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アンナプルナ小鳩  作者: あかあかや
氷河には氷があるよね編
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神槍

 さすがに詳しく知っている人だなあ、と感心したゴパルが、とりあえず聞いてみた。

「あの……隠者様。KLは、特別な微生物を使う訳ではありませんし、遺伝子組み換え等も施していません。ごくありふれた、土着モノですよ。ミカンや小麦等については、最先端の育種手法の方が、成果を挙げていると思うのですが……」

 隠者が琥珀色の瞳をキラリと輝かせた。柔和さが消えて、鋭さが増してくる。

「神槍を祀っておる故に、技術を否定はせぬよ。ただ、緑の革命時に騒動が起きたように、時として技術は、人を追い払ってしまう事もあるのだ」


 緑の革命とは、南アジア諸国で大々的に行われた、農業の近代化事業を指す。農地改良を行い、農業機械や灌漑設備を導入し、政府や企業が開発した種子や苗を植え、化学肥料と農薬を使って、食料の増産と安定化を図った。

 実際に、国や地域の単位では食糧増産に成功し、後の人口増に大きく寄与している。それはネパールも例外ではない。

 しかし、その一方で、小作農家や零細農家を中心に貧困化が進み、各地で騒動が起きた。大都市への出稼ぎや流民が、大量に発生した歴史がある。

 ゴパルが勤めているバクタプール大学の農学部も、それに関与していた事は事実である。


 隠者が穏やかな口調で話を続けた。両目の琥珀色の瞳の輝きは、鋭さを増す一方だが。

「今回の作物の疫病克服事業も、遺伝子を操る技術については、ワシは反対の立場だ。ポカラの歴史を見れば、神ですら、マラリア等の疫病の猖獗しょうけつを起こしておる。ましてや、人間の身では、言うまでもなかろう。故に、育種学の連中が計画している事業には、賛同できぬ」

 ゴパルは、研究バカ的なところがあるので、首都の寺院で、こうして説法を聞く事は、ほとんど全くした事がなかった。クシュ教授とは、別の立場からの意見として、興味深く聞いている。

 それを察したのか、隠者が少し肩をすくめて微笑んだ。瞳の鋭い光が、急速に和らいでいく。

「説法に対して、汝は免疫が無さそうだな。宗教に染まって先鋭化する博士どもが多いから、用心しておく事だ」

 そういえば、学会で宗教論を述べまくる発表者って、意外と居るなあ、と思い起こすゴパルである。


 隠者が穏やかな口調のままで、ゴパルにウインクした。

「有機認証を得た海外製の微生物資材も、これまで何度もポカラで試用されておるよ。これらについても、ワシは反対の立場だ。しかし、汝が持ち込んだ資材は、カトマンズ産とはいえ、地元産と見なして構わぬだろう。故に、期待していると述べたのだよ」

 首都にも、カーリー神を祀る大きな寺院があったな、と思うゴパル。

 ……と、他の参拝者達がまだ残っている事に気がついた。あまり長居を続けては、彼らの迷惑になる。

「皆様すいません。雨の中、長居をするのは良くありませんね。私は、これで失礼いたします」

 隠者が、そばに立っている数名の参拝者と顔を見合わせて、穏やかな笑みを浮かべた。

「それは、然り(しかり)であるな。では、豊穣の女神アンナプルナの裾へ至る、汝の旅の安全を祈っておこう」

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