首都
ゴパルが翌日の飛行機で首都へ戻ると、空港の装飾がティハール大祭用になっていた。到着ロビーを歩きながら、装飾を見上げる。
「花と光のお祭りだから、華やかだなあ」
大きな生け花がいくつかと、華やかなLEDイルミネーションで飾りたてられた柱が目を引く。ネパール人や外国人観光客も、記念撮影を熱心にしているのが見えた。
ゴパルもスマホのカメラで何枚か写真を撮って、到着ロビーの出口へ向かった。早くも客引きが群がってくる。
「まずは大学へ寄って、それから家へ帰るかな。何か頼まれていた買い物があったっけ」
バクタプール大学までの道は、渋滞しているとはいえ、ダサイン大祭前ほどでは無かった。
農学部棟にある三階角部屋の微生物学研究室へ、階段を上って戻ると、博士課程のラメシュが出迎えてくれた。
「クシュ教授は、もうバングラデシュへ出張に行ってしまいましたよ、ゴパルさん」
「研究室の外に、営業の人達が居なかったから、分かってたよ」
想定済みだったようで、冷静に聞くゴパルだ。
機材をロッカーに戻して、菌を採集した試験管を培養装置にセットした。低温蔵の現場監督という、お茶くみ小僧の仕事をしながら、アンナプルナ内院で採集した菌だ。
「さて、上手く培養できると良いけどな。世話を頼みますね。ああ、そうだラメシュ君」
ゴパルがリュックサックとスーツケースの中から、機材やノートパソコン等を取り出して、机の上に置きながら聞いた。
「アンナプルナ街道のセヌワ集落で採集した青カビ、その後の調査はどうですか? 使えそうかな」
ラメシュが自身の机で行っていた各種計算をいったん中断して、手元にあるコーヒーをすすった。
「昨日、結果が出ました。共有掲示板に乗せたんですけど、見てなかったですか。ええとですね、マウスを使った毒性試験の結果ですが、毒性無しでした」
ゴパルが垂れ目をキラリと輝かせた。
「うんうん。朗報ですね。次は、人体細胞を使った毒性試験だね」
この人体細胞は、各国の研究機関の間で共有されて培養されている人工の細胞だ。
ラメシュが研究機関からのチャットを見ながら、肩先まで伸びている癖のある黒髪を躍らせた。口調もさらに明るくなっている。
「試験の最中ですけど、チャットの反応を読む限り問題無さそうですよ。これで論文を何本か書けますね」
ゴパルがほっと安堵の息をついた。コーヒーを淹れに向かう。
「そうか、良かった。上手くいけば、低温蔵でこの青カビを使ったチーズの研究ができそうですね」
ラメシュが他の二人の博士課程のダナとスルヤに目配せしてから、素敵な笑顔をゴパルに向けた。
「はい、頑張ってくださいね。応援していますよ。三千メートルの高低差を登り降りする体力を、私達に期待しないでくださいよ。そんな体力なんか、全くありませんからねっ」
ゴパルがコーヒーを淹れて、コップに注ぎながら肩を落とした。
「ええええ……設計上は、ここに居る私達四人全員が研究できる造りなんだけどな。涼しくて、景色も良いですよ」
ラメシュがジト目になって答えた。他の二人、ダナとスルヤも同じ表情だ。
「勘弁してください。私達を博士浪人にするつもりですか」
ゴパルがなおも説得しようとしたので、ラメシュが話題を変えた。
「あ、そうそう。セヌワで採集した乳酸菌は、残念ながら有機酸の産生が弱い株でしたよ。KLには不適ですね」
気勢を削がれてしまったゴパルが、口をパクパクさせて黙ってしまった。少しして、肩を落とす。
「採集には苦労したんだけどなあ。そうかあ、残念です」
KL構成菌として使うには、ペーハー三・五以下でも生育できる株である必要がある。この乳酸菌では、耐えきれずに死滅してしまうだろう。
ラメシュが他の二人の博士課程の男達と視線を交わしてから、優しくゴパルに話しかけた。
「気を落とさずに、また採集してきてください、ゴパルさん」




