園内
舗装されていない砂利道を辿って歩いて行くと、しばらくしてブドウ園の門の前に出た。赤レンガのブロック塀が巡らされていて、放牧山羊や牛が侵入できないようにされている。
門の横には『バクタプール酒造』と書かれた大きな看板が立っていて、その脇にネワール族の中年男が、ニコニコして立っていた。ゴパルに合掌して挨拶をしてくる。
「こんにちは、ゴパル先生。ポカラはどうでしたか?」
ゴパルもにこやかに合掌して挨拶を返した。
「お出迎えありがとうございます、カマル社長。ポカラはまだ雨模様ですね」
門の守衛は居ないので、カマル社長が自分で門の扉を開けて、ゴパルを歓迎した。
彼はゴパルと同じ百七十センチほどの背丈で、やはり小太り体型だ。しかし、ゴパルと違い、骨太で手足が長くて大きい。顔も面長であごが長い。細い二重の目には、黒い瞳が鈍い光を帯びていて、ゲジゲジ眉と、刈り上げ頭の印象もあり、頑丈そうな見た目だ。
服装は、アウトドア衣料の長袖シャツに長ズボンで、履き慣れたサンダル姿である。これに、年季の入った水牛皮の帽子を被っている。帽子にはオイル塗りを欠かしていない様子で、日差しを鈍く反射していた。
一方のゴパルは、いつもの長袖シャツにヨレヨレなズボンと、スニーカー靴に日除け帽子だ。
園内に入ると、すぐにブドウ園が広がっていた。バクタプール酒造の自社ブドウ園で、総面積は十ヘクタールほどになる。ブドウは欧州方式の栽培方法なので、日本のような棚を作ってブドウの木を育ててはいない。
元々は棚田や段々畑だった場所に、等高線沿いにブドウの木を列植えで密植している。列と列の間も、作業ができる程度しかない。ブドウの木も樹高が、二メートル以下に切り揃えられていた。
ゴパルが園内のブドウの木を見回して、近くのブドウの葉を手に取って眺めた。満足そうな笑みを浮かべる。
「病気は発生していない様子ですね。良かった」
カマル社長が、ゲジゲジ眉を上機嫌に上下させて、白い歯を見せて笑った。
「KLのボカシ肥料を使い始めてから、病気に強くなりましたよ。木の勢いも強くなってしまったので、根切りや、強い剪定で調節しないといけませんがね」
ここでは、KL培養液を使って、米ぬか主体の嫌気ボカシを、バクタプール酒造が自社で仕込んで使用している。
その発酵中の二百リットル密閉タンクがズラリと並んだ空き地にも行き、ボカシの状態を確認した。
「うん。これも良い状態ですね。熟成期間は六週間以上が良さそうですか? カマル社長」
カマル社長も、ゴパルと一緒に発酵中のボカシをつまんで食べながら、うなずいた。
「そうですね。発酵が均一化するのに、このくらいの期間がかかりますね」
首都はポカラと違い、標高が高いので平均気温が低く、発酵も穏やかになるようだ。ただ、その最低気温でも、氷点下を下回る日がほとんど無いため、ボカシや培養液が凍結するような事は起きない。
その後は、培養液や光合成細菌の発酵状態の確認と、糖蜜や大豆の品質確認等を行うゴパルであった。どれも問題無さそうである。
光合成細菌の培養箱は、レカが作ったものと同じ形状で、それが二十個以上も屋外に並べられていた。雨が降っても大丈夫なように、電線を工夫している。
培養液のタンクも、それぞれが一トン容量で、十個以上並んでいる。これらにも電熱ヒーターが取り付けられていた。
ゴパルが汗を首に巻いたタオルで拭きながら、視線をナガルコットの斜面の一角に向けた。
「ん? あの段々畑もブドウ園にしたのですか?」
ブドウ園の外に広がる段々畑の一角が、赤レンガで囲まれていた。この辺りの段々畑では、インゲン豆や、ウリ類、ナスやピーマン、唐辛子、トウモロコシ等が植えられていて、農家が収穫作業をしている。
カマル社長が、頭をかいて微笑んだ。
「もう見つけてしまいましたか。はい、飛び地になりますが、規模拡大を続けていますよ。チャリング地区でも、耕作放棄地が増えてきていましてね。街での求人が増えると、どうしてもね」
ゴパルが腕組みをして、ため息をついた。
「確かに、農業は重労働ですからねえ。ポカラでも同じような問題が起きていました」
カマル社長が、ニンマリと微笑んだ。
「私は、カマル・ムサって名前の通り、ネワール族の農民カーストですんでね。やはり、こうして土いじりする方が落ち着きますね。ま、偉いカースト連中の農地を借りて規模拡大しているので、色々と面倒事が付きまといますけれどね」
ネワール族のカースト制度と、ヒンズー教徒のカースト制度とは別だ。しかし、司祭階級を最上位とした清浄カーストがあり、その下に不浄カーストがあるという構造は同じである。
ネワール族の農民カーストは、清浄ではあるのだが、最底辺だ。そのため、色々と面倒事が降りかかりやすい。カースト制度は法制上廃止されたのだが、まだまだ仕事上では、何かしらある様子である。




