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アンナプルナ小鳩  作者: あかあかや
肥料も色々あるよね編
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実験棟の前で

 ゴパルが車から降りて、ヘルメットを抱えながら、カルパナと一緒に実験棟へ向かう。途中でカルパナのヘルメットも持ったので、今は両手にヘルメットだ。

 殺虫処理は、予想以上に大掛かりな作業になっている様子だった。大学の学生が数十名も、家具を担いで実験棟へ入っていく。

 周辺の住民も、このイベントを知って大勢集まってきていた。ざっと二、三百名は居るだろうか。

 早くも屋台がやって来ていて、冷たい炭酸飲料水を売っている。


 ゴパルも財布が危機的な状況にあるにも関わらず、屋台でコーラを二本買って、カルパナに一本手渡した。ツマミのビスケットも買おうかと考えたようだが、これは断念したみたいである。

 コーラ瓶は氷水で冷やされていて、王冠が半分だけ開けられていた。その王冠を手でむしり取って、コーラを飲む。さすがに一気飲みはしないので、王冠を再び瓶の口にはめ込んで、ハエの飛び込みを防ぐ。

 ゴパルが大学生の動きを見ながら、残念そうに肩を落とした。

「殺虫処理は、まだ始まりそうにありませんね。これだけの規模で蒸気殺虫処理というのは、見た事が無かったので、興味があったのですが」

 カルパナがコーラを飲みながら、大学生を指揮している男性を指さした。

「あの方に聞いてみましょうか。現場責任者のようです」


 ゴパルが歩いて行って、その男に挨拶した。彼はゴパルと同じ背丈で、百七十センチくらいある。歳は三十歳代後半くらいか。やはり研究者のようで、小太りで色白である。

 その一方で、顔は四角く、丈夫そうなアゴ持ちだ。目は切れ長で細く、黒い瞳には、かなりの疲労が浮かんでいる。カルパナと同じくらいに細くて長い眉も、疲れのためか弛んでいた。

 服装は、薄汚れた半袖シャツに、少々擦り切れたジーンズ。しかし足元はゴパルと違い革靴だった。安物だが。

 そんな彼に、ゴパルがにこやかに会釈をした。

「こんにちは、大変な作業ですね。初めまして。首都のバクタプール大学で助手をしている、ゴパル・スヌワールと申します。専門は微生物学です」

 ゴパルの自己紹介を受けて、男が疲れた顔で愛想笑いを浮かべた。ボサボサで癖のある黒髪は、短く切り揃えられているのだが、ホコリが多数付いている。


挿絵(By みてみん)


「本当に、大変な作業です。ははは。初めまして。私はポカラ工業大学の工学第一研究室で助手をしている、ディーパク・アチャリャです。毒ガスのような、微生物兵器みたいなガスってありませんかね。九十度の蒸気殺虫は面倒です」

 ゴパルが肩をすくめて笑った。

「特定の害虫だけに致死的なウイルスを開発中ですが、まだまだ実用化には至っていませんね。すいませんが、火傷に注意して蒸気を使ってください」


 その後、ディーパクとゴパルが、数分間ほど話をした。ディワシュ達が熟睡している、小型四駆車の方向をゴパルが指さして配慮をお願いする。ディーパクが、苦笑しながらも、気軽にうなずいた。

 カルパナも彼らの隣に居たのだが、自己紹介を終えた後は、特に何もする事が無くなってしまったようだ。ディーパクとゴパルが、専門用語の嵐の会話を始めたためである。

 カルパナも多少は微生物や工学について、独学で勉強をしているのだが、助手レベルの会話にはさすがに参加できなかった。

 カルパナを見知っている見物人が、彼女に合掌して挨拶をし始めたので、そっとゴパル達から離れていく。


 しかし、その専門用語の嵐の会話も、長くは続かなかった。工学と農学とでは、同じ現象を指す単語でも互いに異なる場合が多い。実際に、両者の間には、通訳が必要だろう。

 やがて、ゴパルが曖昧な笑みを口元に浮かべながら、ディーパクに礼を述べた。これ以上の会話は、双方にストレスを与えるだけだ。

「忙しい中、色々と教えてくださって、ありがとうございました。殺虫処理ですが、蒸気を浴びないよう、気をつけてくださいね」

 ディーパクも疲れた顔で、同じように曖昧な笑みを浮かべて礼を返した。

「こちらこそ、貴重な情報を得る事ができました。ありがとうございます。私は慣れていますが、気掛かりは学生ですね。彼らが蒸気を浴びないように、気を配る事にしますよ」


 ゴパルがディーパクから離れて、カルパナの立っている場所へ戻ってきた。既に数名の知人に、カルパナが囲まれてしまっていたが、ゴパルが来たので礼をして去って行く。

(有名人って大変だなあ……)

 と内心で思うゴパルであった。しかし、表情には出さない。普段通りの、のほほんとした表情で、ゴパルがカルパナに語りかける。

「お待たせしました、カルパナさん。殺虫処理の開始は、まだまだ遅れそうです。この事業の責任者であるスルヤ教授は、出張中だという話でした。ここに居ても、仕方が無いので、カルパナさんの仕事を優先してください」

「そうですか……」

 カルパナが少し考えていたが、レカの姿を見つけて手を振った。相変わらず、挙動不審な動きをしているので、この群集の中でもすぐに分かったようである。

「レカちゃん、何か起きたの? 南京虫の殺虫処理は、リテパニ酪農場では要らないと思うけど」

 レカは若草色の生地に、白と黄色の縦縞が入ったサルワールカミーズ姿で、サンダルも可愛い柄だ。しかし、挙動が全てをぶち壊してしまっている。

 ゴパルも、カルパナに続いてレカを見つけたので、確かに群集の中でもレカは目立つようだ。

 レカの方もカルパナを見つけて、転がるように猛ダッシュでやって来た。

「うちのバカ兄が、ここのスルヤ先生の、実験の手伝いをしてるのよー。南京虫退治って事で、わたしも駆り出されたぁー、ちくしょお」

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