キノコ談義
民宿のロビーに戻ってきたカルナとカルパナに案内されて、ゴパルが民宿のそばに建っている倉庫へ向かう。
扉を開けて中の様子を見たゴパルが、満足そうにうなずいた。生分解性のプラスチック袋に入った三つの菌床が、天井から吊るされていた。床に置いておくと、ネズミ等が袋に穴を開けてしまう恐れがあるためだ。
「さすがカルパナさんですね。申し分ない仕上がりですよ」
倉庫の中は荷物であふれ返っているのだが、きちんと場所取りをしていた。カルパナが照れている。
「ありがとうございます、ゴパル先生。種菌が一つでしたので、三つしか菌床を作れませんでした」
カルナが両手を腰に当てて、倉庫内を見まわした。
「初回だからこれで十分よ、カルパナさん」
そう言ってからゴパルに顔を向けた。
「しばらくして菌糸が張ったら、菌床を近くの親戚の家に置かせてもらう予定。この倉庫じゃ埃まみれになっちゃうものね」
菌床の状態を接写して撮影記録したゴパルが同意した。
「それが良いでしょうね。くれぐれもネズミの食害には注意してください。袋を開けた後は、できるだけ暖かい場所で培養してください。それと乾期で空気が乾いていますから、一日一回は霧吹きで水を与えて湿らせてくださいね」
カルナが素直にうなずいた。
「分かったわ、ゴパル先生。これで先生も一応仕事ができたって事かな」
ゴパルがスマホをポケットに突っ込んで、照れながら頭をかいた。
「そうですね。こんなに早く終わるとは思っていませんでした。カルパナさん、ありがとうございます」
カルパナも照れて笑っている。
「いえいえ、そんな。間違えた内容を教えていないと分かって、私もほっとしました」
一方のカルナは、腕組みをして何か考えている様子だ。
「……暖かい場所か。この温泉宿で一番暖かいのは、もちろん温泉なんだけど……温泉の近くにはキノコ菌床を置けるような空き場所は無いな」
そして、じっとゴパルの顔を見た。思わずたじろぐゴパルだ。
「ゴパル先生。温泉の源泉を宿までパイプで引いているんだけど、このパイプを熱源にしても良いかな? これなら、うちの宿の中でもキノコ栽培ができるかも。親戚の家にもパイプを引いてるし」
ゴパルが素直にうなずいた。
「できると思いますよ。要は、十分な温度さえ確保できれば済む話ですから。配管は専門家に相談してくださいね。私は素人ですので」
カルナがなおも色々と考えながら、うなずいた。
「建築屋はナヤプルに何軒かあるから、ちょっと相談してみるか」
そして、カルパナに視線を向けて軽く謝った。
「ごめんね、カルパナさん。うちの宿にも温泉を引いてるんだけど、厨房と一番高い客室の風呂に使ってるだけなのよ。その客室には客が泊まってるし」
カルパナがにこやかに微笑んで両手を振った。
「外の温泉の方が、私は好きですよ。山の上の方では黄葉も始まりましたから、それを眺めて楽しめますし」
ゴパルが首をかしげて、恐る恐るカルパナに聞いた。
「カルパナさん。水着持ってるのですか? ポカラのホテルにプールとかありましたっけ」
カルパナがクスクス笑いながら答えた。隣のカルナは軽蔑の視線をゴパルに突き刺しているが。
「いえ、沐浴服ですよ。部屋着にも使えて便利です。それから、ポカラの星付きの高級ホテルでは、どこもプールが備わっていますよ。私は行きませんけどね」
沐浴服というのは、大きなワンピース型をしている。ヒンズー教では、水浴びや川に浸かる礼拝形式があるので、それに対応した衣服だ。
なお、男の場合は上半身裸になって、白い腰巻だけを着ける人が多い。
カルパナが自身のスマホを取り出して時刻を確認した。
「そろそろポカラへ戻ろうかな。今日の夕方なのですが、サビちゃんがピザ屋の石窯を使ってピザを焼きます。レカちゃんが撮影するのですが……お時間がありましたら、見に行きましょうか?」
