マチャプチャレ峰
サランコットの丘の頂上に到着すると、そこは芝張りの公園になっていた。展望台がその中央に建てられていて、有料で入る事ができる。
しかし、特に展望台に登らなくても、十分に景色を楽しむ事ができるので、展望台の利用者は、カメラが趣味の人ばかりだ。
公園の隣には、電波塔が建っていた。これはラジオ放送と、アナログのテレビ放送のためのものだ。
さて、この公園には、既に数十名の観光客が場所取りをしていた。カメラやスマホで、日の出の風景を撮影するつもりなのだろう。
ゴパルも公園に足を踏み入れて、思わず足を止めて感嘆した。
「おお……これがマチャプチャレですか。凄いな」
サランコットの丘からは、谷を挟んだ北側に、巨大な岩山が鎮座しているのが見えた。岩山の名前はマチャプチャレ峰。麓のポカラ北端が標高千メートル弱なので、岩山の高さは六千メートルにも達する。
先日、ゴパルがナヤプルへ向かった車道が、丘の直下に広がる谷を東西に真っ直ぐ通っている。
その谷底は、マチャプチャレ峰の裾にもなっていた。
ゴパルが、谷底から視線を上方へ上げていく。谷底から急斜面の森が始まり、その森が樹種を亜熱帯林から常緑樹林、そして落葉樹林から竹林、さらに黒緑色の針葉樹林に姿を変えながら、森林限界を迎えて途絶える。
その上には、枯れ果てた大草原が、岩が露出しまくっている急斜面に貼りついて広がっていた。その枯れた草原も、標高が上がると雪に覆われて、その先は完全な氷雪の世界となっている。
白と黒しかない世界だ。その白が、次第に日の出前の光を浴びて、淡い紫色に輝き始めていた。
そして、マチャプチャレ峰の山頂は、魚の尾の形では無く、見事な鋭角三角形だった。余りにも鋭いので、人工物にすら見える。山頂付近の傾斜は、ほぼ絶壁になっていて、氷雪もそれほど貼りついていない。
そのような、高さ数百メートルもの黒い岩盤が露出し、今は、次第に赤く染まっていく上空の色を吸収している。
マチャプチャレ峰はサランコットの丘から見ると、単独峰のように見える。実際は、アンナプルナ連峰と連続しているのだが、そのアンナプルナ連峰は、全て分厚い雲に包まれていて見えなかった。
その雲が、上の方から次第に赤く染まっていくのを見上げながら、ゴパルがため息をついて口元を緩めた。
「アンナプルナ連峰は、お預けですね。マチャプチャレ峰も、早くも雲に覆われてきましたし」
確かに、マチャプチャレ峰にも雲が流れ込み始めていて、急速に山容が雲の中に隠れ始めていた。サビーナが、ゴパルの肩をポンと叩き、鋭いながらも優しい視線を送る。
「雨期の終わりだからね、まだ。ま、乾期になれば、飽きるくらい毎日見る事ができるわよ。実際、あたし達のような地元民は見飽きてるし」
カルパナもサビーナに続いて語った。
「ですが、マチャプチャレ峰だけでも見る事ができて、良かったですね。隠者様によると、槍の霊峰という事だそうです。バドラカーリー神の神鎗ですね」
ゴパルが素直に納得する。確かにコレは、槍の穂先だ。
いったん、カルパナが峰の頂上を見上げてから、軽く祈り、視線を再びゴパルへ戻した。
「標高は七千メートルにも達しないのですが、登頂禁止です。他のアンナプルナ連峰は登頂できるのですけれどね」
今や、雲が大量に発生していて、マチャプチャレ峰の森林地帯の全域が覆われ始めていた。峰が、雲から浮かび上がっているような印象に変わる。
カルパナが、せっかくですのでと断って、観光ガイドを簡単に始めた。
「マチャプチャレ峰も、直下の絶壁の下までは登山できますよ。民宿や集落が無いので、本格的な登山装備が必要ですが」
ゴパルが興味深く聞いているので、カルパナがマチャプチャレ峰の背後を指さした。
「今は雲に隠れて見えませんが、背後には八千メートル級のアンナプルナ連峰があります。登頂できますが、実はネパールで一番危険な山です。登山隊の生還率が国内最悪ですね」
カルパナが、真剣な視線をゴパルに向けた。
「アンナキャンプまでは、楽に行けるのですが、その先は死の世界です。ゴパル先生も、十分に用心してくださいね」
ゴパルが背筋をピンと伸ばして、深くうなずいた。
「確かに、アンナキャンプの上にある取水場まで登りましたが、風で体が浮き上がりそうになりました。十分に注意します」
カルパナが、心配そうな視線をゴパルに送った。
「そんな危険な事をしたのですか? 今度、そのような事をしたら、ラビン協会長さんに言って、アンナキャンプへの出入りを禁止してもらいますよ」
バッタライ家なら、本当にやりかねないと思ったゴパルが、素直に謝った。
「ごめんなさい、それだけは勘弁してください。低温蔵の建設ができなくなります」
その時、スマホで撮影をしていたレカが、嬉しそうな声を上げた。
「あ! 日の出だー」




