ポカラへ戻って
ゴパルがアンナキャンプから三千メートルほど下りて、小型四駆便を乗り継ぎポカラへ戻ると、夕方になっていた。
空は赤く染まった夕焼けなのだが、アンナプルナ連峰はマチャプチャレ峰を含めて雲の中に隠れてしまっていた。
「はいはい、分かっていましたよ」
ビンダバシニ寺院と、バドラカーリー寺院に参拝して、お願いしたのだが、聞き入れてもらえなかったようだ。
ゴパルがバスパークで北の空を見上げて文句を言い、そのままタクシーでルネサンスホテルへ向かった。今回は、ここのロビーで料理講習を行うという話だ。
この時期は、欧米からの観光客が多いため、ロビーではビュッフェ形式の夕食が供されていた。その一角を使って講習を行うらしい。
ホテルの受付けカウンターで、部屋のチェックインを済ませた。そこへ、協会長がニコニコしながら、ゴパルに合掌して挨拶してきた。
彼の服装は、スーツに黒の革靴だが、秋仕様なのか生地が少し厚めのようだ。白髪交じりの髪は、いつも通りにキッチリと七三に分けている。
一重まぶたの黒い瞳をやや伏せて、ポカラ到着をねぎらった。
「膝は痛くありませんか? 少しでも違和感を感じましたら、すぐにスタッフへ申し出てください。病院での診断と治療を手配いたします」
アバヤ医師の病院かな、と想像するゴパルであったが、気楽な笑みを浮かべて右手を振った。
「これまでにも、あちこちへ採集旅行に出かけてきましたから、山歩きには慣れていますよ。アンナプルナ内院の高度にも順応してきましたし、何とかなるでしょう」
ゴパルからチップを受け取っている男のスタッフが、チヤを運んできた。ゴパルはチヤを、協会長は砂糖やミルク無しのストレート紅茶を受け取る。
それを一口すすった協会長が、感心した表情でゴパルを見つめた。
「ポカラとの標高差は、三千メートルもありますよ。それを一日で下ったりできるのは、立派な才能ですね」
協会長の表情が真剣なものに変わった。
「ですが、タカリ族やグルン族でも体調を崩す者が出る高低差です。高山病には急性のモノもありますので、くれぐれも用心してくださいね」
ゴパルがチヤをすすりながら、軽く頭をかいた。若干、顔が赤くなっている。
「実は、急に低地へ下りたので、低地病の症状が出ています。空気が濃いせいでしょうね」
味覚も多少変化するのだが、今回はチヤを美味く感じている。なので、大した事にはならないだろうな、と思うゴパルであった。
「今の所は、アンナキャンプの滞在期間は短期ですが、ティハール大祭明けからは長期滞在になる予定です。そうなると、ポカラへ下りた時に、空気に酔っぱらうかもしれませんね」
協会長が少し心配しながらも、穏やかに微笑んだ。
「低地病にかかるくらいなので、高地にかなり順応しているようですね。ですが、くれぐれも無茶はしないでくださいよ」
急に空気の濃い低地へ下りると、濃い酸素に体が驚いて、酸素の過剰摂取のような状態になる事がある。症状としては顔が赤くなったり、頭がぼーとしたりする。
ただ、これによって体調を崩して、病院の世話になる事態には至らない。ちょっとした高地トレーニングの副作用のようなものだ。
一方で、高山病は高地に慣れた人でもかかる場合があるので、注意が必要だ。特に、急性症状の場合は、発症後すぐにショック死する事もある。




