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アンナプルナ小鳩  作者: あかあかや
肥料も色々あるよね編
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出発

 結局カブレには、兄のケダルが運転する車に乗って向かう事になったゴパル父と母であった。現地には夜明け前に到着しないといけないので、今は深夜だ。

 いつもこの時間帯は、遠距離トラックくらいしか走っていないのだが、今日は活気があふれている。クラクションを鳴らすのは禁止なのだが、あちらこちらでプープーと音がしている。

 バラジュ地区の家々にも明かりがついていて、人々が忙しく動いているのが見えていた。


 ゴパルが家の門の前で、ケダルと両親に合掌して挨拶をした。

「道中気をつけて。カブレの親戚達にもよろしく伝えてください、ケダル兄さん、とうさん」

 ゴパル母が不機嫌そうな顔のままでゴパルに聞いた。彼女は後部座席を占領していて、窓から首を出している。

「ねえ、ゴパル。一日くらい氷河のそばへ戻るのを延期できないのかい?」

 ゴパルが頭をかいて両目を閉じた。

「すいません、かあさん。バクタプール酒造のサンプルを、研究室と低温蔵の両方に保管しないといけません。放置したまま時間が経つと、サンプルが変質する恐れがあるんですよ」


 残念そうな表情で、大人しく窓から首を引っ込めるゴパル母であった。代わりにゴパル父が助手席から手を振った。

「大事な仕事なんだろ。ケガや病気をしない程度に頑張ってこい」

「はい、とうさん」

 ケダルが車のエンジンを始動した。

「それじゃあ、行ってくるぜ。ニジマスをたらふく食ってくるから悔しがってろ、ゴパル」

 ゴパルがニッコリと笑った。

「そうするよ、ケダル兄さん」


 路面が舗装されていないので、小石や土塊を跳ね飛ばしながら車が走り去っていった。

 その赤いテールランプを見送ったゴパルが、家の門に手をかけた。まだ空は暗いままだが、早くも小鳥の群れが騒ぎ始めている。

「さて、私も朝飯を食べてから空港へ向かうかな」


 今回はポカラ到着後すぐに、タクシーでナヤプルまで向かう事にしたゴパルであった。ポカラ市街をタクシーの中から眺めている。

「朝一の飛行機だったから、ポカラもまだ通勤通学の時間帯だな」

 タクシーはまずダムサイドのルネサンスホテルに立ち寄った。いつもチップを渡している男スタッフが庭の掃除をしていたので、呼び止める。その男スタッフが、受付けカウンターの中からガラス瓶を一つ取り出した。

「ゴパル先生、パメの種菌です。どうぞ」

 ゴパルが一本の種菌を受け取った。彼に感謝の言葉をかけつつチップを支払う。

「朝早くからすまないね。ラビン協会長さんとカルパナさんに、私が感謝していたと伝えておいてください」

「はい、確かに承りました」


 ゴパルがキャリーバッグを開けて、中から袋に入った荷物を取り出した。それを男スタッフに預ける。

「これは私の部屋に入れておいてください。アンナキャンプ……あ、ABCまで持っていくには荷物になってしまいますので」

「了解しました、ゴパル先生」

 袋を受け取った男スタッフが、遠慮がちにゴパルに告げた。

「……でも、あんまりこういう事はしない方が良いですよ、ゴパル先生。荷物の紛失や盗難とかにつながります」

 頭をかいて素直にうなずくゴパルだ。

「ですよね……怠けずにちゃんとチェックインして、荷物を自身で運び入れるべきですよね。すいません」

 ともあれ、今回はこのままタクシーでナヤプルへ直行するつもりのゴパルだ。手を振って男スタッフに挨拶をして、タクシーを走らせた。フェワ湖を眺めながらスマホを取り出す。

「ラビン協会長さんには悪いけれど、今回はポカラを素通りしますね。チャットで一言入れておくか」


 ナヤプルに到着後、ディワシュ運転手が紹介してくれた居酒屋に入って食事を摂るゴパルだ。居酒屋のオヤジに聞くと、ニンマリと笑って答えてくれた。

「おー、ディワシュなら今頃は川の中だナ。無事故祈願をするってチャイ、言ってた」

(へえ。意外に敬虔なヒンズー教徒なんだな。ここらへんの川なんて、年中冷たいのに)

 そう感心しているゴパルにチヤを渡したオヤジが、ニンマリと笑った。ほのかに酒臭い。

「ヤツはチベット寺院にも詣でるぞ。ご利益があるなら、見境無しだナ」

 ゴパルがチヤをすすりながら、明るく笑った。

「良いと思いますよ。協力して仕事をした方が、神様や仏様も楽になるでしょうし」


 その後は、小型四駆便でガンドルン上り口まで行き、そこからモディ川沿いに歩いてジヌーの温泉宿に到着した。

 本格的な乾期になったせいか道の状態が良くなっていたので、ゴパルが予想したよりも早く到着してしまった。

「あらら。こんなに早く着いてしまったか」

 ジヌー温泉ホテルに立ち寄って、オヤジのアルジュンに挨拶をする。

「こんにちは、アルジュンさん。涼しくなってきましたね。チヤをお願いできますか」


 ゴパルがリュックサックの中からキノコの種菌を一本取り出した。

「カルナさんから頼まれていた、ヒラタケの種菌です。技術指導する時間が取れなくてすいません。今回は急いでABCまで行く必要がありまして……」

 アルジュンがニコニコしながら種菌を受け取った。軽食として、即席麺のスープ煮込みをアルミの器に入れて出してくる。

「おお、これが種菌ですかい。初めて見るナ。うちのカルナのわがままにチャイ、応えてくれて感謝っすよ」


 そこへ朝の家畜の世話を終えたカルナが野良着姿でやってきた。アルジュンから白い菌糸がびっしりと生えている種菌を受け取り、興味深そうに眺めている。

 カルナにも挨拶をしたゴパルが、重ねて謝った。

「すいません、カルナさん。技術指導はちょっと今できそうにありません。一人でも大丈夫ですか?」

 カルナが真っすぐな黒髪をパサリと払って、ゴパルに視線を向けた。口は相変わらず『への字』のままだ。

「約束を半分しか守らないとか、大人としてどうなの。でもまあ、スマホのテレビ電話も使えるし、カルパナさんに聞きながらやってみるわよ」

 批判を甘んじて受けるゴパルであった。


 ジヌー温泉ホテルで軽食を済ませた後は、ひたすら段々畑の間の道を上っていく。観光客向けのアンナプルナ街道ではなくて地元民が使う道なので、道幅が狭くて所々崩れていたりしている。それでも順調に坂道を上っていくゴパルだ。

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