ワイン休憩
さらに小一時間ほど畑を見て回ってから、事務所と酒蔵へ向かうゴパルとカマル社長であった。事務所では、栽培記録や経費明細の確認をした。
しかし、ゴパルはアンナプルナ街道でも、適当な仕事しかしていなかったので、今回も流し読みで済ませているが。
「はい、大丈夫ですね。では後で、研究室宛に記録と明細データを送っておいてください」
カマル社長が早速、グラスに注いだワインを、大きく無骨な手に持ってきた。面長で少々あごが長いので、口が大きく見える。二重の細目がさらに細くなり、ゲジゲジ眉が上下に踊っている。
「それでは、一杯やっていきましょうか、ゴパル先生」
事務所では、事務員達が黙々と仕事をしているので、ブドウ畑が見渡せるテラスに移動するカマル社長とゴパルであった。さすがに、昼間から酒は、ネワール族といえども遠慮すべき事のようだ。
ゴパルから、アンナプルナ街道の話を聞いたカマル社長が、苦笑気味に微笑んだ。
「ここは観光地から離れていますからねえ。事務員さんたちは、ネワール族だけじゃありませんし。バフンやチェトリ階級の人も多く働いていますよ」
ゴパルがカマル社長から、グラスの白ワインを受け取った。薄っすらと黄色がかった色合いだ。
「カーストの撤廃が、確実に浸透している証ですね、カマル社長。ネワールの農民カースト出身者でも、こうして立派にワインを製造できている事は、色々な人の励みになると思いますよ」
カマル社長が白ワインを一口飲んで、軽く肩をすくめた。
「当の農民カーストは、農業を止めて都市で働いていますけれどね。銀行員とか保険屋とかが人気みたいですよ」
ここで、カマル社長が話題を変えた。
「この白ワインは、トレビアーノ種だけを使って仕込んでいます。風味の方は、どうですかね? ゴパル先生」
ゴパルが白ワインを口に含んでから、軽く首をかしげた。
「一昨年と同じような味わいですよ。昨年は、何か工夫をしたのですか? あ」
カマル社長がゴパルに、呆れたような笑顔を向けた。
「昨年からは、ゴパル先生の微生物学研究室が開発した、専用酵母を使っているんですよ。忘れてもらっては困ります」
ゴパルが平謝りをする。そして、改めて白ワインを一口飲んで、やはり首をかしげた。
「……やはり、風味は変わっていませんよ、カマル社長」
カマル社長がニッコリと微笑んだ。
「では、成功ですね。いきなりワインの風味が変わってしまうと、消費者から文句が殺到しますので。気づかれない変化であれば、申し分ありません」
なるほど、とうなずくゴパル。その彼に、カマル社長が穏やかな口調で話を続けた。
「酒造所としては、研究室から酵母菌が供給されるので、品質が安定しやすくなる利点があります。ま、ワインの事なので、年によって出来不出来の差が生じるのは避けようが無いですが」
そして、改めてゴパルに聞いた。
「で、ゴパル先生。この白ワインですが……ポカラの二十四時間営業のピザ屋に卸そうかと思っているんですが、どうでしょうかね? あちらさんのピザやパスタに合いそうですかね?」
ゴパルが素直にうなずいた。
「相性は良いと思いますよ。全てのメニューを食べていませんので、正確に評価する事は難しいのですが……あ、そうだ。料理長のサビーナさんに聞いておきましょう」
サビーナはルネサンスホテルのレストランのシェフで、直接ピザ屋に関わってはいないのだが、お構いなしだ。すぐに、ポケットからスマホを取り出して、チャットアプリを起動させ、質問を打ち込んで送信した。




