翌日
結局、ラメシュ達三人の部屋は一部屋しか確保できなかった。民宿ナングロのオヤジのアルビンが、大きな毛糸の帽子を手でかきながら謝っている。
「すいませんね、ゴパル先生。今はまだ観光シーズンの最盛期なもので。部屋が小さくて三人分のベッドが入りませんので、床で寝てもらう事になります」
ゴパルがビスケットと卵焼きを食べ終え、チヤを飲み干してから垂れ目を細めて笑った。
「それで十分ですよ。断熱シートの上で眠れば問題ありませんし」
そう言ってから軽く膝の屈伸運動をして、足首を回した。
「ではラメシュ君達三人を出迎えに、ポカラへ下りますね。何かありましたら、気軽に電話やチャットしてください」
ゴパルが下山を始めたのは、外国人観光客達が移動を終えた後になった。低温蔵に設置している測定機器の調整を行って、その記録をつけていたためだ。
そのため、マチャキャンプもといMBCへ下る間は、広大な枯れた草原の風景を独り占めできている。かなり喜んでいる様子だ。
(よく見ると、登山道に何名も観光客の姿が見えるんだけどね。しかし、何度見てもマチャプチャレ峰の北は絶景だな。登りたくはならないけれど)
今日も雲一つ無い快晴なので、黒ずんだ青空を背景にしてそびえるマチャプチャレ峰の雄姿がはっきりと見える。今は足元の草原が枯れて茶色と黒色ばかりになっているので、ゴパルの周囲も落ち着いた雰囲気だ。
それが、白銀に光る氷雪の白銀と漆黒に沈む岸壁のマチャプチャレ峰の色合いと馴染んでいて、絵画のような趣になっていた。
MBCは素通りして、そのままヒンクの洞窟まで下る。洞窟の茶店にはまだ数名の外国人観光客の姿があったが、忙しい時間帯は過ぎたようである。茶店のオヤジに手を振って挨拶をするゴパルだ。
「こんにちは。冷えてきましたね。チヤを一杯お願いします」
オヤジがニコニコしながら答えた。彼の服装も本格的な冬用ダウンジャケットに変わっている。
「おお、ゴパル先生かい。ポカラまで下るんら? チソあるよ、チソ」
ゴパルがニッコリと笑った。
「そうですね。今日はセヌワで泊まる予定ですので、少し余裕があります。チソも一本くださいな。コクでもイスプライトでも良いですよ」
ネパール語訛りで発音すると、こんな感じになる。オヤジがコーラを箱の中から取り出した。
「んじゃ、コクにするぼ。ビスケットはどうするら?」
ゴパルがうなずいた。
「小パックで一つお願いします。セヌワまでの道中で食べ歩きしますよ」
チヤはヤカンからガラスコップに注ぐだけなので、すぐにオヤジがコーラと一緒に持ってきた。チヤを受け取ったゴパルが早速すする。
視線を渓流の向こう側にそびえる絶壁に向けた。緑が全く見当たらなくなっていた。代わりに赤い葉の高山植物が目立ってきている。
「ここもすっかり草が枯れましたね。ABCと違って、あまり日が差さない場所ですから冷え込みが厳しいのではありませんか?」
ゴパルからABCという単語を聞いて、少しがっかりするオヤジだ。アンナキャンプというゴパル独自の名づけ方を気に入っていたのかも知れない。
「だな。雪が積もると雪崩も起きやすくなるぼ。アンナプルナは死の山でもあるんで、本来の姿ってヤツだぼ」
そういえば、アンナプルナ連峰は国内で最も登山隊の死者数が多かったなあ、と思い出すゴパル。
(カルパナさんもABCより上には行くなと言ってたし……気をつけよう)
ゴパルがチヤとコーラを飲み干して、代金をオヤジに手渡した。
「オヤジさんが勧めてくれたレイクサイドの仏具屋で、仏旗をいくつか買いました。ABC近くの仏塔に奉納しています。ポカラで追加の仏旗を買った方が良いでしょうかね」
オヤジがニコニコしながら、代金を腰ベルトに付けているポーチの中へ突っ込んだ。
「ゴミになるから、もう不要だぼ。あとは気が向いた時にチベット寺院に詣でて、坊様に果物でもあげれば十分だら」
ヒンクの洞窟の茶店を後にしたゴパルは、急な下り坂を軽い足取りで下りていく。
(うん。ずいぶんと下りるコツがつかめてきてるな。荷物が軽いおかげもあるけれど、これなら早めにセヌワに着きそうだ)
しかし、結局途中の竹やぶの中で菌の採集をしてしまったのであった。おかげで、セヌワに到着したのは夕方近くになっていた。
カルナが仁王立ちして、ホテルセヌワという民宿の玄関の前でゴパルを出迎えてくれた。
「おそーい! また道草食ってたわね、この山羊はっ」
平謝りするばかりのゴパルである。
「すいません、カルナさん。ついつい足が竹やぶに向かってしまいました。それで、私に荷物を預けるのですよね。何ですか?」
カルナが軽くため息をついてから、気持ちを切り替えて目元を和ませた。口元はへの字のままだが。
「ラプシの実よ」




