
「カビって、ほとんどの種類は作物に危害を加えないんだけど、中には病原性のカビもあるのよ。刈り草を敷く事で、カビをカビで抑える……って感じにするの。やってみて」
レカがフラフラしながらも素直に了解した。
「わかったー。バカ兄にそう伝えるー」
あくまでもレカ自身は働かないつもりのようである。
レカは自身のスマホで何度も時刻を確認していたのだが、予定の時刻に達したようだ。茶畑を散策しているゴパルとカルパナに、嬉しそうな声で告げた。
「時間になったー。もどろーもどろーもどりましょー」
ゴパルとカルパナがレカの居る場所へ戻り、一緒にリテパニ酪農へ歩き始めた。今までの気だるいレカが一転して、スキップしてニコニコしている。
(ラジェシュさんも大変だろうなあ……)
そんな感想を抱いたゴパルが、丘の上に建つリテパニ酪農の牛舎を見上げた。青空とアンナプルナ連峰とが背景にあって、一枚の絵のようだ。
「病原菌で思い出したのですが、水牛も飼っているのですよね? レカさん」
レカがスキップを続けて、ゴパルとカルパナの周囲を回りながら上機嫌で答えた。スマホ盾も今は必要ない様子だ。
「そうだよー。何頭居るかは忘れたー。ギーが美味しいのよ、ギーが」
酪農家の娘として、家畜の頭数を知らないのはどうかと思ったのだが、口には出さないゴパルとカルパナであった。ゴパルが話を続けた。
「口蹄疫っていうウイルス病があるのですが、予防のためにワクチンを接種する事が義務づけられています。インド製の安いワクチンを使っているのですが、行き渡っていますか?」
レカは当然のように知らないので、代わりにカルパナが答えてくれた。彼女も真面目な表情になっている。
「レカちゃんのような酪農場には行き渡っています。ですが、それ以外の貧しい農家には残念ながら……時々、集落内で口蹄疫が流行して深刻な被害が出ていますね」
口蹄疫は蹄の数が二本の家畜で流行するウイルス病だ。人には感染しないのだが、コレに感染した家畜は生き残っても牛乳や肉の生産量が落ちてしまう。
ウイルス自体も長期間家畜の糞を介して外に放出され続けるため、基本的にはワクチンを接種して予防する。
発病後は殺処分する事が推奨されているのだが、零細農家では守られない事が多い。なお、日本のような口蹄疫の汚染国ではない場合では、発病後は強制的に殺処分される。
ゴパルが腕組みをしながらうなずいた。
「やはりそうですか。カブレの町でも時々流行しているのですが、ポカラでも同じなのですね。クシュ教授に知らせておきます」
レカがスキップをまだ続けながら、最後にカルパナに抱きついた。疲れたらしい。
「ぜーぜー……ピザ屋には、後でわたしも撮影しに行くー。今回は分厚いピザなんだってー、楽しみー」
見事に口蹄疫の話の腰を叩き折ってくれたレカに感心しながら、ゴパルが笑いかけた。
「そうですか。では、もう少しお腹を空かせておいた方が良さそうですね」




