油搾り
ゴパルが受け取ったチヤをすすりながら、駐車場に隣接しているオリーブ油精製用の小屋の中をのぞいてみた。
大きな水槽に収穫したばかりの黒い実が次々に入れられて、水洗いされている。その後、大きな業務用の石臼に移されて、種ごとすり潰されていた。
ペースト状態になった後は、ステンレス製の円筒形の網に入れられていく。筒が一杯になったら縦にして吊るし、油受けの容器を下に置いていっている。
「なるほど。農薬を使わない理由は、水洗いだけで済ましているからですか」
そして、吊り下げられた円筒形の筒から、早くも油が滴ってきたのを見て興味津々の顔になった。
「へえ……油を搾るっていうから、重石を乗せるのかと思いましたが……重石なしで、ペーストの自重だけで油を搾るんですね」
レカに撮影をするように命じたラジェシュが、ニコニコしながらゴパルの隣へ歩いてきた。小屋の中は関係者以外立ち入り禁止なので、二人とも窓の外から中を見ている。
レカは文句を垂れながらも、専用の作業着へ着替えるために向かったようだ。レストランの厨房スタッフのような姿になるのだろう。小屋の中で作業をしている人達も、皆そのような服を着ている。
「サビーナさんの注文で、種ごとすり潰す場合と、果肉だけをすり潰す場合とに分けています。確かに風味が違いますね」
サビーナがチヤをすすりながら、二人の近くへやってきた。そのままドヤ顔になって笑っている。
「月ごとに油の風味も違ってくるのよ。今の時期の油が一番強い癖かな。涼しくなるにつれて、大人しい風味に変わっていくのが面白いわね」
ゴパルが首をかしげた。
「え? そんなに変化に富むのでしたら、料理に使う時に困ってしまうのでは……」
ここまで言ってから、自身で気がついたようだ。
「あ。そうか、ブレンドするんだ」
サビーナがチヤをすすってニンマリと笑った。
「あら。よく分かったわね、えらいえらい。ブレンドは私のレストランで料理に応じて変えているわよ。ピザ屋ではそうもいかないから、固定レシピのブレンドにしてるけど」
感心するゴパルだ。
「はえー……さすがですね、サビーナさん。菜種油みたいに単純じゃないのですね」
調子に乗った様子のサビーナが、上機嫌でゴパルの脇腹を小突いた。危うくチヤをこぼしかけるゴパルだ。構わずにサビーナが窓に顔を寄せて、中の作業を見る。
「あ、今は『油の花』を搾ってる所か。最高級品の油なのよ。今は赤みがかった焦げ茶色だけどね」
ラジェシュがゴパルに説明した。
「ペーストの自重だけで搾ったオリーブ油の事ですよ、ゴパル先生。サビーナさんが言った通り、最高級品ですね。もちろん、この後で風味テストをして合格しないといけませんが」
白い作業服に全身を包んだレカが、フラフラしながら作業小屋の中へ入っていくのが見えた。予想通り、小屋の中で作業している人達と同じ服装だ。
レカがスマホを取り出して撮影を始めたのを、ニンマリと笑って眺めるラジェシュである。
彼も上機嫌らしく、挙動不審で無駄の多い挙動がダイナミックになってきていた。髪の先が上下左右に加えて回転までし始めた。
「油の花は、ほぼ全量をサビーナさんが独占していますね。首都のレストランへ卸した方が儲けが多いのですが、ここはサビーナさんの顔を立てています」
サビーナがドヤ顔のままで胸を張った。
「ポカラのホテル協会が独占して何が悪いのよ、ねえ? ゴパル先生」
苦笑するしかないゴパルであった。気候がポカラと似ているカブレでもオリーブが栽培され始めたら、首都に近い分だけポカラ側が不利になるだろう。その可能性も考えているのかな、と想像する。
カルパナが真面目な表情でゴパルに補足説明をしてくれた。彼女もチヤを手にしている。
「オリーブの造林を計画しています。実の生産量が増えれば、余剰分を首都に流す事もできるはずですよ」
今や四人で小さな窓をのぞいているので、ゴパルがドギマギしている。そんなゴパルをニヤニヤしながら横目で見たラジェシュが、話を続けた。
「油の花を搾り終わったペーストは、積み重ねて重石をかけて本格的に油を搾ります。小屋の奥でやってますね。レカが撮影している辺りです、ゴパル先生」
円筒形の網から取り出されたペーストが、ナイロン製のゴザの上に乗せられていく。作業員がそれらを積み重ねていき、最後によく磨かれた石を乗せた。ドッと勢いよく油がゴザから溢れ出し、下の容器に注がれていく。
感心しているゴパルに、ラジェシュが説明をした。
「積み上げられたペーストの自重だけでも二トンくらいあります。これに石の重石をかけて油を搾っているんですが……熱も加えませんし、油を多く出すための添加物も使いません」
カルパナがゴパルに再び補足説明をしてくれた。
「例えばゴマ油を搾る時には、蒸したりして熱を加えるんですよ。この間の椿油でも蒸していましたよね。オリーブの実は、熱をかけなくても油が取れます」
そういえばそうだった、と思い起こすゴパルであった。
レカが撮影を続けているのを見てから、ラジェシュが一番奥の一角を指さした。大きなタンクが並んでいる。
「搾った油を、タンクに入れて数時間ほど静かに置きます。水と油とを分離させるためですね。油だけを吸い出して、そのまま貯蔵します。防腐剤を使わずに二年間ほど保存できますよ」
サビーナがドヤ顔のままで口を挟んだ。
「防腐剤なんか入れさせないわよ。ほとんどポカラのホテル協会だけで、一年以内に使い切ってしまう訳だし。だけど開封したら、なるべく早く使い切るように指導してるかな」
レカが疲れ果てた表情で、こちらを見て両手を力なく振っている。どうやら限界に達したようだ。ラジェシュが首を掻き切る仕草をして反応し、それから親指を立てて仕事の終了を知らせた。
たちまち元気を取り戻したレカが、脱兎のように俊敏な動きで小屋から出ていく。
その後ろ姿を苦笑しながら見送ったラジェシュが、サビーナに顔を向けた。彼女は既に目をキラキラ輝かせている。
「では、今年のオリーブ油の味見をしに行きましょうか、サビーナさん」
「待ってました!」




