パッションフルーツ
シスワ地区に到着すると、いつもの合掌挨拶の交換をしてから早速パッションフルーツの園へ向かうカルパナであった。ここには泥棒は居ないらしいので、ヘルメットはバイクの両ハンドルに吊るしている。
それでも、バイクに興味があって寄ってきた地元の子供数人に、バイクの番人の仕事を頼むカルパナであった。
「私達が居ない間、このバイクとヘルメットの番人をお願いしたいのだけど、良いかな?」
子供達はサッカーボールを抱えていて、互いに相談してから返事をしてきた。かなり土汚れが目立つシャツとズボンにサンダル姿だ。
「良いけど、俺達これからサッカーするんだよ。あんまり長い間の番人は無理だぞ、カルパナ様」
シスワの子供達からも『様』付けされている事に驚いているゴパルだ。カルパナの笑顔が少し固くなった様子だったが、穏やかな口調で了解した。
「ここの園を見てくるだけだから、十分間くらいかな。お代は、そうね……四人だから四十ルピーで良いかな?」
再び子供達が輪になって相談し始めた。すぐに代表らしき男の子が胸を張ってカルパナに答えた。
「おう、それで請けたよ、カルパナ様」
カルパナが口元を固くしながら、ポケットから財布を取り出した。十ルピー札を四枚引き出して、少年達に手渡していく。スマホを取り出して時刻を確認し、タイマーを起動させた。
「それじゃあお願いね。なるべくすぐに戻るようにするから。それと……私に『様』付けは不要ですよ。お父さん達にもそう言っておいてね」
ここの農家にはバフンやチェトリ階級が多いせいか、カルパナも彼らによく馴染んでいるように見える。
園の面積はそれほど広くなく、パパイヤ園の半分以下だろうか。カルパナが木の幹の様子や、枝ぶり、それに新葉の状態を確認しながら、枝に実っているパッションフルーツを手のひらで持ち上げた。赤紫色をした卵型で、ちょうどカルパナの手の中に収まるサイズだ。
「まだ試験的な栽培なのですが、よく育っていますね。ここにもリテパニ酪農の排水や厩肥を使う予定です。レカちゃんの話ですと、かなり悪臭も減って使いやすくなっているそうですよ」
ゴパルがパッションフルーツの実を指でつつきながら、ほっとした表情を浮かべた。
「そうですか、良かったです。排水はこれまで川に捨てるしか方法がありませんでしたからね。液肥として有効利用できるようになると良いですね」
カルパナがにこやかな笑顔でうなずいた。
「はい。引っ張りだこになるかも知れませんね」
そして、パッションフルーツを片手で持ち上げながら、少しいたずらっぽい表情を浮かべてゴパルに聞いた。
「試食してみますか?」
何か嫌な予感がするゴパルであった。が、カルパナの周囲に居る農家達もニヤニヤしながら期待しているのを見て、肩を落としながら愛想笑いを浮かべた。
「……はい。ぜひ」
カルパナがニコニコしながら、近くの農家から借りたナイフでパッションフルーツを枝から一つ切り落とした。
軽くハンドタオルで拭いてから、横に二つに切り割る。その片方をゴパルに差し出した。パッションフルーツの断面を見ると、分厚い皮の中に黒い種が詰まっていて、種の回りをオレンジ色をした果肉が包んでいた。
(あまり良い見た目ではないな……)
ゴパルが右手の人差し指と中指を使って果肉を種ごとすくい取り、そのまま口へ運んだ。
「ん?」
カルパナも指ですくって食べながら、いたずらっぽい表情で明るく笑った。
「すいません、ゴパル先生。かなり酸っぱいでしょ?」
ゴパルに紙ナプキンを手渡して、自身も手を拭くカルパナだ。周囲の農家達も、ゴパルが期待通りの反応をしてくれたので喜んでいる。ゴパルが手を拭きながら両目を閉じた。
「酸っぱい物が食べたかったので良かったですよ。予想以上の酸っぱさで驚いてしまいましたけど。しかし、これほどの酸度ですと果物として売れないのでは?」
