マルゲリータピザ
サビーナによる料理の実演が始まった。レカも撮影を始め、挙動不審な動きが再び収まった。
「マルゲリータピザっていう名前には、正しくはイタリアのナポリ産の材料と調理技法を使ったピザという定義があるのよ」
サビーナが軽く首をすくめて微笑んだ。
「ポカラではポカラ産の材料を使っているから、この定義から外れるわね。だから『ナポリ風のピザ』って呼ぶ事にするのでよろしく」
ゴパルが小首をかしげた。
(今までは散々マルゲリータピザと言っていたのに?)
その様子を横目で見ていたレカがニンマリと笑った。それで理解するゴパルだ。
(あ。レカさんが調べたのか。なるほど)
「ちなみに、水牛のモッツァレラチーズを使った場合は『エクストラ』マルゲリータピザって呼ぶ店もあるんだけど……名前が長くなって面倒だから却下するわね」
ゴパルが口元を緩めながら了解した。
「イタリア人って本当に水牛乳が好きなんですね」
サビーナもクスリと笑った。
「そうね。私達ネパール人やインド人も大好きだけどね。澄まし油のギーなんか、水牛じゃないとダメとかうるさい人が多いし。フランス人は山羊乳が大好きかな。シェーブルっていう山羊乳のチーズとか人気よ」
続いてレカのスマホカメラに顔を向けて、調理台の上の材料を指さした。
「では材料の紹介。小麦粉は安い汎用のヤツね。風味も何も無いクソッタレな汎用小麦粉だけど。まあ、これしかないので仕方ないわね」
ゴパルがチラリとレカを見た。レカがジト目になりながら、指でハサミの形をしてゴパルに見せる。後で編集するのだろう。
サビーナがお構いなく紹介を続けた。
「モッツァレラチーズはポカラのリテパニ酪農産。トマトとバジルもポカラのパメ産ね。酵母菌は、ええと、首都のバクタプール大学の微生物……なんだっけ? ゴパル君」
ゴパルが頭をかいて両目を閉じた。
「農学部の微生物学研究室です。すいません、長い名称で。それと、その酵母菌は元々ビール醸造用の品種なんです。それもすいません」
カルパナがクスクス笑っている。
「微生物学研究室は確かに長いですね。何か短い愛称や略称にすると良いと思いますよ、ゴパル先生」
サビーナも小さくため息をついて同意した。
「そうね。何か考えておきなさい、ゴパル君。えっと……材料はこんなものね。じゃあ、始めるか」
サビーナが簡易調理台の上に大きなボウルを置いて、その中に汎用小麦粉を入れた。
「これは、焼き上がりの直径が二十二センチのピザ一枚分の材料。汎用小麦粉は目の細かいザルで振るって、塊を潰して粉に戻しておく事」
これに、粉状の酵母菌を小さじ一杯分と、粉ミルクを小さじ半分、白砂糖を小さじ半分、砕いた岩塩粉を小さじ一杯、リテパニ酪農産の無塩バターを十グラム加えて混ぜ、最後にぬるま湯を注いでかき混ぜていく。
「ぬるま湯の量は七十五CCかな。小麦粉の塊ができないように、よく混ぜる事。混ぜ終わったら、手で丸めて一まとめにする。ボウルにラップを張って、室温で三十分間以上寝かせるの」
サビーナがゴパルに聞いた。
「ねえ、ゴパル君。三十分くらいじゃ、発酵しないかしら」
ゴパルが素直にうなずいた。
「そうですね。ガスの発生はまだ起きないかと。一晩くらい様子を見た方が良いと思いますよ」
サビーナが同じく素直に納得した。
「そうよね。発酵用の棚を買おうかな。常温で良いから、冷蔵庫じゃなくても構わないし。さて、今回は撮影用なので、一時間寝かせた生地に差し替えるわね」
そう言って、ボウルを別のモノに差し替えた。やはり発酵はまだ盛んではない様子で、生地の大きさも同じくらいだ。
「汎用小麦粉を使ってるけれど、やはりピザ専用の小麦粉が欲しいわね。小麦粉ってパンや麺、ピザ用に専門化されたモノがあるのよ。カルちゃんには期待してるわね」
カルパナが困ったような表情になった。
「頑張ります。農業開発局や育種学研究室にも相談しているから、もうしばらく待って」
サビーナが差し替えたボウルのラップを外して、一まとめに丸めていた生地を取り出した。
