ポカラの北郊外
寺院を通り過ぎると、崖が見えてきた。河岸段丘と呼ばれる、ポカラのあちらこちらで見られる地形だ。
ポカラは昔、大きな湖だったのだが、ヒマラヤ山脈の度重なる隆起によって水が抜けてしまった。しかし、湖に流れ込んでいた川は、そのまま残っている。その川が、隆起した大地を削り続け、長い年月をかけて階段状に削られた崖ができてしまった。
バスの窓からでは、ゴパルが座っている席列とは違い、向かいの席列の窓から見えるのだが、それでも、かなりの規模の河岸段丘だ。
段丘の長さは数キロメートルほどある。段丘の高さも十数メートルほどもあり、谷の底を渦巻きながら流れている川面が見える。雨のせいで、かなり増水していて、灰色がかった薄茶色の濁流だ。
河岸段丘の向こう岸にも集落があるので、吊り橋や、コンクリート製の橋が架かっている。ミニバスやバイクが、橋をゆっくりと渡っているのが見えた。
その集落の周りには、水田が延々と広がっている。雨期が終われば収穫を迎えるのだろう。
ポカラでは、雨期明けして九月末から収穫する米と、雨期入りした六月末に収穫する米とに大きく分かれる。冬の最低気温が十度前後にまで下がるので、他の亜熱帯地域のように、米を連作する二期作はできない。
一方で、ポカラ盆地を取り囲む山間地では、その標高に応じて、気温が高い時期に山米が栽培されている。
ミニバスがポカラ市内を抜けて、田園地帯に入った。民家が少なくなり、農家や小屋が見え始める。ゴパルが座っている列席の窓からも、水田が見える。
道路沿いに広がっていて、面積も結構広い。順調に生育しているようで、稲の尖った葉も健全な薄い緑色をしている。
ただ、やはり化学肥料の施用量が足りない様子で、稲の株を構成している茎の数(分げつ数)は、それほど多くない。
「山の米って美味いんだよね。秋になったら、山の宿で新米を食べてみたいな」
山で栽培されている米は、政府が普及している品種とは違って、粘りが少し強い。香りも独特なものがあり、丸みを帯びている米粒もある。
しかし、ご飯を素手で食べる習慣のあるネパールでは、山米は、なかなか冷えてくれないので、少し食べにくい。パラパラした米の方が、冷えるのも早いので食べやすいのだ。
現状では、政府機関や企業が開発した品種の米を、ネパール全土で普及している。
従って、これらの山米は、急速に栽培されなくなっていた。その片棒を担いでいる大学の助手なので、微妙な気持ちになるゴパルである。
ミニバスは、山間部では珍しく真っ直ぐな道を走っている。ゴパルの席の窓からは、今は南の方角の景色が見えているのだが、水田の幅も五十メートル以上ありそうだ。
その水田の南端には、木々で覆われたサランコットの高い丘が迫っている。これは丘の北斜面なので、どうやらサランコットの丘をミニバスでぐるりと、南から北へ、東回りで回り込んできたのだろう。
丘の頂上は、今は雨雲が切れたおかげで見えている。電波塔や展望台が頂上に建っているのだが、距離が遠いので人影は見えない。
観光ガイド本やサイト情報によると、レイクサイドから丘の頂上までケーブルカーが通っているそうなので、手頃な観光地になっているのだろう。コメントを見ると、物売りや乞食が多くて、あまり良い評判では無さそうだが。
サランコットの丘は東西方向に伸びていて、西の端でアンナプルナ連峰に接続している。つまり、今ミニバスが、快適に西へ向かって走っている車窓から見える、平坦な水田地帯は、間もなく終わるという事になる。
実際に、急速に谷が狭まってきて、道路の両側から高い崖が迫ってきていた。前方からも高い崖が迫ってきている。
運転席横にあるテレビでは、アナウンサーコイララのニュース番組が終わり、欧米の音楽番組を流していた。何となく、終末観を感じるゴパルであった。理由は分からないが。
真っ直ぐな舗装道路が、三方から崖に囲まれて、ぐにゃりと曲がり、細いコンクリート製の橋に接続していた。橋は短くて、その下を流れている川も細く浅いのだが、橋を渡った先は急斜面の森の中へ伸びている。
この森は、サランコットの丘の北斜面の一部のようで、あちこちに石垣でできた道路の法面が木々の間から見える。
法面とは、山等の斜面に通る道路の、道の上下にある人工斜面を指す。きちんと固めておかないと、大雨や地震等で崩壊して、道路が寸断されてしまう。
その道路を、ボロボロなバスや、トラックが真っ黒な煙を吐きながら、ゆっくりと上っていく。一方で、下ってくるバスやトラックは、その十倍くらいの速度を出している。
ミニバスが橋を越えて、森の中に入った。上り坂になったのが重心の移動で分かる。しかし、電気自動車なので、実に静かなままだ。
道路の状態が一気に悪くなり、デコボコが大量に生じたらしく、振動が大きくなってきた。時折、
ドッスン!
という大きな衝撃も感じるようになる。急峻な山道に入ったので、ミニバスの運転手がハンドルを切るたびに、左右に大きく体が揺れる。加速度まで付くので、窓ガラスや、隣の席の米国人男に肩が押しつけられる。
隣席の男を含めた欧米人の観光客が、一気に静かになった。口元を思わず緩めるゴパルである。
「ようこそ、ネパールへ」