カルパナが軽くうなずいた。
「そうですね。収穫直後ですと青臭さも感じますよね。ですので、収穫してから日陰でしばらくの間保管して、追熟させています。こうする事で酸っぱさが和らいで、甘みが感じられるようになりますよ」
なるほど、と感心して聞いているゴパルに、カルパナが少し困ったような表情を浮かべた。
「ですが追熟させると、パッションフルーツの表皮がくすんでしまうのが難点ですね。香りも弱くなってしまいますし。バナナとは違いますね」
農家達も腕組みをしながら同意している。
「見た目が悪くなってしまうんですよ、牛糞の旦那。ジュースにするんで、外皮の見た目なんか関係ないんすけどね。卸値を安くされてしまうんすよ」
牛糞の旦那のゴパルが、スマホを取り出してメモを取った。牛糞については、もう反論するつもりもない様子だ。
「なるほど……では、何か有望な品種があるかどうか、首都の育種学研究室に聞いてみますね」
カルパナのスマホからピピピとアラームが鳴った。
「あら、もう十分経ってしまいましたね。ゴパル先生、お口直しにシスワの十字路までバイクで向かいましょうか。そこで、ちゃんと甘酸っぱいパッションフルーツのジュースをごちそうしますよ」
カルパナとゴパルが農家達と一緒に雑談しながら戻ると、ドヤ顔をした番人の子供達が待っていた。カルパナが子供達に礼を述べて、さらにスマホのタイマーを見せる。
「二分間よけいに仕事をさせてしまいました。ごめんなさいね。超過料金として一人に二ルピーずつ追加しますね」
きゃっほい、と喜ぶ子供達だ。カルパナが農家達にも聞こえるように、子供達に二ルピーを手渡しながら話しかけていく。
「お仕事って、こういうものなのよ。どんな仕事をして、いくらもらえるのか、前もって決めなさいね。それで余計に働いたら、こうしてしっかりと追加のお金を求める事。分かったかな?」
「分かったー!」
小躍りしてサッカーボールを抱えて駆け去っていく子供達を、カルパナが目を細めて眺めた。次いで、周囲に居る農家達に振り返った。
「皆さんも、仕事内容の事前確認は怠らないようにしてくださいね。最低賃金以上でないと、仕事を請けてはいけませんよ」
「ハワス!」
農民からの尊敬の視線を一身に浴びたカルパナが、顔を赤くしながらヘルメットをゴパルに渡して、自身も被った。バイクに乗ってキックスタートでエンジンを点火すると、小気味よい排気音が鳴り始める。ハンドルにあるエンジン始動スイッチを押せば良いのだが。
「ゴ、ゴパル先生。出発しましょう」
ゴパルが口元を緩めながら、後部荷台に座った。
「ハワス、カルパナさん」
その後シスワの十字路にある屋台で、パッションフルーツのジュースを楽しんだゴパルとカルパナであった。
「……」
ゴパルが少し警戒しながらジュースを飲むと、驚きの表情を浮かべた。少し目を白黒させながらカルパナに顔を向ける。
「お、美味しいですね」
カルパナもジュースを飲みながら、いたずらっぽい表情を浮かべて微笑んだ。
「でしょう? 収穫時期は終わりましたけど、まだイチジクやドラゴンフルーツ、それにアセロラも残っていますね。来週には店で売られなくなりますから、今のうちに食べておきましょうか」
そして、アセロラの実をかじって、再び強烈な酸味で悶絶するゴパルであった。
ポカラのダムサイドにあるルネサンスホテルへ到着すると、レカが出迎えてくれた。いつものようにスマホ盾を掲げてゴパル除けをしている。
「ちょっと遅れたねー。なんかあったの?」
カルパナがバイクをホテルの駐輪場へ運んでいく。ヘルメットをゴパルがチップを渡している男スタッフに渡しながら、曖昧な笑みを浮かべた。
「あはは……ゴパル先生を、からかい過ぎちゃった」




