前夜祭の花火大会
予約席に着席するとすぐに、迷わずビールを注文するケダルであった。ただ、あまり苦いのは選ばず、オランダの中庸なビールを指定している。
これはネパール国内でライセンス生産されているもので、酒飲みネパール人の間では人気の銘柄だ。
「ツマミは去勢山羊肉の香辛料炒めで。唐辛子は控え目にしてください」
そして、母親に聞いた。
「かあさん。食事はどうしましょうか。すぐに食べますか?」
ゴパル母が、花火をチラチラ見ながらご機嫌な口調で答えた。今は、河川敷でナイアガラの滝型の花火を行っている。
「皆と一緒で良いわよ。私は紅茶と洋菓子を楽しむから」
そう言って席から立ち上がって、ケーキやプリン等の洋菓子が陳列されている、ガラスのショーケースがある場所へ歩いていった。
とりあえず最初の注文を終えたケダルが、ゴパルに真面目な顔を向けた。
「ゴパルよ。来年からは首都になかなか戻れないのだろ? 今の内に好きな物を食っておけ」
水の入ったグラスを一口飲んだゴパルが、力無く笑った。
「できるだけ頻繁に首都へ戻るつもりですけどね。ですが、ポカラの事業も活発化しそうだし、確かに今の内にガッツリ食べた方が良いのかも」
そこへ、クシュ教授からスマホでテレビ電話がかかってきた。
「このタイミングでかかってきたよ……ケダル兄さん、ちょっとごめんね、電話に出るよ。はい、ゴパルです。バングラデシュはどうですか、クシュ教授。ネパールでは、ティハール大祭の前夜祭が始まりましたよ」
画面には、ベンガル人風の巻きスカート姿で、白い半袖シャツ姿のクシュ教授が映っていた。
その彼の隣に見知った顔がある。ゴパルが目を点にした。
「ゴビンダ教授も居るじゃないですか。バングラデシュまで一緒に出張したのですか? クシュ教授」
クシュ教授がゴビンダ教授と視線を交わしてから、少しドヤ顔風味で肯定した。
「彼もネパールに居ると、色々と祭祀に付き合わないといけないらしくてな。僕が出張の話を振ったら、二つ返事で同行してくれたわい」
ゴパルが垂れ目を閉じた。
「多分、実家の人達は怒っていると思いますよ。花火が始まっていますので、それを見ますか?」
ゴパルがスマホのカメラを、北の方角に向けた。徐々に本格的な打ち上げ花火になってきている。音も大きくなってきた。
クシュ教授が少しの間、花火を見てからゴパルに告げた。
「いや、花火はレカちゃんに撮影を頼んであるから、心配は無用だ。ちょいと、君の父上に代わってくれないかね?」
言われるままに、ゴパルがスマホをゴパル父に手渡した。互いに挨拶を済ませてから、クシュ教授がゴパル父に謝った。
「済まないね。ゴパル君は今後、アンナプルナ内院に釘づけになる。山から下りてきても、ポカラ止まりだろう。首都へ帰省する機会が少なくなる事を、どうか許して欲しい」
ゴパル父が気楽な表情でうなずいた。同時に、給仕されてきたオランダビールをジョッキで飲む。
「ネパールの財産を守るための重要な仕事だと聞いています。無駄飯食いの次男坊にしては、立派な仕事にありつけたと思っていますよ。年に一回二回ほど帰省してくれれば、それで十分です。お気遣いは無用ですよ、クシュ先生」
それよりも、とチラリとゴパルを見る。
「この年になるまで、彼女の一人も作っていないバカ者ですからな、コヤツは。私や家族親戚の者達は、もう半分以上コヤツの結婚を諦めていますよ」
わざと大げさに、ため息をつくゴパル父だ。
「そういう点でも、どうぞ馬車馬のように酷使してやってください。そうすれば、もしかすると結婚願望が生まれるかもしれませんし」
ケダルもニヤニヤしながら、ゴパルを肘でツンツン突いて、オランダビールを飲んでいる。ちょうど山羊肉の香辛料炒めがやって来たので、それにも取り皿を伸ばした。
ネパールでは、大皿料理に備えつけのフォークやスプーンを使って、自身の皿に盛りつけるのが基本だ。取り皿に盛った料理は、自身の席にあるフォークやスプーンを使って食べる。
「ほらみろ。さっさと結婚しないからシベリア送りだ。いや、氷河送りかな。せいぜい凍ってろ」
ぐうの音も出せないゴパルであった。
ゴパル母がホクホク顔で、ケーキやら果物やらを皿に盛って戻ってきているので、ゴパルが話を変える事にしたようだ。彼女まで加わると、敵側の戦力が圧倒的になってしまう。
「ゴ、ゴビンダ教授も、今回はバングラデシュに居るのですね。何か面白そうな話題はありますか? ガンドルン等でシコクビエの焼酎を飲みましたが、なかなか美味でしたよ。品種改良して、もっと上質な焼酎ができると嬉しいですね」
しかし、戻ってきたゴパル母がスマホを見て、すぐに口を出してきた。
「これゴパル。大学の先生じゃないの。ちょっとスマホを渡しなさい。挨拶するわ」
行動が遅かったようだ。がっくりと肩を落として、素直にスマホを向けるゴパルであった。
「はい、かあさん」
ゴパルがスマホ画面をゴパル母にも見せて、教授達を紹介した。
菓子が山盛りの皿をテーブルの上に置いて、上品に合掌して挨拶をするゴパル母だ。
「出来の悪い息子がお世話をかけております。バングラデシュはまだ暖かいのでしょうね」
いつもの口調とは全く違う別人ぶりなのだが、両目を閉じるだけでコメントしないゴパルであった。
クシュ教授も穏やかな口調と表情で、ゴパル母に合掌して挨拶を返した。どちらも面の皮が厚い。
「ゴパル助手は優秀ですよ。彼の頑張りのおかげで、こうして低温蔵の建設も始まりました。僕もバングラデシュで菌やキノコの採集や共同研究をして、低温蔵で安全に保管できるようになります」
ゴパルが軽いジト目になった。
(食費とか自腹ですけれどね。貯金残高がもう残り少ないんですけど)




