ルネサンスホテル
ジヌー温泉宿では、ちゃっかりと温泉に浸かって、シコクビエの焼酎と鶏肉の香辛料炒めのツマミを楽しんだゴパルであった。
翌日の朝にジヌーを出発する。ポカラのダムサイドにあるルネサンスホテルに着いたのは昼前だった。
「道に慣れてきたせいか、あまり疲れが残っていないかな」
ラビン協会長に挨拶をして、いつもの男スタッフにチップを渡す。
チェックインを済ませて、二階の角部屋に行こうとしたゴパルを協会長が呼び止めた。彼はいつものスーツ姿に黒の革靴だ。
「ゴパル先生。KLの話がジョムソン街道にも広まり始めたようですよ。夕方頃に、ツクチェのリンゴ農家がゴパル先生に会いたいと申し出ています。どうしますか?」
ツクチェと聞いてもピンと来ない様子のゴパルだ。協会長が簡単に説明してくれた。
ツクチェという町はジョムソン街道沿いにあり、タカリ族が多く住んでいる。ジョムソン街道とは、昔のチベット交易路の名残で『塩の道』としても知られていた。ポカラとチベットを結ぶ街道だ。現在は中国側の国境が普段閉鎖されているので、交易路としての価値は無くなっている。
特筆すべき点としては、ツクチェやジョムソンの町では雨が降らないという事だろうか。雨雲がアンナプルナ連峰や、ダウラギリ連峰に遮られてしまうためだ。
現在はポカラからジョムソンまで車道が開通していて、観光客が陸路でヒマラヤ越えをできる人気の路線になっている。オフロードバイクや四駆車によるツーリングも人気だ。部分的に舗装されている区間もあるので、そこでは爆走しているとか何とか。
ツクチェではリンゴ栽培が盛んでリンゴ農家も多い。また、アップルブランデーの酒造所もある。ただ、農地面積があまり広くない。
そのため現在では、同じアンナプルナ連峰の北にあるマナンやチャーメといった町が主なリンゴ産地になってきている。
そのような話を聞いて、なるほどと理解するゴパルであった。
彼は首都から東の出身だ。微生物の採集旅行も雨が多くて暖かい地域ばかりだったので、こういった半砂漠地域には縁が無かった。
軽く頭をかくゴパルだ。
「カルパナさんとサビーナさんの都合がつけば、私は構いませんよ。この後で、彼女達に相談してみます。ですが、今はアンナプルナ内院で低温蔵を造っている最中ですので、現地指導は難しいと思います……」
協会長がなるほどとうなずいた。
「そうですね。ツクチェまでは車で一晩かかります。日帰りは無理ですね。分かりました。対策を考えておきましょう」
(ラビン協会長さんが率先して行動しているから、何かあるのかな?)
そう感じたゴパルだったが、それ以上は特に何も考えないようにしたようだ。
(これ以上仕事を抱えるのは、ちょっと遠慮したいのが本音だなあ……)
部屋で着替えていると、フロントから電話がかかってきた。チップを渡した男スタッフからだ。
「あっ、もう来ちゃったか」
ゴパルが電話を取って、窓から外を見降ろした。カルパナがいつものオレンジ色のバイクに乗って待っているのが見える。
(直接、私のスマホに電話を入れてくれても良いのにな。律儀な方だ)
ゴパルが改めて自身の服装を再確認して、電話向こうの男スタッフに答えた。併せて、汗だくになった厚手のシャツやズボン等を洗濯用の袋に入れて手に持った。これをフロントに預けて洗ってもらうのだろう。
「はい、分かりました。すぐに向かいますね」
「こんにちは、ゴパル先生。今回は少し急な下山でしたね」
カルパナがゴパルにヘルメットを手渡して気遣った。ゴパルがヘルメットを被りながら肩をすくめて答える。
「秋真っ盛りで農作業が忙しいところ、すいません。ホテルに頼んで飛行機のチケットを取ってもらっています。明日の朝一番の便で首都へ向かう予定ですよ」
ゴパルが申し訳なさそうな表情になった。
「バクタプール酒造で新酒の仕込みが始まりまして、そのサンプルを取る必要が……本当に急なお願いですいません、カルパナさん」
カルパナがバイクのエンジンを点火する。小気味良い排気音が青空に吸い込まれていく。
「ちょうど息抜きをしたかったので、大歓迎ですよ。では、この前に見たタマネギ畑に行きましょうか。苗を畑に定植している最中ですよ」
防水仕様の加工が施された後部座席の座布団の上に、ゴパルが座った。
「そうですか。ぜひ見てみたいですね。案内をお願いします」




