ナチュラルワイン
ナチュラルワインには、これといった厳密な定義は無い。有機栽培や減農薬栽培をして育てたブドウを使い、機械や薬品、それに市販の酵母菌を一切使わずに仕込むワインの総称である。厳密な定義があるビオワインや、有機ワインとは別だ。
特徴としては、そのワイン園に土着の天然酵母だけを使ってワインを仕込む点だろうか。そういう意味で、ゴパルやクシュ教授の研究室としても興味の対象になり得る。研究室で開発した酵母菌は使えないが、肥料や土壌改良でKLを使う事は可能だ。
ただ、一切の薬品の使用を禁止しているので、ワインを仕込む際に雑菌が混入すると、醸造が失敗するリスクが非常に高い。日本酒であれば、木灰を使って対処できるのだが、ワインではその手法は使えない。さらに、仕上がったワインを瓶詰めする際に、保存料を添加する事もできない。
利点としては、有機認証やビオワイン認証が不要という所だろうか。製造元の自己申告になるために、認証手続きや更新、手数料を支払う等の手間がかからない。
そういった説明をカマル社長がゴパルに話して、気楽な表情になった。
「今の段階では、趣味の範囲ですね。ネパールには欧州ほど厳格な製造規定はありませんから、ナチュラルワイン作りに適していると思えます。まずは天然酵母だけを使って、薬品を使わずにワインを仕込む事からですね」
カマル社長が少し自嘲気味に笑う。
「まず間違いなく腐ってしまうでしょうが、ノウハウが積み上がれば、安定生産が可能になる……事に期待しています」
ゴパルがカマル社長の肩をポンと叩いて、微笑んだ。
「微生物学研究室としても協力しますよ。天然酵母による仕込みと、研究室で開発した専用酵母による仕込みの両方で進めましょうか。味わいも多分、変わってくると思います」
専用酵母というのは、微生物学研究室で開発したワイン専用の酵母群の事だ。これを使う事によって、ワインを失敗無く安定して生産できるようになる。
サビーナに言わせると、「は? 失敗してばかりじゃないの」という評価のようだが。
カマル社長がゴパルの肩を叩き返した。
「ナチュラルワインの方が、販売単価が高く設定できるので、期待はしていますよ。ですが当面は、提供されている専用酵母を使ってのワイン仕込みに、専念する事になりますね」
赤レンガの壁を築いている、新規の畑を見上げる。
「ノウハウが充分に積み上がって、商売として成り立つようになれば、ビオワインや有機ワインに挑戦してみたいですね」
ゴパルが一応専門家として、注意を促した。
「薬品ですが、悪い面ばかりではありませんよ。ワインの酸化防止剤で使われている亜硫酸塩は、脳内の神経組織を保護する働きもします」
医学論文なので、詳しい説明ができないゴパルであった。なので、微生物と関わる部分での説明を始めた。
「亜硫酸塩は、ワインの中や人体の中では、イオン化して亜硫酸イオンとして振る舞いますが、これって、実は腸内でも作られているんですよ。人間が自力で亜硫酸イオンを作っているんです」
カマル社長が、興味深く話を聞いている。
「へえ……酸化防止剤を腸内で作っているんですねえ。面白いな。でもまあ、有機認証やビオ認証では、使わないように決められていますから、それに従うしかありませんね。話のネタとしては使えそうかな」
ゴパルが気楽な表情でうなずいた。
「ですが、亜硫酸イオンに敏感な人も居ます。彼らにとっては、アレルギーを発症する原因物質になります。ですので、飲む際には、アレルギー持ちであるかどうかを、最初に確認すべきでしょうね」




