パメ
タクシーは、さすがにホテルが頼んだだけあって、座席はほぼ新品状態だった。エンジン音も軽快で、道路のデコボコも苦にならない。雨は相変わらず降り続けていて、今は少し強めだ。
フェワ湖畔の東岸道を、観光客と地元客と水牛と雌牛を避けながら走っていく。夕方になっているので、湖の対岸はさらに雨に煙って見えにくい。
ダムサイドからレイクサイドにかけての道は、きちんと舗装されていて、ホテルやレストラン、カフェに土産物店、雑貨屋等が営業して賑やかである。夕方なのか、人通りも多くなっていた。学生の姿が、特に増えている。
しかし、レイクサイドを抜けると、民家が目立ち始め、すぐに段々畑と農家だけの風景に変わった。湖畔に接して、高い山が迫っている地形になり、山の尾根は雨雲の中に隠れていて見えない。
その代わりに、段々畑の縁に植えられている、飼料樹の木々が影絵のようになって、浮き出て見えている。木々の背景が、灰色の雨雲で、一色に塗り潰されているために目立つのだ。
そんな段々畑には、トウモロコシやウリ類、トマト等の夏野菜が多く栽培されているのが見える。一部の畑は、水田になっていた。
道路も穴だらけの舗装道に変わり、泥が道の表面を覆っている。水牛や白い雌牛、山羊に鶏、アヒルの群れが増えてきた。道を歩いている人の服装も、野良着が増えてきている。
フェワ湖の湖畔道が終わり、湖に注ぐ川沿いの道に変わった辺りで、協会長が、とある建物を指さした。
「到着しました。ゴパル先生」
フェワ湖へ注ぐ川は、雨の影響で増水して濁っていた。その川に山の沢が、何本も流れ込んでいる。こちらの沢も、雨の影響で水がかなり濁っていた。その川と沢に接している低い丘の上に、小さな集落があった。これがパメなのだろう。
タクシーは、その集落の交差点にある、二階建ての鉄筋とレンガ造りの家の前で停車した。この家も屋根は無く、コンクリートの屋上に水タンク等が設置できる構造だ。一階部分は店舗になっていて、看板には英語で『カルパナ種苗店』と書かれていた。
買い物客が数名ほど居て、角刈りの二十歳前後の男が、種や苗に堆肥の説明をしているのが見える。他に、三歳くらいの男の子が手伝いをしているのだが、彼の子供だろう。親子の顔立ちは、カルパナに似てパッチリした二重まぶたの目で、細い眉毛が共通している。
店にはカルパナと、二人の女が居て、ゴパルと協会長を出迎えてくれた。他には男が二人。
皆、作業を想定していて、洋装の半袖シャツにジーンズ、サンダルの軽装だ。いわゆる、レイクサイドをうろつく、欧米人観光客が着ているような服装である。かなりラフだ。
カルパナを含む女三人は、白い半そでシャツに、紺色のジーンズという、共通した服装であった。まとめ買いでもしたのだろうか。
ゴパルと協会長が、タクシーから下車したと同時に、カルパナが合掌して微笑んで出迎えてくれた。
「ようこそ、ゴパル先生。準備ができていますよ。講習を始めてください」
店先には、ズラリと素焼きの植木鉢に植えられた、夏野菜や花卉の苗が並べられている。ゴパルが傘を閉じて、店内へ入りながら感心した表情に変わった。
「へえ……在来種ばかりですね」
在来種というのは、ポカラ盆地と周辺で長い間栽培されてきた、地方品種の総称である。
角刈りの男が、客への説明を終えて苗を渡し、ゴパルに振り向いた。
「詳しそうですね。姉のわがままに付き合ってくださって、ありがとうございます」
カルパナさんの弟だったか、と思いながら、ゴパルが軽く合掌して挨拶した。
「いえいえ。元はと言えば、私の上官の教授の企みですから。私の方こそ恐縮していますよ。今日は、しばらくの間、場所を借ります。仕事の邪魔にならないように注意しますが、気がついた点がありましたら、何なりと仰ってください」
そう言いながら、近くにあった苗や種子袋を手に取って、驚いた表情になった。
「これって、フランス産の種苗と種子ですよね。しかも在来種だ。あ、こちらはイタリア産か」
角刈りのカルパナ弟が、肩をすくめながら口元を緩めた。
「目ざといですね。はい、その通りです。姉の友人のサビーナさんのゴリ押しで、こうして海外の在来種も取り扱っていますよ。勉強するのが大変です」
その当人が、今回の講習会に参加しているのだろう。ドヤ顔になった二十代後半の女が居る。
カルパナが、店の奥から手招きして呼びかけてきた。
「ゴパル先生。どうぞ、こちらへ」