アンナキャンプ
一方アンナキャンプでは、建設中の低温蔵の前でゴパルが額の汗をタオルで拭いていた。気温が低いので、長袖シャツに長ズボン、それにマフラーを首に巻いている。
低温蔵は基礎工事が終わり、地下室も完成していた。今は、断熱効果の高い発泡ブロックを積み上げた壁が立っている。
この発泡ブロックの間には、樹脂を塗った強化炭素繊維の布が挟まれていて、それが鉄筋の役目を果たしている。さらに壁の内側と外側両方に、樹脂塗料を塗っている途中だった。
樹脂製の屋根も被せてあって、見た目はもう立派な小屋になっていた。
ゴパルが床や壁にチョークを使って印を付け、コンセントの仮位置にも印を付けていた。小屋の中に配置する機械類の仮位置だ。
「うん、とりあえずは、こんなところかな」
そこへ、民宿ナングロのアルビンが、チヤをアルミ製の小皿の上に乗せて持って来た。
彼もマフラーを首に巻いている。身長が百五十五センチほどで、こじんまりとした体格なので、何となく可愛く見える。四十代後半のオッサンだが。
「ゴパルの旦那。チヤ休憩にしてください」
ゴパルが首と肩を回して振り向き、垂れ目をキラリと輝かせた。
「ああ、ちょうど休憩しようかと思っていたところですよ。高地では、本当に喉が渇きますね」
チヤをアルミ小皿ごと受け取って、そのまますすった。目が閉じて口元が大きく緩んでいく。
「あ~……美味いなあ」
アルビンが腰に両手を当てて、肩をすくめて明るく笑った。
「脱脂粉乳とクズ紅茶ですがね」
そして、低温蔵の中をぐるりと見回して、ゴパルに謝った。
「すいませんね、ゴパルの旦那。ティハール大祭が始まるもんで、人手が確保できませんでしたよ。樹脂塗りも中途半端になってしまって、申し訳ありません」
ゴパルがチヤをすすりながら、気楽な表情で答えた。
「民宿は今からが稼ぎ時ですからね。屋根が付いたので、雨雪をしのぐ事ができます。気にしていませんよ」
そう言いながらゴパルが、ちょっと驚いた表情になってアルビンを見た。
「口調が前回と変わっていませんか?」
アルビンが照れながら説明を始めた。
「施工主様ですからね。口調も丁寧になりますよ。ははは」
施工主と聞いて、ゴパルも改めて中を見回して壁に手をついた。ここはまだ樹脂が塗られていないので、発泡ブロックがむき出しのままだ。
「壁に使ったコンクリートが乾燥するまで時間がかかりますし、急いでもあまり意味はありませんね」
壁を触りながらチヤをすすって、ゴパルが穏やかな顔で笑った。
「それに、私も首都へ戻ってティハール大祭を祝う事ができますしね。大祭は五日間続きますが、その間は首都に居ても問題ありませんか?」
アルビンが少し考えてから、うなずいた。
「そうですね……一番忙しいのは三日目だけですかね。ここには集落も寺院もありませんので、メインの祭祀さえ行えば、それで事足ります。カラスも野良犬も牛も、ここには居ませんからね」
ティハール大祭では、これら三種類の動物に対して祝福する日がある。大きなヒンズー教寺院はナヤプルまで下りないと無い。
そう言われるとそうだな、と納得したゴパルが、一つ質問した。
「アルビンさん。花火ショーや灯火イルミネーションは行うのですか? 観光客に人気が出そうだと思いますが」
アルビンが肩をすくめて、さらに明るく笑った。笑い飛ばすと言った方が適切かも知れない。
「自然保護地域内ですからね。ゴミは極力出さないのが基本です。これから草が本格的に冬枯れていきますから、花火の火の粉で火事になる恐れもあります。ですので、ごく小規模に、ささやかに行う程度ですね」
なるほど当然だなあ……と感心しているゴパルに、アルビンがいたずらっぽく口元を緩めた。
「ですが、ティハール大祭の主神は、富の女神ラクチミ様ですからね。女神様へのご機嫌取りは欠かしませんよ」
その時、ゴパルのスマホにメールが届いた。
アルビンに断ってチヤを飲み干して、メールを開いた。ゴパルの顔が困ったような印象を帯びていく。
「ポカラのカルパナさんからの返信です。ポカラへ下りた夕方に、サビーナさんが料理を作ってくれる事になりました。ラビン協会長さんも同席するとか。皆さん忙しいのに、申し訳ないなあ……」
アルビンがゴパルのスマホ画面を見ながら、愉快そうに笑った。
「客商売ですから、ちょっとした息抜きをしたいのですよ。それでは、ティハール大祭明けから、すぐに作業を再開するように人員を手配しておきますね」




