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アンナプルナ小鳩  作者: あかあかや
氷河には氷があるよね編
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茶店

「はいよ」

 すぐにオヤジが答えた。コンロの上で湯気を立てていた大きなヤカンから、チヤをガラスコップに注ぐ。

 コンロはガスボンベを使う形式だ。ガスボンベは重量がかなりあるので、トラックが入る町でしか普及していない。山村では灯油コンロが主流だ。

 しかし、灯油コンロは灯油臭くなる欠点があるので、ガスボンベでチヤを沸かす事、それ自体が店の看板にもなる。


 この茶店にも、ゴパルの他に数名の地元客が居る。急峻な地形のためにテレビの画面には、電波障害の影響が大きく現れているが、音声は問題なく聞こえている。

 選局しているのは、国営放送のようだ。この時代、民放もあるのだが、あまり人気は無さそうである。

 ガスコンロでチヤを沸かしているヤカンは、相当に年季が入った代物であった。真っ黒いススがびっしりとヤカンを包んでいる。恐らくは、灯油コンロを使っていた時代からのヤカンなのだろう。

 チヤを注ぐガラスコップは、バクタプール大学で毎日飲んでいる、チヤのグラスと同じだった。持ち手が無く、ガラスが分厚く、細かい傷だらけで曇りガラスのような見た目である。そのまま持つと熱いので、コップの一番上の縁を、親指と人差し指の二本だけで持つ。


 それを慎重にすすったゴパルの表情が、少し曇った。垂れ目も細くなるので、眠くなったようにも見える。

「ま、新しい町だから、仕方がないかな」

 小声でつぶやく。あまり美味しくなかったようである。


 大学やポカラでは、水牛の乳を使っていたのだが、この茶店では脱脂粉乳の粉を溶かしたものだった。砂糖も少な目で、練乳は当然入っていない。ショウガやシナモン等の香辛料は、望むべくもない。

 紅茶も、一番安いブランドのティーバッグだ。黄色い箱なので、すぐに分かる。このティーバッグには、いわゆる茶葉はあまり含まれておらず、茎を粉砕したものが多くを占める。

 結果として、紅茶の香りは期待できない。ただ、苦くて青臭いだけの、茎や枝の煮出し汁になる。

 それでも、観光地だけあって、このようなチヤが飲める事だけでも感謝するゴパルであった。彼が調査に入る山村では、茶店自体が存在しない事が多い。


 とりあえず、チヤを全部飲み終えてから、店のオヤジに聞いた。

「オヤジさん。ガンドルンへ向かうには、この道で良いのかな?」

 オヤジがゴパルからチヤの代金と、空になったグラスを受け取りながら、肩をすくめた。

「旅行者かい? 今日は、ここのバスパークから小型四駆便やミニバスが出てるよ。ガンドルンまでは行かないけれど、その手前のガンドルンのバスパークまでは行く。そこからガンドルンまでは、ゆっくり歩いても三十分で着くぞ」


 ゴパルがリュックサックを開いて、中から組み立て式の測量ポールと、レインウェア、それに膝から下を泥汚れやヒルから守る化繊の布を取り出した。レインウェアのズボンの保護シートだ。

 レインウェアは折り畳むと小さくなるもので、ダウンジャケットの上からでも着用できるようになっている。そのため、カルパナが着ていたような、体に比較的ぴったりするレインスーツとは異なり、かなりゆったりした雨具だ。

 そのレインウェアを着て、保護シートを足に装備し、最後に測量ポールを組み立てた。見た目は、赤白の縞模様が付いた杖のように見える。

「そうなんだ。便利だね」

 事前に収集しておいた情報と一致したので、少し安心するゴパルだ。


 茶店オヤジが、ニッコリと笑った。

「まあな。それまでは、ガンドルンまで歩いて、三時間かかったからね。お客さんみたいに、太った人だと、四時間くらいかかってた」

 ゴパルがポール杖の先で床をコツコツ叩いて、しっかりと組み込んだ。足の保護シートも再確認して、ヒルが侵入しないようにピッチリと軽登山靴と合わせた。靴にも防水シールを施している。

「良い時期に来て良かったよ。雨は降っているけれど。それじゃあ、ガンドルン行きのミニバスか、小型四駆便を探すよ」

 茶店のオヤジが、ニヤリと笑った。

「少し料金が高いが、小型四駆便にしておけよ。ミニバスじゃ、泥道に捕まると抜け出せなくなるからな。昨日は、それで立ち往生して運休だったしよ。」

 茶店の地元常連客の一人が、ビールを飲みながらゴパルに振り返った。ちょっと出来上がっているような赤ら顔である。

「ちょっと走ると、すぐに入域管理事務所の検問がある。お客さんは、ネパール人だから検問は不要だけど、外国人客は必要だ。文句を言わずに、じっと待ってやってくれや」

 ゴパルが席から立ち上がって、垂れ目を細めた。

「情報ありがとう、じゃあ、行ってくるか」

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