「普通は麺棒なんかを使って薄く伸ばすんだけど、撮影って事だからファンサービスするかな」
サビーナが右手の手の平の上に生地を乗せて、クルクルと回し始めた。あっという間に生地が遠心力で引き伸ばされて、薄くで円形状のピザ型の生地に整形されていく。
おお……と皆が感心する中で、少しドヤ顔になるサビーナだ。
「大きさと生地の厚さはこんなものかな」
整形された生地を耐熱皿の上に置いた。見事な薄い円形に仕上がっている。
「ナポリ風だからね。それっぽくしてみた。ナポリのピザは、これの他に分厚い生地もあるけれど今回は薄いヤツ。さて、最初にトマトソースを分厚く塗るわね」
本当に分厚くトマトソースを塗っていく。ほとんど、石窯の耐火レンガをつないだ耐火モルタルのような塗りの厚さだ。
それを、石窯の中へ入れて焼き始めた。鉄製の扉を閉めて、ふう、と汗を拭くサビーナ。
「温度は四百度で、まず三分間焼く。この間に、モッツァレラチーズを輪切りにして、バジルの葉をちぎっておくわね」
モッツァレラチーズは水牛の蹄の形に似ていて、真っ白で可愛らしい。それを容赦なく包丁で輪切りにしていく。バジルの葉も大量にちぎった。ほとんど一人前のサラダの分量である。
そして、その作業を終えて少し経ってから、サビーナが調理台の上に置いてある自身のスマホを見た。
「ちょうど三分経ったか。それじゃあ、生地を取り出すわね」
サビーナが鉄製の扉を開けて、石窯の中から半焼けのピザを取り出した。素手で触るとヤケドするので、薄い鉄板に柄を付けたパーラーを使って耐熱皿ごと引き出している。
それを再び、濡れタオルを敷いた調理台の上に置いた。濡れタオルから湯気が立ち上る。
「トマトソースが良い感じに焼けているわね。石窯だから火の通りが早くて助かる。では、盛りつけるわね」
輪切りにしたモッツァレラチーズと、ちぎったバジルの葉を全て乗せた。その上から塩コショウを振る。
「こんな感じね。今回は基本の盛りつけだけど、サラミやハムとか輪切りにしたソーセージ、マッシュルームを加えて、好みのチーズを色々足しても良いかな」
興味深く聞いているゴパルに、ニッコリと微笑むサビーナだ。
「肉の代わりに魚の缶詰を使っても良いわね。ハーブもオレガノとかタイム、ディルなんかを使うと香りが違ってくるからお勧め。で、オリーブ油を容赦無くかけるのがイタリア風」
サビーナがそう言いながら、半焼けのピザ生地を再び石窯の中へ突っ込んだ。鉄の扉を閉める。
「仕上げだから、一分間だけ焼けば良いかな。石窯を使うと簡単で速くできるから嬉しいわね」
焼いている間に、手早く調理台の上を掃除してしまうサビーナだ。目をキラキラさせているカルナに微笑んだ。
「石窯に使う薪は、基本的には雑木で十分よ。だけど、カルナちゃんの集落だったらクヌギやナラの木が生えてるかも知れないわね。それらは香りが良いのよ。植林しても良いから考えてみて」
カルナが腕組みをして首をひねった。
「ドングリが実る樹種ですよね、サビーナさん。耕作放棄地が増えてますから植林も良いですね。長老達に相談してみます」
そんな話をしている間に焼けたようだ。サビーナが今度はスマホで時間を確認もせずに、石窯の鉄扉を開いた。
そのままパーラーを差し込んでピザを耐熱皿ごと引き抜いて、濡れタオルの上に置いた。ジュウと水が沸騰する音がする。
サビーナが満足そうな表情を浮かべた。ピザの隣にバクタプール酒造の白ワイン瓶を置く。冷蔵庫の中で冷やしていたので、瓶とラベルの表面に早くも水滴が付き始めていた。
「ん。良い焼き上がりね。それじゃあレカっち、撮影して」
「はいな~」
レカが接写している間に、サビーナが厨房の当番シェフに合図を送った。
「お邪魔したわね。石窯を使っても良いわよ」
ウイ、シェフ!
再びネパール語訛りの返事が厨房内に響いた。
サビーナが人数分の試食用の小皿と、ナイフにフォーク、それに白ワイン用のワイングラスを調理台の上に用意していく。
「さて、さっさと食べるわよ。店はまだランチタイム営業で大忙しだからねっ」




