ワイン仕込み その二
カマル社長が面長の顔の口元を少し緩めた。
「発泡ワインも仕込んでいます。発酵が盛んになってきたら、すぐに瓶に移していますよ。ですが、白ワイン用の酵母菌ですので、あまり良い出来にはなりそうにないのが残念です」
ゴパルが頭をかきながら両目を閉じた。
「発泡ワイン用の酵母菌が培養できていないですね。すいません。瓶内二次発酵をしていますが、瓶が割れたりしませんか?」
カマル社長が苦笑した。
「割れますね。いっそのこと、炭酸飲料水用のプラスチックボトルにしようかと思案中です。でも、そうしてしまうと、開栓時にコルク栓をポンと飛ばす楽しみが無くなってしまうのがね」
ゴパルが素直にうなずいた。
「ですよね。プラスチックボトルにコルク栓を付けても、どうも恰好が悪いというか何というか。カマル社長さん、赤ワインの仕込みはまだ先になりそうですか?」
カマル社長が自身のスマホでカレンダーを呼び出して確認した。今は二人ともに醸造工場から着替え部屋に戻っている。
「そうですね……雨続きでしたので、去年よりも収穫を遅らせています。赤ワインは色も重要になりますからね」
バクタプール酒造では、赤ワイン用にテンプラリーニョ種を植えている。この赤ワインの仕込み方は、白ワインとは所々異なる。
殺菌剤を入れてから酒母を加える際には、搾りカスを取り除かない。赤い色素や渋み成分のタンニンを抽出するためだ。そのため、十日間延長して発酵させる。これを『かもし発酵』と呼ぶ。この期間は雑菌の繁殖が起きやすいので、白ワインよりも頻繁にかき混ぜる必要がある。
かもし発酵が終わった後で、ろ過して別のタンクに移し、二週間以上さらに発酵させる。
この一連の発酵期間中は、液温を二十五度程度に維持しておく。首都では水温がこれよりも低くなっているので、電熱ヒーターを使って加温しないといけない。
カマル社長が白い作業服を脱衣カゴの中へ入れて、軽く背伸びをした。夜明け前から収穫作業をしていたので疲れているのだろう。
「研究室の赤ワイン用の培養酵母菌も良く発酵してくれますが、電気代がね。ゴパル先生、液温二十度くらいでも働いてくれる酵母菌はありませんかね。白ワイン用みたいなヤツで」
ゴパルも白い作業服を脱衣カゴの中に入れて、両目を閉じて小さく呻いた。
「うーん……有望株はいくつかあるのですが、まだまだ実験中ですね。実用化するには、まだ二年以上かかると思いますよ」
カマル社長が気楽な表情で返事をした。大して期待はしていなかったようだ。
「では、その有望株に期待しましょう。赤ワインの風味が悪くなるような菌でしたら、意味がありませんしね」
赤ワインは発酵が落ち着いてから、熟成用のタンクや木樽に移される。二週間も熟成させれば、一応はそれでワインの体裁が整うのだが、風味はまだまだブドウジュースのままだ。やはり一年間以上は熟成させないと高く売れない。
カマル社長がゴパルを応接間に案内していくと、既に酒盛りの準備が整っていた。移動式の台の上に、赤ワインの瓶とグラス、それにツマミとして水牛肉の唐辛子炒めが用意されている。
この唐辛子は辛味抜きされているというカマル社長の話だった。ポカラのホテル協会の動画サイトを見て勉強したらしい。
「赤ワイン用のテンプラリーニョ種は、長期の熟成にも耐える品種ですからね。低温熟成にも挑戦してみたい所ですよ。ビオやナチュラルワイン作りの研究にも良さそうですしね。これらのワインには殺菌剤が使えないんで、難しいんですが」
ゴパルが腕組みをして首をひねった。
「ですよね。殺菌剤を使わないワインは、うちの研究室としても興味深いのですが……カマル社長の商売を優先しますよ」
カマル社長が仕事をしている事務員達に一言謝ってから、赤ワインの瓶を手に取った。早速コルク栓を抜き始めている。
「料理用のワインは、赤白ともに殺菌剤を使ってませんけれどね。サビーナさんによると、その方が良いとか何とか。では、いつも通りにベランダで一杯やりましょう、ゴパル先生」