ゴパルが少し考えてからニッコリ笑って許諾した。
「それも良いですね。実はABCが大忙しでして、低温蔵の建設が停滞しているんですよ。暇な時間ならありますので、誘いに乗りますよ」
嬉しそうに微笑むカルパナだが、すぐにコホンと小さく咳ばらいをした。
「工事が停滞しているのを、喜んではいけませんね。すいません。カルナちゃんはどうする?」
カルナがニッコリと笑った。
「当然行きますよ、カルパナさん。ついでに、野生キノコを売りたいですし」
キノコと聞いて、カルパナの二重まぶたの目がキラリと輝いた。
「野生キノコですか。今の時期はどんなキノコがあるの?」
ドヤ顔になるカルナだ。
「クロラッパタケとエノキタケですね。先日森の中で見つけて採ってきたの。今は天日干ししてます。もう乾いた頃じゃないかな」
カルパナがカルナの両肩をガッシリとつかんだ。
「見に行きましょう!」
ゴパルが両目を閉じて小さく呻いた。
(ポカラへ着くのが、少し遅れそうだな)
キノコは、ジヌー温泉ホテルの屋上で天日干しされていた。セヌワにたくさん生えている細竹を使って編んだゴザの上に、バケツ三杯分ほどの量で乗っている。カルパナが大喜びで駆け寄って、香りを楽しみ始めた。
「さすが森のキノコですね。香りがとても良い感じです。クロラッパタケは、確かサビちゃんも料理で使うと言っていた記憶がありますよ」
カルナが念のためと前置きして、注意を促した。
「知ってるかもしれないけれど、必ず火を通してから食べてくださいね。干しただけだと、食中毒にかかる事があるから」
カルパナが当然という風にうなずいた。
「基本ですよね。サビちゃんも分かっているので、大丈夫ですよ」
と、ここで頭の中を何かよぎったようだ。ゴパルに質問してきた。
「ゴパル先生。米国の有機農業団体長のジェシカさんがよく仰るのですが、マッシュルームだけは生で食べても大丈夫とか。本当ですか?」
ゴパルが腕組みをして少しの間考え込んだ。
「欧米の人は、サラダに生のマッシュルームを入れて食べますね。ネパールでは生食しない方が良いと思います。栽培環境がかなり不衛生ですし」
カルパナが素直に了解した。
「アバヤ先生も同じ事を仰っていました。サビちゃんには気の毒ですが、必ず火を通してもらうように徹底しますね」
ゴパルも専門職の興味が湧いた様子で、干されてカラカラに乾いたキノコを手に取って眺め始めた。
「野生のエノキタケでしたら、組織培養できる可能性がありますね。PDA培地ではなくて、別の培地を使う必要があるかもですが。クロラッパタケは難しいかなあ……」
ニコニコしながら二人の話を聞いていたカルナが、腰まで真っすぐに伸びている黒髪を片手でサッと払った。
「そうか、それじゃあクロラッパタケを大切に守った方が良さそうね。栽培できないなら高く売れるだろうし」
カルパナがクロラッパタケとエノキタケを両手に持って、香りをかぎ比べながらカルナに顔を向けた。心底キノコの香りを楽しんでいるようだ。
「カルナちゃん。これを全部サビちゃんに売りに出すの? キノコ料理ってかなり多く使うみたいだから、多分全量買い取ってくれると思うけれど。私の家でもキノコ料理を巡礼客に出すから、余った分は買いますよ」
クロラッパタケがバケツ二杯分、エノキタケが一杯分くらいだろうか。カラカラに乾燥しているので、水に漬けて戻すと、倍くらいには量が増えそうだ。
カルナがニコニコしながらカルパナの申し出を了解した。
「多分、サビーナさんが全部買っちゃうと思いますけど、余ったらお願いしますね」
そして、ニコニコしながら視線をゴパルに向けた。
「という事だから、全部運ぶのを手伝ってね、ゴパル先生」
ゴパルがキノコを竹ゴザにもどして、両目を閉じた。
「そうなるだろうと予想していました。今回の私の荷物は少ないので、ポカラまで喜んで受け持ちますよ」




