店の客
ゴパルもチヤをすすって、店の外を眺めた。
ちょうど、数人の中国人観光客が、モモの蒸し器に寄って来ていた。しかし、店内がインド人とネパール人しか居ないので、そのまま去って行く。欧米人も同じような挙動である。
店内に入ってくるのは、日本人だけのようだ。今どき、バンダナを頭に巻いているヒッピースタイルなので、かなり周囲から浮いている服装だが。
特に、女性の日本人観光客は、パンジャビという、インドの民族衣装がモデルの服を着ている者が多い。ただ、着こなしが全くなっていないが。ちょうど、外国人が浴衣を自己流で着て、それを見た日本人が呆れるような感じに近いだろうか。
ゴパルが、その日本人観光客を視界から外しながら、店内を見回す。
「ラビン協会長さん。客層は、地元の人とインドからの観光客なんですね」
協会長がローティを右手の指だけで器用にちぎって、唐辛子とトマトのタレにつけて口に運んだ。
「そうですね。外国人が居る店では、ネパール人やインド人は、遠慮して入店してくれないのですよ。味付けも、外国人向けになっていると思われてしまいますしね」
ゴパルもローティを右手の指だけを使い、小さくちぎって、タレにつけて食べてみた。香辛料がしっかりと効いていて、心地よい。四、五種類は使っていそうだ。
「確かに、これは私達向けですね。外国人観光客にあまり頼らないという経営の一環ですか? ラビン協会長さん」
協会長がチヤをすすりながら微笑んだ。日本人達は、言葉が通じないと感じたのか、店から去っていった。
「コストの削減にもなります。外国人観光客を相手にすると、店を多言語化する必要が出てきます。もっと、自動翻訳アプリの精度が向上すれば良いのですが」
それでも、飲食では難しいだろうなあ、と思うゴパルだ。特にネパール料理では、カレーも、香辛料炒めも、炒め煮も、茹で炒め等も、全て一言『タルカリ』で表現する傾向がある。
「幸い、ポカラ市と周辺の人口は、三十万人に達しそうですからね。地元の固定客を増やす意味は、あると思います。学生も多いですし、特に、二十四時間営業の店は、需要があると期待しています」
協会長の話を聞いて、ゴパルが料理の値段表を確認した。軽食も充実させているのは、その目的なのだろう。ローティを全て食べ終えて、チヤも飲み干す。
「確かに、値段も首都に比べて安いですね」
協会長が目を細めた。彼も食べ終えて、口元を紙ナプキンで拭く。
「食材の現地調達に力を入れているのですよ。ネパールでは、物流コストが大きく占めますから、近距離からの安定供給を心がけています。ですが、現地調達の達成率は、まだまだ低いままですね。現状では、ほとんどがポカラ盆地より外からの物ばかりです」
ネパールでは鉄道網が無く、道路も穴だらけだ。トラック運送が主流なのだが、山道ばかりで低速走行なので、燃料費と時間がかなりかかる。航空輸送は、雨期になると当てにできない。
協会長がチヤを新たに二つ注文して、店の奥中央にある花壇に顔を向けた。
「ですが、コスト削減が過ぎると、殺風景で陳腐な安食堂になってしまいます。そうなっては、客足が遠のくものです。そこで、ああいった派手な花壇を導入して、写真撮影ができるようにしているのですよ」
今も、数組のインド人とネパール人の客が、スマホをかざして撮影をしている姿が見える。
ゴパルが新たなチヤを受け取って感心した。
「二十四時間営業の店だからできる企画ですね。色々と考えているのですねえ……さすがは、交易民のタカリ族だなあ」
協会長がチヤをすすりながら、一重まぶたの黒い目を細めた。チベット系の民族なので、顔立ちがインド系のゴパルとは違う。しかし、ローティの好みは同じようだ。
「中国人観光客には、別に中華料理店を用意していますよ。欧米人向けにもですね。ですが、地方料理や、国ごとの料理までは提供できません。材料や料理人が用意できないためです。現状では、ピザ屋と、中華の軽食屋に留まっています」
ゴパルがチヤをすすりながら、軽く肩をすくめた。
「それは、他の南アジア諸国でも同じだと思いますよ」
協会長がチヤのコップを置いて、真面目な表情でゴパルを見据える。
「客の目線で物事を考えないといけませんよ。我々の目線で見てしまうと、往々にして手抜きや妥協が、増えてしまうものです。もしくは、客に向き合わずに、自己満足に陥ってしまうとか、ですね」
コホンと小さく咳払いをした協会長が、一重まぶたの目を細めた。
「例えば、この店が相手にする客は、地元民とインド人観光客です。彼らに特化したサービスと料理を供するのが最重要なのですよ。先程の日本人観光客まで受け入れてしまうと、地元客が逃げてしまいます。香辛料の好みが違いますからね」
実際の所、同じネパール人やインド人でも、出身地や民族、宗教によって好みは大きく異なっている。このビュッフェ料理ですら、香辛料や味付け等は、一般受けするように改良されているのだ。食べる人の側に立つと、いわば、コレジャナイ感がどうしても出てくる。
その上、更に香辛料の好みが異なる、欧米や中国、それに日本人客まで呼び込もうとすると、コレジャナイ感が増大するのは避けられない。
「……結果として、誰からも求められない料理になってしまう、という事ですか。むむむ……」
ぐうの音も出せなくなるゴパルであった。
そんなゴパルに、再び柔和な笑みを向ける協会長である。
「KLと言うのは、農業資材なのですよね? 農畜産物の地産地消に有益だと、クシュ教授から伺ったのですが」
ゴパルが再び、ぐうの音も出せない表情になった。あの教授の手回しの良さは、一体何なのだろう。